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史 跡
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国産ビール発祥地 所在地:大阪市北区堂島1丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「淀屋橋」下車、淀屋橋・大江橋を渡り、
左へ、ANAホテル北東側交差点の三角地にあり
梅田は堂島、ANAクラウンプラザホテルの道を挟んですぐ傍の三角地に、「国産ビール発祥の地」と刻まれた石碑建てられている。大阪市教育委員会が建てたもので、 案内文をそのまま引用すれば「わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが、日本人の手によるものとしては、澁谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。
 当初は大阪通商会社で、明治四年(1871)に計画された。これは外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが、実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり、綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の澁谷庄三郎が引継ぎ、明治五年三月から、このあたりに醸造所を設け、ビールの製造・販売を開始した。
 銘柄は「澁谷ビール」といい、犬のマークの付いたラベルであった。年間約32~45キロリットルを製造し、中之島近辺や川口の民留地の外国人らに販売した。」とあった。

 この碑文にも触れられているが、我が国のビールの発祥地と言えば、1869年(明治2年)横浜でビールの醸造製造を開始したのが始まりで、これが現在のキリンビールの前身であるとの話が広く流布されてきている。しかし、これは外国人の手によるもので、日本人の手によるものとしてはこ澁谷ビールが最初であるという。大阪人として自慢すべきことかどうかは別にしてもPR不足は否めない。
[参考資料] 『現地案内板』 大阪市教育委員会
国産ビール発祥地の碑 「渋谷ビール」のラベル
「国産ビール発祥の地」の石碑(左)と現地案内板にあった「渋谷ビール」のラベル(右)。
上記の写真は2年程前に撮ったものだが、後ろに見えるビルが取り壊され、新たに右下のビルが工事中であった。
「国産ビール発祥地の碑」が建つ交差点 「国産ビール発祥地の碑」の傍では再開発が進む
「国産ビール発祥の地」の石碑が建つ(大きな木の所)
交差点。足を止めて、案内文を読む人は誰もいない。
碑が建つ北側(ANAホテルの東側)は現在再開発が進められており、2015年の春には高さ148m、地上31階建てのビルが出来る。

史跡-197/TTL-757

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