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史 跡
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鵺 塚 所在地:大阪市都島区都島本通3丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「都島」下車、東南方向へ徒歩約200m
『平家物語』によれば、平安末期の1153年(仁平3年)、京都の御所・紫宸殿に夜ごと鵺(ぬえ)という
怪獣が現われ、近衛天皇を夜毎悩ませていたが、侍臣の源三位頼政が矢で射落としたところ、この鵺は頭はサル、胴体はタヌキ、四肢はトラ、尾はヘビの姿であったという。
 その後の話として、江戸初期の地誌 『芦分船』には、この怪獣を丸木船に載せ、淀川に流ししたところ、当時湿地帯であった当地、旧沢上江(かすがえ)村(滓上江村とも書く)に流れ着いたので、タタリを恐れた村人たちは、土に埋め祠を建てて「鵺塚」と呼び、ねんごろに祀ったと紹介されている。
 現在の塚は、明治の初め大阪府が改修したもので、祠も1957年(昭和32年)地元の人々により、改修され、現在にいたっている。
 怪獣を退治した源頼政は摂津源氏源仲政の長男で、保元・平治の乱に功をたて、後に以仁王後白河天皇の第3皇子)を奉じて平氏追討を図り、三井寺の僧兵と共に宇治平等院に在ったが、計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討を受けて大敗を期し、1180年(治承4年)平等院の境内で自刃を図った。時に76歳の老齢であった。辞世の歌は「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに みのなるはてぞ 悲しかりける」。墓は平等院境内にある。

[参考資料] 『現地案内板』 都島区役所
ぬえ塚全景 ぬえ塚
鵺塚のある場所は、都島本通りの交差点からは直線では行けず、少し探したところ、商店街を過ぎ、住宅地の一角にあった。
鵺塚は芦屋市にも同じような話が伝わっているとのことで、江戸時代の地誌『摂津名所図会』などにとりあげているが、その見解は「いづれも論ずるにたらん」 と否定的にとらえられているが、このような民間伝承が現在まで脈々と伝えられていることは、鵺も安住の地を得て、地元の人々にとっての守り神に昇華しているのではないか。
大阪港紋章 大阪港紋章のアップ

右の写真のアップ
紋章を持つ左右の動物が鵺。
現地の案内板によれば「鵺はデザイン化され、大阪港の紋章として使用されている」とのことだが、おどろおろどしい怪獣も愛嬌のある動物になっている。
1980年(昭和55年)フランスのル・アーブル港との間で姉妹港提携を調印するにあたり、記念に交換する盾やオリジナル記念品のデザインに活用する目的で、最も大阪港を印象づけるのに相応しい図案として決められた。
再現された農業水門 農業水門のアップ
上記の写真は、鵺塚とは直接関係ないが、都島本通りの交差点の角(東京三菱UFJ銀行の前)に農業水門が再現されていた。現地の案内板によると「この地は、淀川の水利に恵まれた田園地帯で、1925年(大正14年)市域における大阪市土地区画整理第1号として、都島区画整理組合が設立され、道路や公園など市街地の基盤形成事業が進められた」とあり、古くから淀川の水利とは切っても切れない関係にあったことからも、上記の『鵺伝説』も他の地方の伝承よりも説得力を持つようだ。

史跡-189/TTL-723

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