Sacrifice



天高く馬肥ゆる秋。

まだ夜が明けたばかりの早朝にもかかわらず、辺りは騒がしかった。
部屋の外から聞こえてくる複数の慌しい足音や、気合の入った掛け声に、ジェレミアはまだ覚めきらない重い瞼を静かに開けた。
夜着のまま部屋の扉をそっと開けて、騒がしい廊下を窺えば、何人かの警備の兵士が駆け足でジェレミアの部屋の前を通り過ぎていく。

「何事だ騒々しい!」

途切れ途切れに通り過ぎる兵士を一人捕まえて、そう尋ねれば、下級のその男は決まりの悪そうな顔をしてジェレミアに頭を下げた。

「も、申し訳ございません!」
「なにをしているのだ?」
「は・・・実はトレーニングを・・・」
「トレーニング?」
「はい」
「ここは城内だぞ?そんなものは外でしろ!」
「し、しかし・・・外は、もう場所がなかったので・・・。それに、陛下の了承は得ております」

言われて、ジェレミアは部屋の中へと引き返し、窓から外を確認するように見下ろす。
窓から見える広い中庭には、城内に常駐する兵士の姿で溢れていた。
それぞれ思い思いにストレッチをしたり、組み手をしたり、ランニングをしたりするその様子は、普段のその時間では考えられない光景だった。
常日頃の丹念を怠らないのは結構なことだとジェレミアは思うが、しかしなぜ急に、と疑問が浮かぶ。
その疑問の答えを求める為に再び廊下へと顔を出すと、先程の兵士の姿は消えていた。
その代わりに、長い廊下の遥か彼方から少しゆっくりとした速度で走ってくる人の姿がジェレミアの目に留まった。
さっきの兵士とは違い、上下共にジャージを着用しているその姿にジェレミアは驚いた。

「ル、ルルーシュ様・・・?」

と、声をかけたその少し後に、ルルーシュの後方を走ってくる男の姿がジェレミアの視界に入る。

「・・・ロイドまで?」

ルルーシュと同様に、ジャージを着たロイドはかなり息が上がっていた。
「ま、待ってください陛下」と、今にも倒れそうになりながら、ロイドはふらふらとした足取りで、ルルーシュの後を追いかけてくる。
それでも本人は精一杯に走っているつもりなのだろう。

「陛下・・・一体これは、何事ですか?」
「お前こそ、そんな恰好でなにをしているのだ?」
「・・・ここは私の部屋の前です。それよりも、陛下の、そのお姿は・・・?」
「見てわからないのか?ジョギングに決まっている。なぁロイド」
「は・・・は、い・・・」

返事を返したロイドは死にそうだった。
普段は自分の研究室に篭りがちで、運動とは無縁なのだ。
そのロイドが、これまた身体の動かすことがあまり好きではないルルーシュと共にジョギングをしているのかが、ジェレミアにはわからなかった。

「さぁ行くぞロイド!」
「へ、陛下・・・少し、休憩・・・させて、ください・・・」
「なにを言っている!俺たちには時間がないんだぞ!?こんなところで油を売っている暇はない!」
「し、しかし・・・あ、足がもう、動きません・・・」
「では、お前は後から来い。俺は先に行く」

廊下にしゃがみこんでいるロイドを置き去りにして、走り出そうとしたルルーシュのジャージの上着の裾をジェレミアが掴む。

「・・・ちょ、ちょっと待ってください陛下」
「なんだ?先を急ぐと言っただろう」
「・・・・・・・・・なにを、企んでいるのですか?」

ルルーシュの奇行の裏には必ずと言っていいほど、良からぬ企みがある。
それを身に沁みて理解しているジェレミアは、ルルーシュに疑りの眼差しを向けていた。

「お前はなにを言っているのだ?俺は何も企んでなどいない」
「では、なぜ急にジョギングなど・・・?」
「ダイエットのために決まっているだろうが」
「ダイエット?」
「そうだ!ダイエットだ!!」
「・・・なんのために、ですか?」
「体重を減らす以外、ダイエットに他の目的があるのか?」
「それはそうですが・・・。しかし、なぜ急に?」
「お前には関係ないかもしれんが、明日は健康診断があるんだぞ!健康診断と言ったら、一番の見せ場は体重測定だ。自分が他人よりどれだけスリムかをアピールして、自分より太っている奴らに劣等感を味あわせることのできる最高の舞台だ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・ルルーシュ、様?・・・それ、間違ってます・・・」
「そんなことはない!俺は明日の健康診断に、体重測定に命をかけているのだ!わかったら邪魔をするな」

