わざわいのモト



C.Cは悩んでいた。

―――こんどはどんな噂をバラ撒いて愉しもうか・・・?

黒の騎士団内に広がっている、ゼロが実は女かもしれないという話も、ジェレミアがゼロのパトロンだという話も、ゼロがジェレミアの愛人だと言う話も、すべて、暇を持て余したこの女が発信源なのである。
長椅子の背凭れに崩れるようにだらしなく背中を預けて、C.C.はぼんやりとした瞳を、無機質な天井に向けた。

―――噂話と言うものは、99パーセントの嘘に1パーセントほどの真実を交えた方が、より真実味が増すものだが・・・。

さて次はどんな話をおもしろおかしく脚色して噂にしてやろうか?と、真剣に考え込んでいるC.C.の耳に、扉の開く音が聞こえた。
C.C.が今いる場所は斑鳩艦内にあるゼロの居室で、秘密保持の為厳重なセキュリティーで管理されていて、たとえ組織の幹部と雖も勝手に出入りできる場所ではない。
その部屋の扉が外から開けられたということは、それがこの部屋の主であることは疑う余地がなかった。
その予想を裏切らず、C.C.の前に姿を現したルルーシュはゼロの仮面を鬱陶しそうに脱ぎ捨てると、手にしていた買い物袋らしきものをテーブルの上にドンと乗せた。

「・・・?なんだ、それは?」

半透明のビニール袋から僅かに覗いて見える、見慣れない箱のラベルに、C.C.は首を傾げる。
その質問には答えずに、ルルーシュはゼロの仮面とマントをクローゼットに片付けてから、ようやく不機嫌な顔をC.C.,に向けた。

「・・・黒の騎士団の中に、とんでもない噂が広まっていることを、お前は知っていたのか?」
「噂・・・?」

わざとらしく惚けて、C.C.は心の中でクスクスと笑っている。
そうとは知らないルルーシュは、溜息を吐きながらC.C.の向かいに腰を下ろすと、両手で頭を抱え込んだ。

「噂とは・・・どんな話だ?」

込み上げてくる笑いを必死に堪えて、尚も何も知らない風を装っているC.C.に、ルルーシュはまったく気づいていない様子で、

「お前の耳に届いていないなら、まぁいいが・・・」
「どんな噂が広がっているのだ?」

興味津々のC.C.の問いかけに、がっくりと頭を垂れて口を噤んだ。
話せば間違いなく笑われる。
ルルーシュの高慢なプライドを崩壊させるに充分な威力を発揮した、口にするのもおぞましい噂話を、今更C.C.に話すつもりは毛頭ないのだ。
それを察したC.C.の視線は、憔悴しきって項垂れているルルーシュから、テーブルの上に置かれている袋へと移されている。
中身がなになのか。
C.C.の興味の対象は、完全にそちらの方へ移りつつあった。

「お前・・・前に俺に言ったよな?」

しかし、ルルーシュはそれに気づかず、視線を合わせないまま、唐突な言葉をC.C.に投げかける。

「・・・俺には、そんなに男らしさが足りないか?」
「ああ、そのことか・・・なんだ、少しは自覚したのか?」

ルルーシュの耳に次から次へと聞こえてきた自分に関する噂の尽くが、それを証明している。
自分に男らしさが欠如していることを、ルルーシュは認めないわけにはいかなかったのだ。
だからと言って、運動で体を鍛えて筋肉隆々の男らしい肉体を手に入れようとか、そんな無駄な努力をしようとは考えていない。

「あの馬鹿の所為で、とんでもないことになってしまったではないか・・・」

とりあえず、責任の全てをジェレミアに転嫁するような独り言を洩らして顔を上げたルルーシュは、C.C.の不審そうな視線と目が合った。

「・・・なんだ?」
「いや・・・そう言えば、いつも金魚の糞のようにお前にくっついている、ジェレミアの姿が見えないな・・・と思ってな?」
「ジェレミアなら、厳罰の真っ最中だ」
「厳罰?」
「あいつの所為で俺が迷惑を被ったのだぞ?罰を与えるのは当然のことだ」
「ふ〜ん・・・で、どんな罰を与えたのだ?」

