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所在地:枚方市楠葉野田2丁目
最寄駅:京阪電車「くずは」駅下車徒歩薬30分。東へ約1Km、
バス停「みさき」を北に入り約1Km。循環バス路線もあり |
交野天神社の後方北東境内地に26代継体天皇が507年に即位した楠葉宮跡と伝わる小高い丘がある。
『日本書紀』によると、、25代武烈天皇の死後、大連大伴金村らによって越前の三国から、応神天皇5世の孫、男大迩王(おおど)を迎え、ここ河内楠葉宮で即位した。その5年後に山背国筒城宮(やましろのくにつつき:現京田辺市付近)、12年後に弟国宮(おとくに:現長岡京市付近)に移っており、
大和の国に入ったのは20年後のこととされる。
ただし、この樟葉宮以降の都の移転は『日本書紀』には記載されているが、『古事記』には記載されていないことから、楠葉宮から山城国を経由せず、直接大和国に入ったのではないかとする説もある。
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[参考資料] 『交野天神社 由緒』 交野天神社
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』 現地説明板 枚方市教育委員会 |
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階段の下にある石碑には「比付近継体天皇楠葉宮址」とある。
1933年(昭和18年)に大阪府史跡に指定されている。
下の写真の石碑には「樟葉宮」とあり、「楠葉宮」と表示が混在しており、その理由が良く分からない。
「史跡 継体天皇樟葉宮跡伝
承地」の碑。
この碑は1959年(昭和34
年)大阪府教育委員会の建
立。 |
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上記は平成21年2月に参拝したときの写真。
平成16年に神社の本殿が桧皮葺き替え彩色修理が行われ、色あでやかになっていた。 |
宮跡と推定される場所には末社「貴船神社」が祀られているが、現地の説明板には「貴船神社は村の産土神で穂掛神社とも呼ばれていた。元は現在の天神社があった
所にあったものを、宮跡に移したと伝承されている」とある。社殿の建立年代は不明であるが、一間社流造、桧皮葺で、建築様式から見て、桃山時代に遡る意向と見られ、平成16年枚方市の有形文化財に指定されている。
祭神は高龗神(たかおかみ)と継体天皇が合祀されている。
高龗神と言うのはいかなる神なのか、(おかみ)という字は画数が大変多い漢字である。
拡大すると 龗 となる。
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「楠葉宮跡」に通じる道に建てられている鳥居。
この付近の樹木は、自然のままに茂っていると言った感じで、横倒しに倒れている大木もあちこちに見られた。 |