天保山(てんぽうざん)は国土地理院発行の25000分の1地形図に記載されている二等三角点標石をもつ山の中では、日本一標高の低い山として知られている。
この山は1831年(天保2年)から2年間かけ、船の航路を確保するために、大阪港に接した安治川の土砂が積み上げられて出来た、人工の山で当時の高さは約18mあった。
この川さらえのため、幕府のてこ入れも然ることながら、鴻池、住友、三井などの豪商からの寄付をはじめとし、大坂町民挙げて費用の拠出で2357貫333匁あまりが集まり、延べ10万1200人もの人足が参加する大事業になったと伝わる。川さらえ以降は、桜が植えられたり茶店が設けられるなど、四季を通じて大坂町民(市民)行楽の地として賑わったという。
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