書    の    話




書をしていると、書にかかわるいわゆる文房四宝といわれる

道具類が少しずつ増えてくる。いや集める楽しさが加わって来る。

私は蒐集家でもないので必要な物ぐらいしかないが

それでも適当に集まるものである。

筆、硯、墨、紙これが文房四宝だが、それに加えて

法帖類や拓本、水滴などなど、家の中を見渡すと

ほとんどこれまでの作品や額、紙、法帖に占領され、ゆっくりと

身を置く場所もない状態である。






落款の石を大量にいただく

近所の方より、仕事をやめたハンコやさんが持っていた落款を譲っていただきました
そのハンコやさんは篆刻をやっていたらしく、書展出品用の大型の印材等もあり
まだ彫りかけの物や、字を入れた未刻の物などもあり、参考になるもの多数あり
これから自分なりに刻して見ようかと思っている。  
                 2010,3,16


   









@ 筆について


筆の種類はどのくらいあるだろうか、形や毛の違い

大小等を考えると相当な数になるようだ。

実際書道具屋さんが持ってくる筆も色々あるし、これは

こういう時に使っていいかなと思いつつ求めたりしている。

いつも使っている筆でも、書く紙の質やサイズ

字体や表現方法によって筆を選ぶ必要があるし

どの筆がいいか試したりもする。

筆によって作品の

表情が大きく変わってくるのである。




  


私の筆架

産経展で準大賞を戴いた「澄明」は右の大きい筆で書いています。



A墨について

その1



書を始めた時に国井誠海先生に進められた墨は

唐墨の「鐵斎翁書画寶墨」でした。

紙は毛辺を使い、墨色を少し淡くすると発色の良い、なんとも

上品な色合いになる。紙との相性がすごくいい墨である。

この鉄斎墨も色々な種類があって、製造所によって名称が

鐵斎翁書画寶墨」とか「鐵斎翁寶墨」だったりする。

上部に「油煙一〇一」とある。一〇一は一〇〇+1で

中国では最上の意味を表す数字のようだ。

この墨はこの名が示すように

日本の「富岡鉄斎」が作らせた墨で、非常に評判がよい事から

以来製造が続いている。





  




その2


墨は大きく分けると「油煙墨」と言われる油を燃やして作られる墨と

「松煙墨」と言われる松脂から作られる墨、

それに「色素を加えて作る墨」がある。




   

榊 莫山監修の墨「母情」呉竹製青墨です。

青墨といっても発色はまちまちであり、この墨は「深みがあり落ち着いた蒼」で

格調のある「にじみ」があり、用紙との兼ね合いでどのような表情を見せるか、

作品作りが楽しみです。



       

 木村白嶺先生から頂いた中国の墨        昭和51年製の奈良墨「青墨」 

かなり古い墨のようで、どのような色調を見せるか.....。

古墨には「墨精が宿る」とも云い、なんとも云われぬ古墨色を発するものである。






墨に色を練りこんで作られた「彩煙墨」




B硯について


硯は中国の端渓が有名である。

私も何面か持っているが、同じ端渓といっても

時代や産地によって「色や模様」など、さまざまな物がある。

墨の磨り具合もそれぞれ違い、墨色やにじみの相性を

探しだすのも書の楽しみであり、

独自の墨色を見つけだせばしめたものである。

その他にも「キュウジュウ硯」や「チョウデイ硯」などもある。

わたしの持っている「草色っぽい硯」はなんだろう。

硯の値段もピンキリであるが、以前から比べると

ずいぶん安くなってきているようだ。

日本産では、雨畑や赤間、雄勝があるが、山形でも黒鴨硯がある。

これは白鷹の深山で採取され、真っ黒の硬い石の硯である。

面の肌触りはいいのだが、鋒鋩が少し薄いか

墨のおり方は少し弱いように思う。

今でも採取しているのだろうか

私が求めたのは大分前で、山に入り沢から石を採取して

背負って持って来るのが大変と言っておられたが。





    

持っている硯はいずれもシンプルな作りの物がが多い            草色っぽい硬い石の硯です 


 
C紙について

私が使っている紙は中国のものが多い。

淡墨という手法を使った作品作りをしているため、どうしても

にじみが出て、発色のいい紙を求めると中国の画仙紙ということになる。

中国の画仙紙も色々あるが「紅星牌」が特に良い。

これはにじみがきれいに出て、墨色の色合いが上品な色調になる。

しかし、思った様なにじみや墨色はなかなか出せない。

墨と硯そして紙との相性、さらにはお天気によって

大きく左右されるのである。

特徴のある墨色やにじみが出てくれればしめたものだ。





D 法帖について


書を学ぶときの参考書として使われるのが法帖である。

法帖の内容については、これまでに研究者によって語り尽くされて

いるので、それらを参考にすればいいのであるが

私ども現代書を学ぶ者にとって、法帖のあり方は、どう捉えたらいいのか。

私は、法帖は書をする場合の基本的スタンスとしての古典であり、

その上に立脚した形で表現される書でありたいと思っている。

法帖から学ぼうとしていることは「字形」「線質」を形どっている「筆法」を

特に意識している。それと「法帖の持つ雰囲気」です。

目的を意識して取り組まないとなかなか進展しないのである。

それと繰り返し繰り返し継続してやる事です。

これをやらないと書が下手になるようで不安になるのです。



                  




       





          





E折帖に王義之の「黄庭経」を臨書




以前に求めていた白紙の折帖に、何かを直に書こうと思っていたのだが

昨年から正月にかけて王義之の黄庭経の臨書を書いてみた。

折帖の紙質が、にじみがあり、その為墨の吸い込み強く書きずらく

切れ味は出せなかった。












水       滴

水滴を少しだけ集めたことがある

   

 山辺の五玉窯製「三島」 直径で12cm位あり、大ぶりの水滴である。

右のは焼〆の素朴な水滴であるが、どこの窯か忘れました。

注ぎ口が随分下にあるので、水の量は少なめか。

                                                                                                                   


       

骨董で求めた中国製と表面に金が見える小ぶりな水滴。          





益子焼きの水滴、栃木を旅した時に益子で求めたもの

益子焼き独特の肉厚の素朴な風合いが伺える、大ぶりの水滴 
         



   

美濃「温故焼」は「直子ちゃん」に頂いた小ぶりの水滴、注ぎ口が

短いが端整な形をしている。

右のは平清水焼きは、渋い色調のこれも大ぶりの水滴で、注ぎ口が

1箇所あるだけでの形であるが、水の出はすこぶるいい

どうなっているのか。