愛情表現のしかた



皇宮の一室に突然召集されたC.C.とスザクは、ルルーシュに胡乱な視線を向けていた。
その横には、普段と変わりなくジェレミアが床に片膝を着いた姿勢で控えている。

「なにかあったのか?」

突然の召集の意図がわからずに、ジェレミアの存在をちらちらと気にしながら難しい顔をしているルルーシュにスザクが尋ねれば、ルルーシュは手に平の中に隠し持っていたハート型の物体をC.C.とスザクの前に曝した。

「そ、それは・・・」
「・・・誰に、あの薬を飲ませたのだ?」

顔を引き攣らせているスザクの言葉を引き取って、C.C.は怪訝な表情を浮かべている。
この部屋には、ルルーシュに呼び出されたスザクとC.C.、それに先にいた呼び出した本人とジェレミアの4人しかいない。
スザクとC.C.は当然薬を飲まされていないし、ハートを手にしているルルーシュは問題外だ。
残っているのはジェレミア一人だけだが、いつも通りルルーシュの傍に控えているジェレミアに”心”を奪われている様子は見受けられない。
二人が首を捻っている間にも、ルルーシュは傍にいるジェレミアを窺うようにじっと見つめていた。

「・・・まさか、それってジェレミア卿の?」
「そのまさかなのだが・・・何の変化も現れないから困っているのだ」

二人をこの部屋に呼び出す少し前に、ルルーシュはジェレミアに例の薬を飲ませたのだが、零れ落ちた”心”をルルーシュが拾ったにもかかわらず、ジェレミアには何の変化も現れなかったらしい。
しかし、薬の効き目があることは確実で、”心”を奪われてからのジェレミアはルルーシュの呼びかけに反応は示すものの一言の言葉も発していなかった。
その答えを求めるように、ルルーシュは薬の元の持ち主であるC.C.に視線を向ける。

「こいつは半分機械だから効き目が弱いのではないのか?生身の人間への投与実験は検証済みだが、ジェレミアのようなタイプの人間への投与はやったことがないからなんとも言えない・・・」
「それでは薬を飲ませた意味がないではないか」
「そんなことを私に言われても・・・」

少し困ったような顔をしながら、C.C.はルルーシュの手にあるジェレミアの”心”をしげしげと見つめる。
見た目は他の”心”となんら変わりがない。
首をかしげながらC.C.はルルーシュの掌からジェレミアの”心”を取り上げて、今度はそれを光に翳して、透けた内部を観察するように凝視した。
それで何がわかるのだろうと、不思議そうな顔をしているルルーシュの傍でそれまで控えていたジェレミアが急に立ち上がった。

「ジェレミア?」

突然のことに呆気にとられながらその行動を目で追えば、立ち上がったジェレミアはC.C.の目の前で片膝をついて深々と頭を下げる。

「・・・なんだ、そういうことか」

目の前のジェレミアを見下ろしながら、C.C.は、クスリと笑みを零した。

「なにがどうなって・・・いるのだ?」
「こいつにもちゃんと薬は効いていると言っているんだ」
「これで、か?」

C.C.の前で畏まっているジェレミアを見ながら、ルルーシュはまだ納得がいかない様子で、疑わしそうに顔を顰める。
それを見ながら、C.C.がジェレミアの目の前に手を差し出すと、ジェレミアは差し出された手をとって、くちびるを落とした。

「お前がどう思っているかは知らないが、これがジェレミアの愛情表現のしかたなんだろう」

ジェレミアの頭を撫でながら、C.C.は満更でもなさそうな顔をして微笑んでいる。
まるでペットを扱っているようなC.C.の仕草に、ルルーシュはムッとした。

「頭を撫でるな!」
「なにを怒っているのだ?お前がいつもしていることではないか」

不機嫌な顔をしたルルーシュの顔を見て、C.C.はクスクスと笑っている。
それまで遠巻きに様子を窺っていたスザクに手招きをすると、ルルーシュに向かって意地の悪い笑みを浮かべた。

「スザク。お前も撫でてみるか?結構さわり心地がいいぞ」
「え・・・ぼ、僕?・・・僕は・・・」

ジェレミアの”心”を差し出すC.C.に困惑しながらルルーシュの顔を見れば、もの凄い形相でスザクを睨みつけている視線と目が合った。
ここでうっかりそれを受け取ってしまったら、ルルーシュに殺されても文句は言えない。
それくらい、ルルーシュの瞳には殺気が漲っている。