ニヤニヤとした笑いを口許に浮かべるC.C.とは対照的に、ルルーシュは仏頂面を更に渋いものにする。
その一事を見ても、ルルーシュの怒りの深さが窺えるというものだ。
怒った時のルルーシュの陰険さは、魔女と呼ばれているC.C.にも引けをとらない。
さぞやものすごい嫌がらせ的な罰をジェレミアに命じたのだろうと、C.C.は期待で胸を躍らせた。
キラキラと瞳を輝かせているC.C.の前で、ゆっくりと背凭れに背中を預けて、脚を組んで大きく溜息を吐いたルルーシュは憂鬱そうな顔をしている。

「じらすことはないだろう?今回はどんなイヤガラセをあの男に命じたのだ?」
「イヤガラセとは失敬な!罰としてトイレ掃除を命じただけだ」
「トイレ・・・掃除?お前にしては随分とスタンダードではないか?それが厳罰になるのか?」
「今日一日で、斑鳩艦内にある全てのトイレを、デッキブラシすら持ったことのない男がたった一人で掃除するんだぞ?」

普通の人間にはどうと言うことのない罰でも、良家の嫡男として、箱入りで育ったジェレミアにとって、これ以上の屈辱はないはずである。
しかも、ご丁寧に「長靴」「ゴム手袋」の初体験つきなのだ。

「今頃、トイレの隅で泣いているんじゃないのか?」
「自業自得だ!」

ルルーシュは、すべての悪の根源がジェレミアだと決めつけている。
ジェレミアがルルーシュの寝込みを襲わなければこんな噂は流れなかったのだから、ジェレミアに非があることは間違いないのだが、まさか真実が捻じ曲げられた噂の出所がC.C.だとは、ルルーシュは疑ってもいない。
そして、そのC.C.が次の噂のネタになるようなおもしろい話を物色していようとは、夢にも思っていなかったのだ。
だから、更なる悲劇が降りかかろうとしていることに、ルルーシュは気づいていない。
「ところで」と、C.C.はさりげなく話題を転換したC.C.にも、ルルーシュは何の疑念も感じていなかった。

「・・・さっきから気になっていたのだが、その袋の中身はなんだ?」

テーブルの上に置かれた袋を指して、そう問いかけたC.C.の言葉に、ルルーシュはようやく眉間に刻まれた深い皺を解いて、袋の中からいくつかの箱を取り出した。

「これは・・・?」

箱の側面に記されたロゴや商品名は、世間ズレしたC.C.にも見覚えのあるものばかりだった。
それらはすべてテレビのコマーシャルから情報ではあったが、それが何のためのものであるかくらいはC.C.でも知っている。

「・・・育毛剤?お前・・・若ハゲ、だったのか?」
「ち、違う!」
「そう言えばお前の父親もデコの辺りがだいぶ鋭角になって・・・・・・・・・・ハゲは遺伝すると言うからな・・・」

同情と哀れみをたっぷりと含んだC.C.の声に、ルルーシュは激しく動揺している。

「勘違いするな!違うと言っているだろうがッ!」
「なにがどう違うのだ?」

育毛剤の使い道に他にどのような用途があるのか。C.C.にはわからない。
しかもテーブルの上に披露された育毛剤は一種類だけではないのだ。中には医師の処方がなければ手に入れることのできないものまで混じっている。

「お前、俺に男らしさが足りないと言ったではないか?」
「言ったが、それとこの大量の育毛剤がどう繋がるのだ?」
「つまりだな、男らしさをアピールするには、どうしたらいいかということだ」
「お前の場合体の線が細いのだから、まずは筋トレで体を鍛えたらどうなのだ?」
「そんな地道な努力は俺の性に合わん!それに、俺のこの、人も羨む繊細で優雅なボディーラインが崩れてしまうではないか!」
「そんなものは誰も羨ましがってはいないと思うぞ?」
「黙らっしゃい!兎に角、男らしさと言ったら、髭や胸毛などの体毛だ。この育毛剤を使って、俺は男らしく生まれ変わるのだ!」
「・・・そうか・・・では勝手にしろ」
「一ヵ月後の俺を見て驚くなよ!」

自信たっぷりのルルーシュの馬鹿っぷりに、流石のC.C.も呆れてものも言えない。
胸毛を増やしたところで、服の上からでは誰も気づかないだろうし、髭にしても人前で仮面を着用しているのだから、まったく人目につかないことに、ルルーシュは気づいていないのだ。
それに、

―――頭皮用の育毛剤で髭や胸毛が増えるのか?

