小玉スイカの子供が出来ました


    


一本の苗から2個収穫するそうですが、我が家のスイカ

7個ぐらいになりました。初なりはおろぬくそうですが

もったいなくてとてもとても......。

全部の玉に栄養が行き届くのか心配です。

 
 大きくなるのが楽しみです。




向川寺参道にある大銀杏


黒滝部落の入口にある向川寺は奥の細道で松尾芭蕉が訪れた名刹である

この山門にある大銀杏は樹齢600年とも言われる巨木で

町指定の天然記念物となっている。

その他に、この黒滝山には、県指定天然記念物「向川寺の大カツラ」や

町指定の「向川寺のからかさマツ」をはじめとする豊富な

樹木群があり、美しい景色を見せている所である。




   

    樹根が剥き出し状態となっており      年代を感じさせます           奥の白い建物が仏舎利塔です

 

「奥の細道」尾花沢、大石田編


松尾芭蕉の「おくの細道」の旅は元禄二年1689年(315年前)の

3月27日
に江戸を発した。 

堺田から尾花沢に入ったのは5月17日(陽暦7月3日)

尾花沢には5月27日までの10日間滞在した。

5月27日には尾花沢から山寺立石寺へ向う。

途中で
「まゆはきを俤にして紅粉の花」を詠む。

また山寺では
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んでいる。

5月28日山寺から大石田へ向い

午後二時に大石田の一栄宅へ着いた。

翌5月29日には黒滝山向川寺へ参拝する。

曾良は疲れていたので同行しなかったと記している。

黒滝山向川寺は大石田の

対岸にある

曹洞宗の古刹である。

その向川寺の北東側に50m行ったところに

アトリエがある。

芭蕉と

同じ道を歩いている。


5月30日、朝くもり、午前8時に晴れる。歌仙「さみだれを」満尾した。

さみだれをあつめてすずしもがみ川を発句とする四吟歌仙

(芭蕉、曾良、一栄、川水の4人で詠む)   「さみだれを」を

「わりなき一巻残しぬ」として、芭蕉が自ら淨書して大石田に残した。

旅の途中で、芭蕉が真筆の懐紙を旅の記念として残した唯一の歌仙である。

ここ大石田での出来事は、旅を振り返っておくの細道を書いた時

「このたびの風流ここに至れり」と

深い思い出を
いだいた歌仙でもある。

6月1日午前8時に芭蕉と曾良は

大石田を出発して新庄に向うのである。


向川寺からの山道

                



大石田の最上川河畔に復元された舟番所跡



                                    2004,6,27現在

     

夏の風物詩 じゅんさい摘み


大雨のあと


2004年7月18日に2〜3日前から降り続いた雨が

最上川で氾濫、舟大工小屋も水びだしとなり、

船と材料は岸に移動した。

畑のジャガイモや野菜ものはダメかなあ、と云っていたが

その他に大きな被害は無かった様である。



      




7月26日アトリエ裏にカミナリが落ちました


2004年7月26日夜、アトリエの裏の杉林に落雷

杉の木の上部が飛び散り、周りの木に引っかかっていて、

少し下から縦に裂け庭の方に倒れてきた。

幸いにも不在の時の出来事で、どのような衝撃があったか

知らなくて良かったと思う。

木から家まで6〜7メートル位しか離れていない

停電もブレーカも落ちなかったが、ボイラーのヒューズが切れていた。

ヒューズが切れただけでなく、ボイラーは基盤が壊れ

そっくり交換しなくてはならなくなった。

危ない   危ない   !!!      くわばら、くわばら......。



                                             


大石田の夏の終わりに



  

                    堰堤にも場所取り、打ち上げは対岸から                     




 
         
                  最上川を幻想的に流れる「灯篭流し」



今年の花火は特に盛大に思えた。最後の二尺玉10連発はお見事。

                         2004.8.16