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所在地:守口市南寺方中通2丁目
最寄駅:京阪「守口」下車、京阪バスで「鶴見緑地」OR
「門真団地」行、「寺方」下車、南へ徒歩約5分 |
喜左衛門は江戸初期、旧寺方一帯12ヶ村の庄屋でその行いにより義民と称えられる。
かっての当地は現守口市域の中でも最低湿地で、排水の便が悪く常に悪水に悩まされ、農作被害にあっていた。その原因は用排水路(中川)の樋の位置にあったので、村民は新たな樋を設けることを度々幕府に願い出たが、認められなかった。
庄屋の喜左衛門は意を決し、1634年(寛永11年)許可なく上流の樋の撤去し、自己所有地に樋を築いた。そのため、喜左衛門は幕府を無視したとして捕えられ、翌年3月15日処刑された。
しかし、幕府は彼の行為はこの地の事情からやむを得ないものとし、敷設した樋はそのまま置かれ「喜左衛門樋」と呼ばれ存続した。喜左衛門を慕って12村の関係者有志により、1882年(明治15年)この地に記念碑を建てられている。
彼の通した樋は中央環状線の築造により、現在ではその姿を消してしまっているが、時代の流れとして割り切るには忍びないものがある。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
『現地解説板』 守口市 |
住宅地の一角に記念碑がある。 |
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右の13重塔は「喜左衛門350回法要」をを記念して建てられている。 |
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1882年(明治15年)に建てられた記念碑。 |
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喜左衛門記念碑の横にある石塔(宝篋印塔)。この石塔は和泉式部の供養塔と伝えられ、現地の解説板では 「康永三年(1433年)願主沙弥道延」の銘が彫られているとの事であったが、風化が進み判読困難であった。 |
「喜左衛門330回忌」を記念して建てられた碑。 |
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同じ敷地内にある「寺方提灯踊発祥之地」の碑。 「寺方ちょうちん踊り」は守口市の無形文化財第1号にもなっている。
踊りの起源については、「喜左衛門」の霊を慰め、その徳を後世に伝えるため、村人たちが踊り始め、何百年もの間、引継いで今に伝わっていると言われている。 |
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元喜左衛門碑が通っていた門真市桑才新町、中央環状線の分離帯の中に建つ「喜左衛門碑之跡」碑(左側)と顕彰碑(右側)。碑文によると『この樋は長さ(碑の幅のことか?)4間2尺2寸、内法1尺7分
3年ごとに修理することなど定められていた』という。 |