呆れつつも、C.C.は疑問に思う。
しかし、それを口にしたところで、変な方向へと暴走を始めた今のルルーシュを止められそうにはない。
ルルーシュの気が済むようにさせるしかないのだ。

―――こんな奴がトップに立っているのでは、黒の騎士団もそう長くはなさそうだな・・・。見ているだけなら退屈しないで済むから、一向に私は構わないが・・・。

苦笑を滲ませるC.C.をまったく無視して、手にした育毛剤の注意書きを読んでいるルルーシュは、一ヵ月後の自分の姿を想像してか、締りのないニヤけた顔をしていた。





その日の深夜。と言っても、すでに日付は翌日に変わっている。
ルルーシュに言いつけられて、四苦八苦しながらも斑鳩艦内にある全てのトイレをなんとか掃除し終えたジェレミアは、やつれきった表情でゼロの居室の前に佇んでいた。
命じられた任務を無事に完了させたことを、ルルーシュに報告する義務がジェレミアにはある。
と、建前ではそう自分に言い聞かせてここまできたのだが、本心では、ルルーシュにねぎらいの言葉の一つでもかけてもらえるのではないかという、甘い期待があったのだ。
しかし、夜も更けきった遅い時間である。
ルルーシュが起きているとは限らない。
うっかりと部屋に入っていって、その安眠を妨害しようものなら、寝起きの機嫌があまり良くないルルーシュの怒りをかうことは必定だ。
部屋は扉で密封されていて、明かりが点いているのか、消えているのかもわからないし、防音効果も万全で、中からは物音ひとつ漏れてはこない。
中の様子がまったくわからないまま、しばらくの間扉の前に突っ立っていたジェレミアは、この時間の訪問はやはり失礼になるだろうと判断して、後ろ髪を引かれつつも、ルルーシュのいるはずの部屋に背中を向けた。



「おい、帰ってしまうぞ?いいのか?」

部屋の前でうろついているジェレミアの様子を、カメラを通しておもしろそうに眺めていたC.C.は、バスルームからなかなか出てこないルルーシュに声をかけた。
ルルーシュは長い時間バスルームに篭っている。
中でなにをしているかは、聞かなくても予想がついた。
あれほど丹念に注意書きを読んだにも関わらず、ルルーシュは効果を期待するあまりそれをすっかり忘れて、大量の育毛剤を全身に塗りたくっているのだろう。
本人が大真面目なだけに、想像するだけで笑える光景だ。

「C.C.!お前、ちょっと行って引き止めて来い」
「・・・なんで私が?」
「俺は今忙しくて手が離せないんだ。部屋に入って待つように伝えてこい。そして、お前は消えろ」
「随分と勝手なことを言うではないか?」

そう言いながら、C.C.はテーブルの上の袋の中に残された、まだ未開封の育毛剤をさりげなく取り出して、テーブルの中央にトンと置いた。

「・・・まぁいい。今回は特別だ。その代わり、後でたっぷりとこの見返りをもらうからな・・・」

声は渋々と言った風を装っているが、テーブルの上の育毛剤に向けられた瞳は爛爛と輝いていて、くちびるに笑みを浮かべているC.C.の顔は、まさしく「魔女」と呼ぶに相応しいものになっている。
そうとは知らないルルーシュは、今だバスルームの中で育毛剤を塗りたくっていた。
C.C.の姿が部屋から消えて、しばらく経ってから、「失礼いたします」と声をかけてから、部屋に入ってきたジェレミアの視界に、さっきC.C.がテーブルの上に置いた育毛剤が入らないはずはない。
最初はそれが何かわからず、あまり興味も示していないジェレミアだったが、ルルーシュがバスルームから出てくるのを待つ間、何気なくその箱の側面に記された文字を目で追って、ジェレミアは愕然とした。

―――い、育毛・・・!?・・・ま、まさか、ルルーシュ様が・・・お使いになって、いるのか!?