「ぼ、僕は、遠慮しとくよ・・・」
「・・・そうか?傅かれるというのもなかなか気持ちいいものだが?」
「・・・C.C.。その辺にしておかないと、ルルーシュに殺されるよ」
「その心配なら必要ない。今のジェレミアは私に従順だから、例え相手がルルーシュだとしても手加減せずに私を守ってくれる」
「か、返せ!」
「返して欲しいか?お前の持っている残りの薬と交換なら返してやってもいいが?」
「くッ・・・」
「嫌なら、薬の効果が無くなるまで、ジェレミアは私のものだ」

ルルーシュは悔しそうに歯噛みして、それでも渋々と隠し持っていた残りの薬をC.C.の前に差し出したところを見ると、薬よりもジェレミアの方が大事なのだろう。
それを受け取ると、C.C.は何の未練もなくジェレミアの”心”をルルーシュに返して、さっさと部屋を後にする。

「お前がなにを企んでいたかは知らないが、当てが外れて残念だったな」

扉を閉める間際に、そんな言葉を言い残したC.C.はどこまでルルーシュの企みに気づいていたのだろう。
渋い顔をしているルルーシュを尻目に、C.C.の後を追って廊下を歩きながら、スザクは前を歩く彼女の背中をじっと見つめる。

「何か言いたそうな顔だな?」
「・・・なぜその薬をルルーシュから取り返したんだ?」
「これ以上面倒ごとに巻き込まれたくはないからな。・・・それに、これは元々ジェレミアにやったものだし」
「ルルーシュに使われるのは不本意だと?」
「きちがいに刃物・・・という諺を知っているか?ジェレミアにこれを預けても使い道など高が知れているが、ルルーシュのように頭の切れる奴に持たせるのは危険ということだ。どんな使い方をされるかわからないからな」

C.C.の言うことはもっともだとスザクは思う。
ルルーシュは自分達では到底考えもつかないようなことを企んでは、トラブルを引き起こしてくれる。
そのトラブルを愉しんでいるルルーシュは、単なる退屈しのぎくらいにしか考えていないのだろうが、巻き込まれる方にしてみればたまったものではない。

「それならなぜ、もっと早く取り上げなかったんだ!?」

もっと早くにルルーシュから薬を取り上げていたならば、スザクは薬を飲まされることもなかっただろうし、シュナイゼルに体を撫で回されることもなかったはずだ。

「・・・私は機会を窺っていたのだ」
「機会?」
「真正面から「返せ」と言って、ルルーシュが素直に返すと思うか?」
「・・・思わない、けど」
「だから私は、ルルーシュがこの薬をジェレミアに飲ませるときを待っていたのだ。あいつは嫉妬に駆られると他の事に頭が回らなくなるからな・・・」
「どうして?ルルーシュがジェレミア卿に薬を使うかなんてわからないじゃないか」
「馬鹿かお前は?あのルルーシュがこの薬をお前に使ってジェレミアに使わないわけがないだろう?」

言われてみれば、その通りだ。
事実、C.C.の推測は見事に当たって、ルルーシュはジェレミアに薬を飲ませたのである。
ジェレミアの反応は予想外だったが、それでも無事に薬を回収することができたC.C.は満足そうだった。
C.C.にまんまと手玉に取られたルルーシュは、今頃不機嫌な顔をジェレミアに向けているに違いない。



丁度その頃、部屋に残されたルルーシュは、椅子に腰掛けて、肘掛に凭れかかった腕で頬杖をつきながら、憮然とした顔を目の前のジェレミアに向けていた。
C.C.に薬を取り上げられてしまったことも気に食わないが、それよりなにより、薬を飲ませたジェレミアの反応がおもしろくなかった。
”心”を奪われたジェレミアは人目を憚らずに、懐いてくるものだとばかり思っていたのだが、その予想は大きく外れて、ジェレミアの態度はいつもとあまり変らず、スザクに思い知らせてやろうというルルーシュのはた迷惑な目論みは見事に打ち砕かれてしまったのである。
C.C.に”心”を取られた時のジェレミアの態度も、ルルーシュの不機嫌を加速させたことは言うに及ばない。

―――このままでは済まさない!

