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所在地:宝塚市社町4番
最寄駅:阪急今津線「逆瀬川口」下車、線路沿い南へ約500M |
当山は用明天皇の勅命により聖徳太子が、摂津国武庫7大寺の1つとして建立されたと伝わる。
また、神呪寺を創建したとされる淳和天皇の妃真井御前と共に宮中を出た、和気清麻呂の縁に繋がる如一禅女(姪であったとも言われる)によって835年(承和2年)に再興されたとも伝わり、最盛期には30余坊が甍を並べたと伝わる。
1758年(天正6年)荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、寺院が敵の宿舎となることを恐れ、火を放ったため一山ことごとく焼失した。
その後、江戸・寛永年中(1624〜44年)平林寺本坊を初め、塔頭の成就院、宝寿院、西光院、成福院、理性院が相次いで再建された。理性院は明治初年、神戸市に移転している。
現在は阪急今津線で本坊と別坊が分断されているが、広大な寺域が残されており、かっての繁栄の一端を知ることが出来る。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編) 平凡社 |
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平林寺本堂。
本尊の釈迦如来坐像は、室町時代初期の作品で、宝塚市の指定文化財である。 |
境内の一段高いところに阿弥陀堂と薬師堂が並んで建っている。 |
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阿弥陀堂。
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薬師堂。
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石造露盤(左側)は鎌倉中期の作と伝えられ、現存する宝塚市内最古の石造遺品。右側の宝篋印塔も鎌倉時代〔1444年(文安元年)〕の銘がある。 |
右の写真の石造露盤の上に乗っていたと思われる薬師堂の宝塔や鬼瓦が並べられていた。
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摂津八十八ヶ所霊場 |
摂津三十三ヶ所霊場 |
頂いた散華 |
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[2006年2月18日参拝] |
[2006年2月18日参拝] |
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