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所在地:大阪市生野区勝山北3丁目
最寄駅:JR環状線「桃谷」下車、勝山通りを東へ、 |
御勝山(おかちやま)は岡山とも呼ばれ、上町台地の東側を北に向かって派生する標高6mあまりの丘陵の上に、約7mほどの高さに築かれた前方後円墳である。
江戸時代の『摂津名所図会』などではこの古墳は中臣氏の祖「大小橋命の墓」であるとの伝承を紹介しているが、勿論真偽の程は定かでない。
大坂冬・夏の陣で徳川秀忠の陣所となたっため、墳形が著しく破損されたとの事であるが、現状は御勝山の南側を横切る道路で完全に分断されており、北側の後円墳の方は、かろうじて原型をとどめている。因みに御勝山という名は大坂夏の陣で徳川方が勝ったことに由来するといわれる。
1973年(昭和48年)に行われた調査では全長約120m(周濠を含めれば約150m)、後円部の径は約54.5mと測定されている。古墳は5世紀前半に築造されたと推定され、大阪府の史跡に指定されており、保護のため後円墳の周囲は柵で囲われ、中に立ち入ることは出来ない。
余談だが、今から40年数年前、夏休みの自由課題で、古墳探求をテーマに大阪市内や府下の古墳を訪ね歩いたが、この古墳は岡山の名のごとく単なる禿げた小山の状態であり、沢山の子供達が登って遊んでいたのを記憶している。そのとき撮影した写真が残っていないのが惜しまれる。
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標 高:13.3M
登頂日:2005年11月18日(登頂できず) |
25000分の1地形図名:[大阪東南部]
経緯:北緯34度39分15秒、東経135度32分9秒 |
[参考資料] 『現地説明板』 大阪市 |
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勝山通りから見た古墳の正面(西側)。 |
古墳の前は児童公園になっており、遊戯施設も置かれている。 |
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東側に回ってみたが、雑木林が生い茂り、人を全く寄せ付けない雰囲気である。 |
なにやらいわくのありそうな石碑が見えたが、夕方の所為もあり、暗くて何が彫られてあるのか確認は出来なかった。 |
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勝山通りを隔てた御勝山南公園に建てられている釈超空(折口信夫)の文学碑。
(この位置は古墳の方円部の周濠部分に当たる)
『小橋過ぎ、鶴橋生野来る道は、古道と思ふ見覚えのなき』(大阪詠物集のうち、「舎利寺」より); 1982年(昭和57年)の建立。
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