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史 跡
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赤穂義士の墓所へ
大石権内の墓 所在地:大阪市北区兎我野町 「円通院」墓地
最寄駅:地下鉄「梅田」OR「東梅田」下車、「お初天神」前の通りを
東へ、新御堂筋を越え、約200M程西寺町通を東へ行くと、左手に
園通院の墓地がある
大石内蔵助良雄(よしたか)の父、大石権内良昭(げんない よしあき)の墓は大阪市内にある。
 大石家の遠祖は平将門を討ち取った藤原秀郷であると伝えられ、内蔵助の曽祖父良勝の代に、笠間藩浅野長重に仕え、大坂の陣の功で家老職1500石取の身分となった。
 祖父良欽(よしたか)は、良勝の跡を受けて、笠間から赤穂に転封された 浅野長直長友長矩の三代にわたって家老職を勤めた。
 その跡を権内良昭が継ぐ筈であったが、家督相続前に34歳で大坂で病没したので、良雄が祖父良欽の養子となって大石家を相続している。
  又、この墓地には大石瀬左衛門の父、八郎兵衛信澄の墓がある。内蔵助と瀬左衛門は親戚関係にあり、内蔵助の曽祖父良勝の 弟信云(のぶこれ)から分かれている。映画などでは義士達をサポートする、無人・三平親子というのが登場するが、 この無人は瀬左衛門の伯父に当たる人物である。
 『実証 赤穂義士』から大石家の系図を作成してみると下記のようになる。
(嫡家は小山久朝から4代目の大石金右衛門の時、織田信長に抗して断絶、新家の祖 大石弾正左衛門朝良は
小山久朝の3男朝重から3代目。)
藤原秀郷‥小山久朝‥(大石)金右衛門
              ‥弾正左衛門朝良−平左衛門良定−兵左衛門一定
                           └久左衛門良信− 内蔵助良勝−内蔵助良欽−権内良昭−内蔵助良雄
                                      └ 信云     −五左衛門良総(無人)ー三平
                                               └ 八郎兵衛信澄-瀬左衛門信清

[参考資料] 『実証 赤穂義士』 佐々木杜太郎著 新人物往来社
円通院の墓地入口 「補陀洛山円通院」の墓地入口。
門前には「大石内蔵助良雄実父権内良昭、大石瀬左衛門信清実父八郎兵衛墓]の石碑が建てられている。
左側が大石権内良昭の墓。右側が大石八郎兵衛信澄の墓と思われるが、破損しており、確認できなかった。 大石権内良昭の墓

史跡-078/TTL-312

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