この部屋に置いてあるという事は、ルルーシュが使っているとしか考えられない。

―――そういえば・・・

と、ジェレミアは混乱する頭で考える。

―――ルルーシュ様のお父上であらせられる、皇帝陛下も、ハ・・・ハゲ・・・ではないが、額の辺りが大分・・・こ、後退していらっしゃる・・・。

髪質は遺伝すると言うし・・・。と、C.C.と同じようなことを考えて、十年後、二十年後の、頭髪の薄くなったルルーシュの姿を想像したジェレミアは、蒼ざめた。
無論、如何にルルーシュの容姿が変貌しようとも、ジェレミアのルルーシュに対する想いは変らないのだが、頭に思い描いたその姿は、あまりにも受け入れ難い。

―――それはあんまりだ・・・。ルルーシュ様が、お気の毒すぎる・・・。

まるで自分のことのように、落ち込んでいるジェレミアは、自分が勘違いしていることに少しも気づいていないのだ。
薄っすらと浮かんだ涙で滲んだ視界に、バスルームから出てきたルルーシュの姿を捉えると、慌てて片膝を床に着いたジェレミアは、込み上げてくる涙を止めることができない。

―――トイレ掃除くらいで泣くとは・・・困った奴だ・・・。

ルルーシュはルルーシュで、ジェレミアの涙の理由を、罰として命じたトイレ掃除の所為だと、誤解している。
しかし、ジェレミアの泣き顔に弱いルルーシュは、

―――ジェレミアにトイレ掃除は少し厳しすぎたか・・・?

と、僅かに後悔して、慈愛の笑みをジェレミアに向けた。
そのルルーシュの顔が痛ましく見えて、ジェレミアは直視することができずに、視線を床へと落として、ルルーシュに命じられた斑鳩艦内のトイレ掃除が完了したことを報告した。

「ジェレミア」
「は・・・はい」
「ご苦労だったな・・・」
「いえ・・・」

ルルーシュの温かい労いの言葉にも、ジェレミアは顔を上げられずにいる。
ジェレミアの胸中を少しも理解していないルルーシュの瞳には、その姿が単純に「自分に従順で可愛い奴」としてしか映されていない。
人前では決して表情を崩さず、何事にも動じない冷静沈着な態度で、傲慢とも受け取られかねないイメージの男が自分の前でだけ見せる、涙脆さや、従順すぎるほど従順な行動の一つひとつが、ルルーシュの欲を激しく煽りたてた。

「ジェレミア。今日は相手をしてくれるんだろうな?」
「そ・・・それは・・・。わ、私がこの部屋に長居をすれば、また変な噂が・・・ルルーシュ様にご迷惑をおかけすることになるのでは・・・ありませんか?」
「気にするな。噂話など長くは続かない。それに、ちゃんと策はかんがえてある」

ルルーシュの言う「策」こそ、ジェレミアを悩ませている育毛剤なのだ。
その育毛剤を使って、ルルーシュが男らしくなりさえすれば、「ゼロがジェレミアの愛人」などという馬鹿げた噂は、なくなるはずである。
そうとは知らないジェレミアは、ルルーシュが噂を一掃させるもの凄い奇抜な計画を練っているのだろうと考えて、僅かな沈黙の後に、俯けた顔をゆっくりと上げた。
ジェレミアを見下ろすルルーシュの顔が、自信ありげに笑っている。
しかしジェレミアの視線は、知らず知らずのうちに、その笑顔より更に上部の、ルルーシュの艶やかな黒髪へと向けられていた。

―――こんなにお美しく、ふさふさとしていらっしゃるのに・・・今回のことで、ルルーシュ様は酷くお悩みになって、それで薄毛になられたのだろうか?

