
イラスト!
さて、中学校の同窓会は?となると、どうも卒業してから35年位はなかったのでは
ないかと思う。
「‥‥ のではないかと思う」とはいささか心もとない話だが、実は私はこれまで同窓
会にはまだ一度も出席をしていなかったのだ。
だから、このことについてとりたてて関心もなく、記憶も曖昧となっているのが現実。
特にこれという欠席の理由もないのだが、強いて言うなら昔を懐かしむより、今現在
大勢の人との交流もあり、必要性を感じていなかったからかも知れない。
だから、3年前の同窓会の時も、同級生の「I君」に強く誘われたものの、結局最終的
には断って欠席をしてしまった。
それから3年、今回も案内状が届くと「やっぱり欠席しよう」と固く心に決めていた。
ところが締め切り間際に例の「I君」から電話があり、「もう歳もとしだし、ここらで
行っておかないとその機会もなくなるよ」とか「お前が行かないと俺も連れがいない
から」とか、最後は泣きを入れてきたので、流石に今回は断りきれなくなってしまった。
さて、その「I君」のことだが ‥‥‥
勿論、同級生であることには違いないのだが、小学校・中学校を通じて特別親しかっ
たわけでもないし、あまり一緒に遊んだ記憶もない。
30年ほど前に小学校の同窓会があって、名簿が配られたのを機に彼からの年賀状が
私の家に届くようになった。
しかし、その後もそれ以上の付き合いは特になかった。
ただ、1〜2年に一回程度は彼から電話があり、電話の中での彼の口癖は、「俺のおふ
くろがお前のお袋に世話になったといつも言っているよ」だった。
そして数年前彼から喪中の葉書が届き、そこには「おふくろが最期まで感謝していたよ」
と手書きで付け加えてあった。
話は戦時中まで遡ってしまうが、彼ら一家は戦火で家を失って、浜松から疎開して
来た人達で、県営の仮設住宅のような所に住んでいたが、大勢の居住者の中でも特に
私のおふくろが親しくしていたことは、おぼろげながら覚えている。
ただ、「感謝しているよ」という「I君」の言葉は少々オ−バ−な外交辞令と考えておく方が
良いとこれまで思ってはいたが ‥‥‥
同窓会の当日、酒を呑まない私は彼の家に迎えに行くことにした。
これまで電話での会話があったといっても、顔を合わせるのは小学校の同窓会以来の
30年ぶりであり、お互い顔が判るかいささか不安になる。
せめて車種だけでも言っておけばよかったと、後悔しながら教えられた家の近くまで
くると、見通しのよい脇道から手を振りながら、彼は小走りに私の車に近づいてきた。
小柄な彼の姿はすぐに私には判ったが、彼はどうして私を見つけることができたのか?
そんなことを考えながら車を停めると、開口一番彼は「親父さんに似てきたな-」。
そうか、彼はそれで自分を見つけることが出来たのだ、しかもガラス越しに。
改めてル−ムミラ−に映った自分の顔を見てしまう。
久しぶりに再会したので車の中でも話が弾むが、一瞬間をおいたあと彼は ‥‥‥
「俺も3月生まれだからまたひとつ年をとるな-」とつぶやいた。
2月生まれの私は「ん、俺の方が一ヶ月兄貴か?」と言う。
彼は「いやいや、俺は栄養失調で学校を一年遅らせたから本当は一年上だ」と言った。
ここで私は初めて、「おふくろが感謝していたよ」という彼の口癖と、その言葉の本当
の意味を知ることとなった。
昭和20年、私と彼はこの年に小学校に入学し、そして終戦を迎えた。
農家といっても決して食べ物が満ち足りていた時代ではないし、父親に持病があり、
また長兄が出兵という我が家だから、おふくろの苦労は大変であったと思う。
戦災で家を失ったI君の家も、これまた口では言えない苦労の連続で、「食べるのが
やっと」ではなく、「食べることさえままならない」時期であったそうだ。
買出しに行ってもそう簡単にものが買える時代ではなかったと彼は話す。
何度も何度もお願いして最後には「うるさい」と石を投げられたこともあったとか。
途方にくれての帰り道、私のお袋に分けてもらった野菜やたけのこなどが、宝物のよ
うだったと彼は言う。
いや、そんな風に彼は当時の母親の気持ちを代弁して話してくれた。
そういえば、買出しをした帰りの彼の母親と、畑に腰を下ろして話をしている私のお
袋の姿をよく見かけたことがある。
今考えれば私も「これ、I君の家に届けてやれ」、と何度かお袋に野菜を渡され彼の家に
届けたことを思い出す。
我が家の僅かな食糧の中から、自分より困っている人にと考えるおふくろの姿に、彼の
母親はずっと感謝の念を抱いてきたのだろうが、考えてみれば生涯その時のことを忘れ
ずに、感謝の気持ちを持ちつづけた彼の母親にも、今は頭が下がる思いだ。
<メモ>
卒業して50年目の同窓会、街には成人式帰りの晴れ姿が、そしてこちらは老人式か!
次回はまた3年後とか。