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所在地:京都市左京区岩倉上蔵町
最寄駅:叡山電鉄「岩倉」下車、川に沿って北へ約1.2Km |
実相院は岩倉門跡とも呼ばれ、その寺名の起こりは寺伝によれば1229年(寛喜元年)鷹司兼基の子静基権僧正が円城寺に入壇受法し、実相院と号したことによると伝える。
当初、愛宕郡大門村字上野(現北区紫野上野町)の地にあったといい、その後洛中の五辻通小川(現上京区実相院町)に移っている。現在の岩倉の地に移ったのは門跡の居地であった五辻通小川が応仁の乱で戦火に巻き込まれたためという。
その後、1502年(文亀2年)室町幕府の支配権を巡る内紛で実相院領が一時没収されたり、1546年(天文15年)の兵火に遭うなど室町末期の戦火にしばしば巻き込まれて荒廃した。
江戸寛永年間(1624〜44年)に義尊(足利義昭の孫)が入寺するにあたり、時運も興隆。
義尊のあとに霊元天皇の皇子義延親王が入寺し、以後代々皇孫をもって継承され、伏見宮邦永親王の子義周親王の代に至り、門跡領612石余が与えられている。
明治に入り、寺領、境内地の返納、寺禄の廃止で、寺院維持が困難となり、什宝の一部の売却、持仏堂、什物土蔵、小座敷を除き建物を府立療養病院建設のため献納し、寺観は一変した。
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[参考資料] 『岩倉 実相院』 実相院パンフレット
『日本歴史地名体系(京都市編)』 平凡社 |
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実相院の山門(四脚門)。
この四脚門は1720年(享保5年)東山天皇中宮承秋門院の宮殿を移築した。 |
車寄せは、四脚門、本堂とともに1720年(享保5年)に旧大宮御所から承秋門院の宮殿を移築した。
現存では数少ない女院御所といわれる。 |
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石庭。 |
池泉回遊式庭園。 |
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岩倉駅から実相院への途中にあった山住神社。
社殿はなく、裏山の巨石を磐座(いわくら)と崇める古代信仰の遺跡とのことである。 |
実相院の近くにある「岩倉具視幽棲旧居」。
岩倉具視が公武合体を進める中で倒幕急進派の弾劾をうけ、1862年(文久2年)9月から、1867年(慶応3年)11月まで幽棲した。 |
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実相院に隣接して石座(いわくら)神社が鎮座する。
元は上の写真の山住神社の場所にあったが、997年(長徳3年)に現在地に勧進され、元の石座神社はお旅所となり、明治以降は山住神社と呼ばれている。 |
石座神社本殿。
八所明神本殿(右側)と十二所明神本殿(左側)。
1766年(明和3年)建立のの棟札があり、京都市の文化財に指定されている。 |
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近畿三十六不動尊霊場 |
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[2007年:9月8日参拝] |
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