だとしたら、それはやはりジェレミアの責任と言うことになる。
抜け毛や薄毛の原因は、遺伝とばかりは限らない。ストレスが原因の場合も少なくはないのだ。

―――これ以上ルルーシュ様に、ストレスをお与えしてはいけない!

じっとルルーシュの顔を見つめてから、ジェレミアは表情を隠すように顔を俯けて、

「わ、私でよろしければ・・・」

そう答えるのが、精一杯だった。





翌朝のまだ早い時間に、ジェレミアは出勤前のヴィレッタの部屋を訪れていた。
本当なら昨日のうちにヴィレッタに会って、一昨日の釈明をするはずだったのだが、慣れないトイレ掃除に手間取った所為でこの時間になってしまったのである。

「あれは偶然が重なった不慮の事故で、お前が考えているようなことでは決してないのだ!」

必死の様相で、言い訳がましくそう釈明するジェレミアを、ヴィレッタは腕組をしたまま、黙って見つめている。

「あ・・・あの状況を目撃されて・・・誤解をするなと言うのは、難しい話かもしれないが・・・わ、私は決して・・・!」

真剣な顔で拳を握り締めて、ジェレミアが力説を演じている最中に、それまで無表情にジェレミアを見つめていたヴィレッタが、突然堪り兼ねたように「ぷっ」と吹き出しかと思ったら、声を上げて笑い出した。

「な・・・なにが可笑しいのだ!?」
「いえ・・・貴方がわざわざそんなことを釈明しにいらっしゃらなくても、私は貴方が、ルルーシュを、・・・その・・・ルルーシュさまを押し倒したなどとは考えてもいませんでしたよ?あの時は私も流石に気が動転して、部屋を出てしまいましたが・・・」

少なからず、ヴィレッタはルルーシュとジェレミアの関係を理解している。
ジェレミアがルルーシュに頭が上がらず、尻の下に敷かれていることも、承知しているのだ。

「そ、そうか?それならば良いのだが・・・」

ジェレミアはほっと胸を撫で下ろす。
これで少しはルルーシュに対する面目が保たれると言うものだ。
しかし、ジェレミアの不安がこれで払拭されたのかと言えば、そうではない。
ヴィレッタの誤解を解くことには成功したが、それよりももっと重大な悩みを、今のジェレミアは抱えていた。
短くはない付き合いのヴィレッタは、ジェレミアの顔色が冴えないことに気がついて、

―――おや?これはなにかあったな?

と、直感的に気がついた。
恐るべき女の勘の鋭さは、ヴィレッタの野次馬根性に火をつける。

「お顔の色が優れないようですが・・・どこか、体の具合でも悪いのですか?」
「いや・・・」
「では、何か悩みでも?」

問われて目線を伏せたジェレミアに、ヴィレッタの瞳がキラリと光った。
それは例えるなら、獲物を見つけたハイエナの目の輝きに似ている。

「私でよければ相談に乗りますが?」

わざとらしく心配そうな表情を見せて、伏目がちなジェレミアの顔を覗き込めば、激しく動揺している様子が窺える。
「これはもう一押し!」と、震えるジェレミアの手を両手で握り締めながら、ヴィレッタは観音菩薩のような慈愛の笑みを浮かべた。

「心配事があるのでしたら、私が微力ながら貴方の力になります」

そう言ったヴィレッタの本心は、作った表情とは裏腹に、悪魔の笑みを湛えている。
そうとは知らない知らないジェレミアは、自分を本気で心配してくれる嘗ての部下の言葉が、いたく胸に沁みる思いだった。
考えてみれば、今のジェレミアには心を割って悩みを打ち明けられるような人物が身近にいないのだ。
かと言って、ブリタニア軍にいたときも、周りから畏怖されこそはすれ、「友人」と呼べるような近しい人物は殆どいなかった。
唯一ヴィレッタだけが、その存在だったのだ。
と、考えて、自分の人望のなさに我ながら情けなくなってしまったジェレミアだったが、今はそんなことを嘆いている場合ではない。

