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霊場参拝
摂津八十八ヶ所 摂津八十八ヶ所
第62番 
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崑崙山昆陽寺 所在地:兵庫県伊丹市寺本2丁目
最寄駅:阪急伊丹線「伊丹」より市バスで「昆陽の里」下車、すぐ
当山は聖武天皇の勅願所として、733年(天平5年)に行基菩薩により、畿内49院の1院として建立されたと伝えられている。
 行基は神亀年間(724〜29年)に朝廷に奏上し、勅許を受け、方50町歩の土地に田畑を開き、昆陽池を始めとする大小の池や堀川などを築成、灌漑をはかり、水田150町歩を開墾したという。
 その中心に、4町4面に七堂伽藍の堂宇を建立、昆陽寺とした。また、この地は西国街道を通る交通の要所にあったため、布施屋を設けて人々を救済する社会福祉事業の拠点ともなった。
 かくして、昆陽36坊甍を並べ荘厳美を尽くし、摂津第一の巨刹であったといわれる。 その後、度々災禍に遭い、殊に1579年(天正7年)織田信長が有岡城主荒木村重を攻略したときの兵乱時に、本寺および36坊は悉く灰燼に帰した。
 江戸時代に入り、再建されたのが現在の規模の寺院で、数多くあった塔頭のうち、現在は正覚、一乗、遍照、成就の4院だけとなっている。
 1955年(平成7年)の阪神淡路大震災で、堂宇の大半が大きな被害を受けたが、震災直後より復興に着手し、1958年(平成10年)に完成をみている。

[参考資料] 『崑崙山 昆陽寺』 昆陽寺パンフレット
         『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
昆陽寺山門 昆陽寺本堂
山門(楼門)は明暦年間(1655〜58年)の建立と伝えられている。
1970〜71年(昭和45〜6年)に解体修理され、その後、阪神淡路大震災でも被害を受けたが、復旧済みである。1963年(昭和43年)、伊丹市指定有形文化財に指定されている。
本堂(薬師堂)。本尊は半丈六の薬師如来像で、行基菩薩の作と伝えられている。脇侍は文殊菩薩像、普賢菩薩像、および持国天像、多聞天像が安置されている。
昆陽寺観音堂 昆陽寺行基堂
観音堂。江戸時代初期の特徴を残す建造物で1969年(昭和44年)兵庫県の有形文化財に指定されている。 行基堂(開山堂)。剛毅菩薩自作の尊像。脇仏に文殊菩薩、普賢菩薩及び四天王を安置する。
このうち広目天と持国天が1998年(平成10年)兵庫県の有形文化財の指定を受けている。
後醍醐天皇の御製歌碑 行基菩薩歌碑
後醍醐天皇の御製『命あれば こやの軒端の 月も見つ 又いかならん ゆく末の空』の石碑が建つ。 行基塚の前には、行基の詠んだという『山鳥の ほろほろとなく 声聞けば 父かとぞ思ふ母かとぞおもふ』の歌碑がある。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場
昆陽寺朱印
[2005年4月16日参拝]

寺院-128/TTL-372

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