思い込んだら他人の意見をまったく聞かないルルーシュの性格は熟知している。
だから、なにを言っても無駄なのだ。

―――皇帝と言う最高権力の座にありながら、ルルーシュ様はそれでもまだ優越感に飽き足らないのか・・・。

ジェレミアは呆れるより仕方ない。
しかも健康診断の前日に急にダイエットをしたからといって、それによってどれ程の効果が得られるのかも疑問だった。










翌朝、ジェレミアはいつもより少し遅い時間にに目を覚ました。
昨日ルルーシュが言ったように、ジェレミアには健康診断などは関係がない。
半分以上が機械の身体なのだから、通常の健康診断はジェレミアには不要だ
だから、他の連中が早朝から慌しく駆けずり回っているのを他所に、ジェレミアは朝寝坊を愉しんだのだ。
身支度を整えて、今日一日をどうやって過ごそうかと、頭の中で計画を練る。
「健康診断に命をかけている」と言ったルルーシュの我侭に、今日は付き合う必要はないのだ。
昨夜から絶食をしているルルーシュは、ジェレミアに構っている暇などないだろう。
久しぶりの開放感に、ジェレミアの心は無意識に弾んでいた。
あれをしようか、これをしようか、と、考えながら朝食を済ませたジェレミアは、とりあえず書棚の本に手を伸ばす。
椅子に腰掛け、本の頁を捲り、数行目を通して、ジェレミアはパタリとそれを閉じた。
そして違う本を手にとって、また同じことを繰り返す。
本に興味がないわけではないのだが、静か過ぎてなんだか落ちつかないのだ。
今日行われている健康診断は、城内の全ての者を対象に一斉に行われている。
時間と会場を分けて、交代で実施しているのだが、廊下を行き交う兵士の数はいつもより少ない。
普段より静かなのは当然だ。
しかし、ジェレミアが落ち着かない理由は他にあった。

「・・・ルルーシュ様は、どうしただろう?」

ぽつりと独り言を呟いて、扉へと視線を向ける。
我侭な主君は、いつも突然その扉からやってきて、ジェレミアにとんでもない災難を振りまいて去っていく。
ルルーシュに仕えるようになってからは、それが日常になってしまっていて、ひとりで部屋でのんびりと過ごす時間などなかったことだ。
今日は誰一人として部屋の扉を叩くものはいない。
今朝に感じていたジェレミアの開放感は、いつのまにか疎外感に変っていた。
何もする気になれずに、ぼんやりと天井を仰いで、頭の中にルルーシュの顔を思い浮かべる。
今日はその顔をまだ一度も見ていない。
そう考えると、無性にルルーシュの顔が見たくなった。
腰掛けていた椅子から立ち上がり、ジェレミアは健康診断の行われている宮殿の広間へと向かうべく、廊下へと足を進める。
ジェレミアの部屋の前の廊下は閑散としていて、警備の兵士の姿はおろか、人っ子一人見当たらない。
それが余計にジェレミアの疎外感を煽り立てる。
やや早足気味に廊下を突き進んで、やがてその彼方からやってくる人の姿を見つけて、ジェレミアの気持ちは少しだけ疎外感から開放された。

「ジェレミア卿!?」

廊下の向こうからジェレミアに声をかけてきたのは、意外にも枢木スザクだった。

「なんだ、枢木ではないか・・・。一体どこへ行くのだ?」
「貴方を呼びに行こうと思っていたのですが、丁度良かった」
「・・・私になにか用でも?」
「ルルーシュが健康診断の途中で倒れたんだ」
「なんだと!?」
「今部屋で休ませているんだけど、とりあえずジェレミア卿に知らせようと思って・・・」
「い、一体なぜ、陛下は倒れられたのだ!?」
「それが・・・」

掴みかかるような勢いのジェレミアに、スザクは苦笑を浮かべて言葉を濁す。

「・・・まさか、ダイエットのし過ぎで貧血を起こしたとかではないのだろうな?」
「いや・・・そうじゃないんだけど・・・」
「ではなぜだ?」
「・・・実は採血の途中で急に貧血を起こして・・・」
「はぁ!?」

スザクの言葉にジェレミアは耳を疑った。
たかが採血くらいで、倒れることが信じられないのだ。

「一応医師には診察してもらったけど、やっぱりただの貧血だってさ」
「なんだ、騒ぐほどのことではないではないか・・・」
「貧血はそれほど大したことじゃないんだけど・・・」
「他にもなにかあるのか?」
「筋肉痛・・・」
「・・・筋肉痛?」
「普段しなれない運動をしたから、酷い筋肉痛で、・・・その・・・凄く、機嫌が悪いんだよ」
「そ、それは無理だ!・・・わ、私が行ったからといってどうにかなる問題ではない!!」

顔は見たいが、機嫌の悪いルルーシュの傍には近寄りたくない。
いや、近づいてはいけないのだと、ジェレミアの本能は警鐘を鳴らす。
スザクと共にルルーシュの部屋へと向かっていた足をぴたりと止めて、ジェレミアはじりじりと後ずさった。

「そんなこと言わないで、お願いしますよ。もうジェレミア卿しか頼れる人はいないんですから」
「い、嫌だ!!死にたくない!」
「そんな大袈裟な・・・」
「では、お前がルルーシュ様のお相手をすればいだろう!」
「僕は嫌です!・・・と、ゆーか、ルルーシュのご機嫌取りは貴方の仕事でしょ?」
「・・・ち、違う!いつからそうなったのだ!?」
「そう細かいことは気にしないで、とりあえず、なんとかしてください」
「だから、無理だと言っているだろうがッ!!」

「往生際が悪いですよ」と、スザクはにっこりと微笑んで、ジェレミアの服をがっしりと掴むと、嫌がるジェレミアを引き摺りながら、機嫌の悪いルルーシュの待つ部屋へと向かった。






「Sacrifice=生け贄」



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