「ヴィレッタ・・・」

藁にも縋る想いで、ジェレミアは昨夜の出来事をポツリポツリと話し出した。
始めのうちこそ、真摯な面持ちでジェレミアの話を聞いていたヴィレッタだったが、話が進むにつれ、顔を俯けさせながら、握り締めた拳を膝に押し付けて、肩を小刻みに震えさせている。
真面目な顔で話をしているジェレミアに、ヴィレッタは笑いを堪えるのに必死なのである。
そんなヴィレッタの様子にも気づかないほど、ジェレミアは真剣だった。
全てを話し終えたジェレミアは、熱い期待の眼差しをヴィレッタに向けながら、

「私はどうしたらいいのだろう?ルルーシュ様の為に、私はなにをすれば・・・いいのだろうか?」

と、独り言のように呟いた。

「・・・そ、そうですねぇ・・・。とりあえず、海苔やワカメなどの海草類を多く摂取させればいいのではないですか?」
「そんなことで、薄毛やハゲが治るのか!?」
「海草には毛髪の発育を促進させるミネラルが多量に含まれていますから・・・何もしないよりは、マシかと・・・考えられますが?」

真剣な面持ちで、あまりにも馬鹿馬鹿しい悩みを打ち明けるジェレミアに、ヴィレッタは半ばなげやり気味にそう言って、込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だ。

「今の・・・い、育毛剤は、かなり研究が進んでいますから、早い段階のうちから使い始めれば、ある程度の効果はあるはずです。それが駄目だとしても、かつらという手もありますし、植毛と言う方法もありますから・・・なにもジェレミア卿がそんなにお悩みにならなくても大丈夫だと、私は思いますが・・・?」
「そ、それもそうだな!」

ヴィレッタのなげやりの言葉にもかかわらず、ジェレミアの顔色がみるみるうちに甦った。
「単純」という言葉は、この男の為にあるようなものだ。
部屋に入ってくるときとは別人のように、生きいきと瞳を輝かせて出て行くジェレミアの背中を見送って、ヴィレッタは魔性の笑みを口許に浮かべた。



C.C.の投じた一石は、水面を揺らす波紋のように、あっという間にその日のうちに学園中に広まっていた。
ジェレミアの目にとまるところにわざと育毛剤を放置して、誤解を招かせ、それをルルーシュに遺恨を持っているヴィレッタを通して、今度はルルーシュの通う学園内に、とんでもない噂を広めるという魂胆は、まんまと成功したのである。
ジェレミアを使ったのは、後々のことを考えて、ルルーシュの嫌疑を自分から逸らせるためであった。
ルルーシュの部屋にあった育毛剤をジェレミアがどう誤解するかなど、簡単に想像ができたし、思い悩んだジェレミアが唯一付き合いの長いヴィレッタに相談することも、C.C.には簡単に予想ができていたのだ。
その日、授業は咲世子に任せて、ゼロとしての仕事に専念していたルルーシュが、学園のクラブハウス内にある自室に戻ったのは、夜の十時頃だっただろうか。
居間の扉を開けて、まず目に飛び込んできたのは、テーブルの上に堆く積まれた大量の紙包みやら箱である。
それらの殆どの物に、色とりどりのリボンが掛けられているところを見ると、プレゼントなのだろうと察しがつく。

―――・・・?

今日はルルーシュの誕生日でもなければ、もちろん、クリスマスやバレンタインデーの時期でもない。

―――・・・今日は、なにか特別な日だっただろうか?