更なる奸知を振り絞っているルルーシュの顔をジェレミアがじっと見上げている。
その真面目顔にさえ、怒りが込み上げてくるのを、ルルーシュは抑えることができなかった。

「なんだ、言いたいことがあったらはっきりと言え!」

薬の所為で言葉を発することのできない今のジェレミアに、そんなことを言っても無理なことは百も承知だった。
そんなジェレミア相手に怒鳴ってみても張り合いがないと感じたルルーシュは、いっそのこと奪った”心”を返してしまおうかとも考えている。
ジェレミアに”心”を返して、正気に戻ったところで、思う存分に虐めてやるのも悪くはない。
少なくとも、なにを言っても無反応なジェレミアをなじるよりはましだろう。
そう考えて、椅子から立ち上がりかけたルルーシュを、何かを言いたそうなジェレミアの瞳がじっと見つめている。

「・・・なんなんだ?お前は一体なにが言いたいんだ?」

聞いても答えが返ってくるはずもないのだが、ジェレミアのあまりにも真剣な表情に少しだけ興味をそそられたルルーシュは、立ち上がりかけた椅子に再び腰を落ち着けて、ジェレミアの表情からその真意を探ろうと試みた。
”心”を返すことならいつでもできる状況にある。
しかし、簡単にそれを返してしまうのは少し惜しい気もするというのがルルーシュの本音だろう。
ルルーシュに真正面から見つめ返されて、ジェレミアは気恥ずかしいのか、僅かに顔を俯けて視線を逸らした。
真面目な表情を微塵も崩さないまま顔を紅くするジェレミアの仕草には、懐かしい初々しさが感じられる。
最近のジェレミアには、恥じらいはまだ幾分残ってはいるが、最初の頃のような初々しさが欠落してきている。
その分、ルルーシュの言葉に従順に従うのだから贅沢は言えないが、最初の頃のジェレミアの方が弄ぶ甲斐があったのも事実だ。

―――こ、これは・・・なかなかオイシイ展開ではないか・・・!

心の中で感嘆しながら、湧き上がる期待についつい頬の筋肉が緩んでしまうのはどうしようもない。
手にしていたジェレミアの”心”を懐に仕舞いこんで、にんまりと笑みを浮かべるルルーシュの顔を他の誰かが見たら、とんでもなく性悪な顔に見えたことだろう。

「ジェレミア」

名前を呼ばれて、俯けた顔を上げたジェレミアの目には、ルルーシュの表情はどんなふうに見えているのだろう。
”心”を奪われているジェレミアには、ルルーシュの性悪な悪魔のどす黒い笑みも、天使の微笑みに見えるのだろうか。
跪いたジェレミアの前に差し出すように腕を伸ばすと、恐縮しながらも恐る恐るその手を取ったジェレミアは、ルルーシュの手の甲に躊躇いつつくちびるを落とした。
手袋越しに触れるだけのくちづけではあったけれども、ルルーシュの手を両手で包み込むようにして、何度も何度もくちづけを繰り返す。
自分からは決してその先の行動へ進もうとしないジェレミアは、ルルーシュの許しを待っているかのようだった。
ルルーシュが空いているもう片方の手でジェレミアの髪を2、3度撫でてから、その頭を自分の胸元に引き寄せると、ジェレミアは躊躇いもなくルルーシュの背中に腕を回した。
華奢な身体に抱き縋りながら顔を埋めるジェレミアは、動物じみた行動で、すりすりとルルーシュの胸に頬ずりをしている。
思わず苦笑を零したルルーシュは、まるで愛犬でも可愛がるかのようにジェレミアの頭を撫で回した。
それがC.C.に対する対抗意識であることは、言うまでもない。
しかしルルーシュはC.C.と違って、それだけで済まそうとは思っていなかった。
「顔を上げろ」と、穏やかな声で命じたルルーシュの瞳は、すでに欲に塗れきっている。
命じられたジェレミアはそれを知ってか知らずか、うっとりとした上目遣いで一瞬だけルルーシュの顔を見上げると、再び顔を胸に埋めて抱き縋る腕に力を入れた。

