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山 歩 き
河内の山
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竜王山 所在地:交野市寺
最寄駅:京阪交野線「河内森」下車、ORJR学研都市線『河内磐船』下車、河内磐船駅前の広い道を北へ約800M右手に曲がり集落を集落を抜けると住吉神社あり、神社から山頂まで約30分
交野三山の1つ竜王山は信仰の山である。伝えるところによれば、826年(天長3年)ここ河内交野から大和の一帯が日照り続きが続き、干ばつによる村人たちが苦しんでいるのを聞いた第53代淳和天皇弘法大師を呼び、交野地方に雨が降るように祈願する事を命じられたという。
 弘法大師は、早速竜王山に登って八大竜王を祭り、雨乞いをしたところ、一天にわかに掻き曇り、雨が降ってきた。弘法大師はその功により、傍示の里に八大竜王を祭る寺を八葉蓮華寺を建立。その下に八つの坊を建てたと伝わる。それ以来、ふもとの村では干ばつのたび、雨乞いのため、この竜王山に登ったという。
 竜王山山頂にはあちこちに花崗岩の巨岩が見られ、現在に至るも修験者が修業したといわれる場所に相応しい雰囲気があり、修験者が篭った岩屋などが残されてる。

標  高:321M
登頂日:2006年9月30日
25000分の1地形図名:[枚方]
経緯:北緯34度46分40秒、東経135度42分12秒
交野三山
交野市内から交野三山を望む。竜王山は右端の山
 
住吉神社 貝掛の道入口
竜王山への道はかいがけ(峡崖)の道を行く。道の入口にある住吉神社(左側)。
この道は、大和と河内を結ぶ重要な交通路として、古代には修験の道、奈良・平安時代には紀州熊野神社へ詣でる「熊野街道」、そして天正年間(1573〜92年)織田軍と戦った武将たちが馬かけ道とするなど多くの人たちが往来したといわれる。また、大和に大仏が建立されるときも、仏師たちが行き来したと伝えられている。
入り口の古い道標(一番手前)のには「やまと道」と彫られている。
かいがけ地蔵 竜王山山頂への分岐点
かいがけ地蔵。
この場所にはこの地蔵さん以外に沢山の地蔵が祀られてあった。
竜王山山頂への分岐点にある鳥居。ここから一気に山頂を目指して登っていく。この鳥居をうっかり見逃し、かいがけ道をそのまま直進したため、傍示の集落に出てしまい、引き戻る羽目になってしまった。
竜王山山頂竜王石

竜王山山頂-2
竜王山山頂にある竜王石。弘法大師が雨乞いをしたとの伝えがある。 山頂を示す木札。下半分が欠けている
山頂の巨石

傍らの木には竜王山山頂を示す木札が架けられていた
修験者の篭った岩場
巨岩には「弁慶岩」や雷が小便をかけた「いばり石」など名前が付けられているらしいが、現地には何の立札もなくどの岩がどう呼ばれているのは分からなかった。 山伏が修業のため篭った岩場と伝わるが、古墳の石室を利用したものと思われる。
ごみの木地蔵 傍示の集落のあぜ道
かいがけ道の道端建つ「ごみの木地蔵」。
傍示の集落のあぜ道には丁度彼岸花が満開で、見ごろであった。
八葉蓮華寺 かいがけ道を更に上り詰めると傍示の集落に出る。
この集落のはずれにある氷室山八葉蓮華寺は、831年(天長8年)の創建と伝わる。建暦年間(1211〜13年)に比叡山延暦寺の僧兵により焼かれたが、1321年(元亨元年)に再建されたと伝わる。

八葉蓮華寺には1983年(昭和58年)の調査で発見された、国の重要文化財である阿弥陀如来立像(鎌倉時代)が保存されている。
境内の解説板によると、「ヒノキの割矧造(わりはぎづくり)。左足ほぞ部に『巧匠アン(梵字)阿弥陀仏』の墨書が発見され、快慶の作と判明した」とあった。

山歩き-018/TTL-506

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