と、首を傾げていると、咲世子が夜食を持ってやってきた。

「・・・これは、なんだ?」
「さぁ?良くはわからないのですが、ルルーシュ様のご学友の方々や、下級生のお嬢様方からいただいたのですが?」

咲世子にもさっぱりわけがわからないらしい。
そのひとつを手に取って、ルルーシュはまたしても首を捻る。

「・・・軽いな」
「そういえは、今日は枢木様からお手紙をいただきましたが・・・」

そう言って、一通の封書を差し出した咲世子の顔も、怪訝の色を浮かべている。
ゼロのことで、ルルーシュとスザクの関係がぎこちないものになっていることを、咲世子も知っているのだ。
そのスザクから直接手紙を渡されたのだから、咲世子が戸惑うのも無理はない。

「スザクはなにか言っていたか?」
「いえ、これと言っては・・・。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・妙に暗い顔をしていらっしゃって・・・目が合った瞬間に、なんだか・・・その・・・受け取った私の方が、なんとなく、憐れまれているような・・・なんといいましょうか、こちらが惨めになる印象を感じましたが・・・」
「・・・?」

三度、ルルーシュは首を捻る。
スザクに対して、騙しているという、後ろめたさや負い目は感じてはいるが、憐れまれるようなことはひとつも思い当たらない。
差し出された封筒を受け取って、ルルーシュは微かな苦笑を口許に浮かべた。
それはなにかのキャラクターなのだろう。薄水色の封筒には可愛らしい河童の絵柄が描かれている。
封を切って、中の便箋を取り出せば、同じく河童の透かしが描かれていた。
顔に似合わないファンシーなレターセットを、あのスザクがどんな顔をして買い求めたのだろうと、想像しただけで可笑しくなる。
ふっと、表情を和ませて、差出人の性格をそのまま現すような几帳面な文字を目で追っていたルルーシュの顔から、徐々に血の気が引いていくのが、傍で見ていた咲世子にもわかった。
震える指先で、可愛らしい便箋の二枚目を捲って、ルルーシュの口許がヒクヒクと引き攣っている。
最後の一行を読まずして、ルルーシュは手にしたスザクからの手紙をくしゃりと握りつぶして、テーブルの上に叩きつけた。

「だ、だ、だ、・・・誰が、若禿げだッ!?」

もの凄い形相でそう叫んだかと思うと、テーブルの上に積まれたプレゼントを片っ端から乱暴に開き始めた。

「なんだこれは!?全て海苔や若布や昆布などの乾物・・・海草ばかりではないか!?」

プレゼントの中にはメッセージカードが添えられているものもあって、それらは全て、「がんばってください」とか、「負けないでください」とか、なかには、「ルルーシュ君が変わり果てた姿になってもずっと応援しています」とか、訳のわからない激励の文章ばかりが並んでいる。
スザクからの手紙の内容や、訳のわからない海産物のプレゼントなど、それらのことを総合して、ルルーシュの明晰な頭脳は、「自分が若ハゲで悩んでいる」という噂が、学園内に広まっていることを推測した。
そして、ふと、昨夜使った育毛剤のことを思い出した。

―――しかし・・・アレを知っているのはC.C.だけのはずだが・・・?

黒の騎士団のことならわかるが、C.C.は学園関係の方には接点がないはずだ。

―――では、一体どこから・・・?

記憶の糸を辿って、昨日育毛剤を購入した時から今朝までのことを、順を追って思い出してみる。
薬局で購入した時は、サングラスにマスクをつけて、帽子を深々と被っていたのだからバレるようなことはない。
偽装した処方箋は完璧だっただろうし、名前はもちろん偽名を使っている。
自室に戻るまでに顔見知りには出会ってはいないし、誰かに後を着けられたということもないはずだった。

―――なぜ、こんな噂が・・・?

と考えて、ルルーシュはなにか引っかかりを感じた。

―――・・・噂?

学園内のことではないが、ルルーシュはつい先日もとんでもない噂に翻弄させられたばかりなのである。
その噂の根源は本当はC.C.なのだが、そうとは知らないルルーシュは今でもジェレミアが犯人だと決めつけていた。

―――そう言えば、あいつが部屋に入ってきたときに、育毛剤がテーブルの上にあったような・・・?

腕組をして、考え込んでいたルルーシュは、思いついたように顔を上げ、

「咲世子!すぐにジェレミアをここに呼べ!」」

と、傍で首を傾げていた咲世子に命じた。



その後、ルルーシュに呼び出されたジェレミアがどんな運命を辿ったのかは、皆様のご想像にお任せいたします。