「ジェレミア!?」

ルルーシュがいくら名前を読んでも、ジェレミアは顔を上げようとはしない。
頑なにルルーシュの身体に抱きついて、一瞬でも離れることを拒んでいるようだった。

「・・・これではなにもできないではないか」

独り言のように呟いて、溜息を吐いたルルーシュはうんざりした顔をしている。
初々しいにも程があるとでも言いたそうな顔だった。
恥らうのは大いに結構なことだが、身持ちが堅すぎて何もさせてくれないというのは論外だ。
こんなことなら、初々しさの欠片もない従順なジェレミアの方が、ルルーシュにとっては余程都合がいい。
そう考えて、ルルーシュは懐中に仕舞いこんだジェレミアの”心”を返してしまおうと考えている。
自分勝手な短絡的思考だが、薬の効果が切れるまでこのままというのは「蛇の生殺し」である。
勝手に懐いているジェレミアをそのままにして、懐中から”心”を取り出したルルーシュは、それをさっさとジェレミアに返してしまえばいいものを、そこまできて返すことを一瞬躊躇ってしまった。
手にしたジェレミアの”心”をじっと見つめて、ルルーシュは、このままもう少し様子を見るべきか、それともジェレミアに返すべきかを思案している。
そうこうしているうちに、背中に回されたジェレミアの腕が、息がつまるかと思うほどの力でルルーシュの身体をきつく抱きしめた。
突然のことに驚いたルルーシュの手の中から、ジェレミアの”心”がポロリと零れ落ちた。

「あ・・・」

慌てて拾おうにも、ジェレミアにしっかりと抱きつかれていては思うように身動きが取れない。
ルルーシュの手から零れ落ちたジェレミアの”心”は床の上で軽く弾んで、ルルーシュの手の届かないところまで転がって行ってようやく止まった。
これはもう絶望的な状況である。
薬の効果が切れるまで、ルルーシュは抱きついたジェレミアから離れられそうにない。
ただ離れられないだけなら我慢もできようが、このままジェレミアの力が増していったら、ルルーシュは生命の危機に曝される。

―――な・・・なんとかしなければ・・・。

焦れば焦るほど、もがけばもがくほどにジェレミアはルルーシュの身体を強く抱きしめる。
最早、ジェレミア相手に欲情している場合ではなかった。
このままでは正真正銘の天国行きになってしまう。

「・・・ジェレミア、も、もう少し、腕の力を・・・抜いてくれないか・・・?」

優しく言ってみたところで、一向に力を弱めてくれる様子はジェレミアからは窺えない。
人の話を殆ど聞かず、自分の思い込みに囚われて突っ走る・・・それがこの薬の恐ろしいところなのだと、このとき初めてルルーシュは実感した。
しかし、こんなことで自分の命を簡単に諦めるわけにはいかない。

「い、いい加減にしないかッ!」

無駄とはわかっていても、苦し紛れに怒鳴りつけてみたルルーシュだったが、意外にもジェレミアは声に反応を示し、ぴくりと肩を震わせて恐る恐る顔を上げた。
叱られたとでも思っているのだろうか。
ジェレミアの上げた顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいる。
それを見たルルーシュは顔を引き攣らせた。
泣かれるのは勝手だが、暴れられでもしたら手のつけようがない。
普段のジェレミアなら絶対にそんな無様な真似はしないだろうが、今は普通の状態ではないのだからなにを仕出かすか見当もつかないのだから、とりあえず宥めるしか方法は考えがつかない。

「お、怒っているわけではないんだ・・・ただ、少し加減をしろと言っているんだ。わかるか?」

多少引き攣りを残した笑顔を作って頭を撫でてやると、ジェレミアは落ち着きを取り戻したような顔をしてルルーシュの身体に頭を預ける。
抱きしめる力も、さっきよりは緩くなっていた。
どうやらジェレミアは、構ってもらいたい一心でルルーシュの身体を強く抱きしめているらしい。
ルルーシュの注意を自分に喚起したいだけなのだ。
そうとわかれば、ジェレミアを構ってやっているうちはルルーシュの命は保障されたも同然だ。
しかし、

―――・・・いつまでこんなことを続けなければならないのだ?

胸の辺りにあるジェレミアの頭を撫でながら、ルルーシュは悩み続ける。