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史 跡
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大坂城遺構(1)へ
大坂城遺構(2) 所在地:大阪市中央区大阪城
最寄駅:JR環状線「大阪城公園」下車西へ、天守閣の東側
大阪教育委員会・大阪市経済戦略局・大阪市博物館協会 大阪文化財研究所は大坂城跡の発掘調査を
’13年7月から実施してきており、今回現地公開が実施された。
 今回の調査は大坂城跡の本丸東部に位置し、’84年度(昭和59年度)に実施の調査で見つかった大坂夏の陣から400年を機に、豊臣期詰ノ丸の石垣を再発掘して公開するという「豊臣石垣公開プロジェクト」に先立ち、周辺の遺構の状況を把握するために実施された。
[参考資料] 『大坂城発掘調査 現地公開資料』 見学日 2013年9月21日
徳川期に造られた金蔵 旧陸軍第4師団司令部の建物
発掘場所は18世紀中ごろに建てられた金蔵の東側(建物
の後側)に位置する。
発掘現場の南側は旧陸軍第4師団司令部の建物。
大手前町の現大阪歴史博物館に移転する前の博物館。
その前は大阪府警本部として利用されていた。
豊臣大坂城の石垣出土場所 詰ノ丸の石垣の一部が見える現場 昭和59年に発掘時の写真のパネル展示
(左)豊臣大坂城の石垣出土場所で、説明を受ける参加者。(中)詰ノ丸の石垣の一部が見える現場。(右)現場には昭和59年に発掘時の写真がパネル展示されていた。
徳川期の石列及び石組溝 発掘現場全景
写真の奥の箇所は徳川期(18世紀)の石列及び石組溝。
手前の瓦溜まり(ゴミ捨て穴)からは大量の瓦片が出土し、
中にはほぼ完全な三つ葉葵文鬼瓦も見つかっている。
発掘現場全景。奥に人がいる場所が石垣の出土場所。
手前は旧陸軍車庫のコンクリート基礎。
84年度の調査で出土した豊臣期の遺物 今回の調査で出土した徳川期の瓦
'84年度の調査で出土した豊臣期の遺物。中央の軒丸瓦
の破片には金箔が貼られていたのが確認できる。
今回の調査で瓦溜まりから出土した三つ葉葵文鬼瓦と
軒丸瓦

史跡-198/TTL-758

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