溝
アッシュフォード学園の地下にある監視室で、モニターを前にしたジェレミアは、椅子に座ってふんぞり返っていた。
それを横目に見ながら、ヴィレッタは溜息を吐く。
なんでこいつがここにいるのだとでも、言いたそうな顔つきだった。
―――ジェレミア卿はルルーシュを殺しに来たのではなかったのか?
疑問を浮かべつつも、声をかけるのを躊躇っている。
ジェレミアは、厳しい表情でモニターを注視しながらも、なぜか嬉しそうだった。
ジェレミアに殺されるはずだったルルーシュは、まだ生きている。
しかも、ジェレミアがここにいるということは、ルルーシュ側に寝返ったと判断していいだろう。
―――・・・一体、なぜ?
ゼロの正体がルルーシュであることは、ジェレミアは既に知っているはずだ。
ジェレミアのゼロに対する執念と憎しみは、傍にいたヴィレッタが一番良く知っている。
そのジェレミアが、どうしてルルーシュの味方になっているのか。ヴィレッタの疑問は尽きない。
「ヴィレッタ」
「は、はい・・・」
突然声をかけられて、ヴィレッタは困惑する。
今のジェレミアに、どう接していいのかがわからないからだ。
「お前はいつからルルーシュ様のお傍にいるのだ?」
「え・・・えっと・・・、それは・・・」
それはルルーシュの味方になってからのことを言っているのだろうか。それとも監視を始めてからのことを言っているのだろうか。
返答に躊躇っているヴィレッタを、ジェレミアは恨めしそうな顔で睨んでいる。
―――その目は一体なんなんだ!?私がなにか悪いことでもしたというのか?
ヴィレッタはますます困惑する。
大体、なんでジェレミアが、ルルーシュを「様」付けで呼ぶのかがわからない。
いや、ルルーシュの正体について、薄々は疑いを持ち始めてはいるのだが、ジェレミアのこの態度はそれになにか関係するのだろうかと、ヴィレッタの頭の中は激しく混乱した。
「あ、あの・・・」
「なんだ?」
「・・・あ、貴方はルルーシュを殺しに来たのでは、なかったのですか?」
どう答えていいのかわからない返答をはぐらかす為に、とりあえずヴィレッタは、一番最初に持った疑問をジェレミアに聞いてみる。
そのヴィレッタの声に、ジェレミアは不愉快そうに顔を歪めた。
「・・・ジェレミア卿?」
「ルルーシュ様とお呼びしろ!」
「・・・は?」
「ルルーシュ様を呼び捨てにするとは不敬だと言っているのだ」
「で、ですが・・・わ、私は皇帝陛下のご命令で・・・」
「そんなものは関係ない!ルルーシュ様は私の主君だ」
「しゅ、主君!?」
一体どうなっているのだろうと、ヴィレッタには訳がわからない。
「あ、あの・・・なぜルルーシュさまが、あ、貴方の・・・その・・・しゅ、主君なのですか?」
「そんなことは、ルルーシュ様が皇子様だからに決まっている!」
「・・・王子様?・・・って、あの・・・白馬に乗った?」
ルルーシュがジェレミアの白馬に乗った王子様だとでも言うのだろうかと、ヴィレッタの思考は困惑を極めた挙句に、間違って乙女チックな方向へ突き進んでしまったようだ。
「・・・お前はなにを言っているのだ!?」
「ですから、・・・ルルーシュさまは王子様だと、今ご自分で仰ったではありませんか?」
「・・・言ったが、そこになぜ白馬が出てくるのだ?お前はルルーシュ様が白馬にご騎乗されたお姿を見たことでもあるのか?」
「・・・馬術の授業でなら、一・二度ありますが・・・」
そう言ったヴィレッタを、ジェレミアは羨ましそうな顔で睨みつけている。
「あ、あの・・・ジェレミア卿?」
「・・・お美しかったか?」
「は?それは・・・まぁ・・・それなりに・・・」
容姿が容姿だけに、ルルーシュが白馬に騎乗した姿は、確かに注目の的だった。
ヴィレッタの言葉に、ジェレミアは恍惚とした表情を浮かべている。
ヴィレッタは顔を顰めた。
ジェレミアがなにを考えているのかが、まったくわからないからだ。
「ところで、なぜルルーシュさまが、・・・その・・・貴方の、お、王子様なのかをお聞きしたいのですが?」
「わ、私は一言も、”私の”などとは言っていないぞ!・・・だ、大体、私がルルーシュ様を独り占めにしようなどと、そ、そのような畏れ多いことを・・・わ、私は考えてなどいない!」
顔を真っ赤にしたジェレミアの声が上擦っている。焦っていることは明らかだった。
「断じて、そのような不埒なことは考えていない!!」
「わ、わかりましたから・・・落ち着いてください。・・・それで、なぜ王子様だと・・・?」
「匂いだ!」
「臭い?」
「そうだ!」
「・・・そんなに、臭いますか?」
「それはもう・・・間違えようがないくらいに、マリアンヌ様と同じ匂いがするのだ!」
「は?・・・マリアンヌ、さま?」
突然ジェレミアの口から出てきた女性の名前に、ヴィレッタは首を傾げる。
しかし、ジェレミアの女性遍歴をある程度理解しているヴィレッタでも、「マリアンヌ」という名前には心当たりがなかった。
まさかこっそりと囲っていた女なのだろうかと、ヴィレッタは疑念を浮かべる。
―――ルルーシュはその女性とジェレミア卿との間に生まれた隠し子だとか・・・?いや、ちょっと待て、それでは歳が合わないではないか!
では、ジェレミアの言う「マリアンヌ」とは誰なのか。
「あ、あの・・・マリアンヌさま、とは一体・・・?」
「馬鹿者!マリアンヌ様はマリアンヌ様だ!」
「ですから、どちらの女性なのかと・・・」
「后妃のマリアンヌ様に決まっている!」
「こ、后妃!?」
その名前は耳にしたことはあっても、「后妃マリアンヌ」とジェレミアの言う「マリアンヌ様」が、ヴィレッタの中で結びつかなかったことは仕方のないことだ。
なにしろ、后妃マリアンヌは十年近くも昔に亡くなっているし、当然ヴィレッタは一度も面識がない。
「ルルーシュ様はマリアンヌ様のご子息だ」
「そ、それでは、ルルーシュは・・・」
「王子」ではなく「皇子」なのだ。それもブリタニアの。
あまりの驚愕に、ヴィレッタは「様」をつけることを忘れている。
呆然としているヴィレッタの前で、ジェレミアは何かに気がついたように突然立ち上がった。
「・・・ジェレミア卿?」
「ルルーシュ様がいらっしゃる」
「あ、あの・・・でも・・・」
「足音」
言われて耳を澄ましてみても、ヴィレッタにはなにも聞こえない。
「気のせいでは?」と訝しむヴィレッタを他所に、ジェレミアは入り口の扉の前で片膝を着いた。
ジェレミアが頭を下げるのと同時に扉が開いて、ルルーシュが姿を現す。
驚くべきタイミングと言っていいだろう。
「待たせて悪かったな」
「いえ、構いません」
そう言ったジェレミアに、一瞬、犬の耳と尻尾が見えたような気がしたのは、ヴィレッタの気のせいだろうか・・・。