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史 跡
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[更新記録]
・04/06/06
鶴満寺の句碑を追加
・05/1/27
服部天神の句碑を追加
上島鬼貫の墓へ
鬼貫の句碑 所在地
四ツ橋跡:大阪市西区新町1丁目
浄国寺:大阪市天王寺区下寺町1丁目
鶴満寺:大阪市北区長柄東1丁目
服部天神宮:豊中市服部元町1丁目
上島鬼貫は1661年(寛文元年)摂津国伊丹の酒造家の三男に生まれた。本名宗邇(むねちか)、通称は与惣兵衛、別号は仏兄(さとえ)・馬楽童(ばらくどう)・槿花翁(とうかおう))など。
 鬼貫はその在世当時から芭蕉と併称され、真価を高く認められた俳人であったが、彼はあくまで孤高を堅持し、門人を持つこともなかった。
代表作に『によっぽりと 秋の空なる 富士の山』仏兄、『面白さ 急には見えぬ 薄(すすき)かな』『行水の すてところなし 虫の聲』などがある。
 1738年(元文3年)8月、78歳で逝去。大坂・天王寺六万体にある鳳林寺に葬られたとされているが、近年、同じく鬼貫の墓が有る北区・鶴満寺からも、鬼貫(上島与惣兵衛)の名前が記載された過去帳が見つかったとのことで、鬼貫が葬られたのは鶴満寺である可能性もある。
 鬼貫の句碑は生地の伊丹市内には数多く見られるが、大阪で確認出来たのは西区・四ツ橋跡、天王寺区・浄国寺、北区・鶴満寺、豊中・服部天神の4ヶ所であった。

四ツ橋跡に建つ句碑
四ツ橋跡の地鬼貫の句碑

四ツ橋の跡地に鬼貫の句碑『後の月 入りて貌よし 星の空』が建てられている。
この碑は現在は小西來山の句碑と並んで建てられているが、もとは四ツ橋の炭屋橋のたもとに建てられていた





四つ橋跡地の鬼貫・來山の句碑

 「四つ橋」の跡地には來山と
 鬼貫の句碑が並んで建って
 いる。

浄国寺境内に建つ夕霧太夫墓石の句碑 「浄国寺」の鬼貫の句碑
「浄国寺」にある夕霧太夫の墓石の左側面に鬼貫の句『此塚に 柳なくとも あわれ也』が刻まれている。
この句は夕霧没後11年の1688年(元禄元年)に鬼貫が墓に詣でて詠んだものとのことである。



鶴満寺に建つ鬼貫の墓石に刻まれた句
「鶴満寺」の鬼貫の句碑 「鶴満寺」にある鬼貫の墓の背面に『おもしろさ 急には見えぬ 薄かな』の句が彫られている。
この句碑(墓)は、大坂の俳人田原菊翁によって、1819年(文化9年)に建てられた。
残念ながらかなり風化のため、表面の剥離が進んでおり、完全な状態ではない。

服部天神境内に建つ句碑
豊中・服部天神宮境内に鬼貫の句碑「賃とらで 象も田をかえす 動き哉」が建てられている。
これは中国「二十四孝」の一人、舜の孝行に感動して象が田を耕して手伝ったという物語に対して詠んだもので、この句碑は鬼貫に私淑していた伊丹の酒造家梶金兵衛(曲阜)が1867年(慶応3年)に建てている。
服部天神宮境内の鬼貫の句碑

史跡-017/TTL-135

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