|
所在地:大阪府柏原市雁多尾畑(奈良県生駒郡三郷町)
最寄駅:JR大和路線「三郷」下車、徒歩で山頂まで約30分 |
三室山は河内国中河内郡(現大阪府柏原市)と大和国生駒郡(現奈良県三郷町)の県境に位置し、生駒山脈の最南端部を占める竜田山(立田山)の一部をさして、三室山と称し、龍田神社の神域で、古くより人々に崇め、親しまれたところである。古代より竜田山を越えて河内国大県郡(現大阪府八尾市など)に通じる道を「竜田越」と称し、「亀の瀬越」とも呼ばれた。
『和州旧跡幽考』*に「本宮より4町ばかり。三室は神の社をいへり。三室山は神のいます山(神奈備山)なり」とあり、『新勅撰集』にある「竜田川 みむろの山の近ければ 紅葉を浪に染めぬ 日ぞなき 関白左大臣」の歌を載せている。ここで歌われている竜田川は現在の竜田川(大和川の支流)ではなく、大和川本流のことである。
三室山は歌枕で、『古今集』、『後拾遺集』に「たつた川 もみぢばながる 神なびの みむろの山に 時雨ふるらし よみ人知らず」、「嵐ふく みむろの山 のもみぢ葉は たつ田の川の 錦なりけり 能因法師」などと詠まれているが、現奈良県斑鳩町西南隅、竜田川西岸にも三室山(標高28m)があり、三室山の本家争いが行われている。 |
*(注):『和州旧跡幽考』1681年(延宝9年)に刊行(実際は翌年の1682年(天和2年))された「大和名所記」。内容は20巻から成り、大和15郡にわたり大小の旧跡寺社について記している。
著者の林宗甫は大和郡山の俳人で、屋号を蝋燭屋と称した。
|
標 高:137.2M
登頂日:2010年5月7日 |
25000分の1地形図名:[信貴山]
経緯:北緯34度35分22秒、東経135度40分38秒 |
[参考資料] 『現地案内板』
『日本歴史地名体系』奈良県の地名編 平凡社 |
|
三室山へは、交通の便が良い奈良県側から上ることにした。
JR三郷駅から大和川沿いに西へ歩いていくと大正橋のへ出る。三室山へは右手に折れ、山手の方へ住宅地の中を歩いて行く。
大正橋から正面に見える山が三室山と思われるが、頂上にある展望台も見えず、確証はない。 |
|
|
住宅のはずれに登山口があった。 |
きれいに整備された登山道。 |
|
|
三室山山頂にある見晴台。 |
展望台の横にある四等三角点。 |
|
見晴台からは奈良県側の町が良く見えた。手前は三郷町、ビル街は王子町、その奥は河合町。 |
|
|
山頂から大阪府側に下る道。奈良県側に比べ、整備は行き届いていると言えない。 |
見晴らし台の傍、明らかに奈良県側と思われる位置に、大阪府の消防組合の看板があった。 |
|
|
奈良県側の登山口の近くにある三室山古墳。
写真は三室山2号古墳(径18m、高さ2mの円墳)の石室開口部。 |
写真は三室山3号古墳(1辺20m、高さ2mの方墳)。
石室は1部が見えるのみで、全体は埋没している。 |
|
JR三郷駅前の噴水の中に能因法師の歌碑があった。
「嵐ふく みむろの山のもみじ葉は たつ田の川の錦なりけり」 |
駅前通りを西へ200m程行くと右手にある高橋虫麻呂の歌碑がある。
「吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落(吾が行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風に散らし)」
この碑は1985年(昭和60年)に万葉学者犬養孝の揮毫にて、立野農住土地区画整理組合により建立されている。 |
|