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所在地:堺市堺区大浜北町4丁 大浜公園
最寄駅:南海本線「堺」下車、駅西口に出て、国道26号線を南へ、
大浜北町の交差点を西に入る |
蘇鉄山は一等三角点が設置されている山では日本一低い山である。(天保山は二等三角点)
現地の案内板に拠ると、「蘇鉄山は大阪湾に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所で1879年(明治12年)に大浜公園として開放され、展望のよい築山として整備された」とある。
かっては、ここから大阪城、生駒山、葛城山、俎石山、六甲山などが展望出来たという。
一等三角点については、元はこの蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山に1885年(明治18年)に設定されたが、その後、御蔭山が削られ、1939年(昭和14年)三角点はこの蘇鉄山に移設された。
なお、御蔭山は天保山と同じく、天保年間に港と水路浚渫により造られた人工の山であった。
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標 高:6.84M
登頂日:2009年7月7日 |
25000分の1地形図名:[大阪西南部]
経緯:北緯34度34分48秒、東経135度27分41秒 |
[参考資料] 『現地説明板』 堺市 |
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大浜公園ないにあるプール。
このプールの向こう側が目指す蘇鉄山である。 |
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蘇鉄山の登山口。 |
蘇鉄山の一等三角点 |
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蘇鉄山の山頂はこの岩の上と思われる。
三角点のあるところより、更に1m以上は高いと思われる。 |
山頂付近ではゴルフのパターを練習している人が見受けられた。
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御台場が造られたときに築かれた石垣と外堀。 |
山の中腹に建つ「堺 南台場」の碑。 |
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上の写真の蘇鉄山の登山口の反対の斜面に建つ『擁護璽(ようごじ)』。右の写真はその裏面、江戸末期の嘉永地震の様子が書かれた石板が嵌めこまれている。
1854年(嘉永7年)11月4日(旧暦)東南海地震、翌日5日に南海地震が発生。大坂では2000人に近い死者が出た。堺ではそれ程大きな被害が出なかったが、5日の大津波の様子と、強い地震が起きた時の避難場所などの対処方法を後世に伝えている。 |
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浜寺公園内に建つ「樺太犬慰霊像」。
第1次南極越冬隊(1957年2月15日〜58年2月11日)に協力した樺太犬15頭の霊を慰めるため、堺在住
の獣医で彫刻家の岩田千虎氏が1958年(昭和33年)7月に制作、堺市に寄贈された。
当初はコンクリート造りで仕上げられていたが、風化が著しくなったので1987年(昭和62年)、原型像に忠実にブロンズ像で復元された。 |