偉大なる野望



年が明けて、平常の生活が戻りつつある今日この頃、少年は眉間に皺を寄せた難しい顔つきで、思案に耽っていた。

―――この想いをどのように表現し、したためれば良いものか・・・?

目の前には、真っ白な和紙が広げてある。
その横に置かれた硯箱を引き寄せて、ルルーシュは徐に墨を磨りだした。
と、言うことは、書初めでも始めるのかというと、そうではない。
墨を磨り終えて、極太の筆を手にしたルルーシュは、動きを止めて、またもや考え込んでいる。
年明け早々、和紙を目の前に墨を磨り、筆を手にしながらも書初めをするわけでもなく、ルルーシュはなにをしようとしているのか。

「なんだルルーシュ?今年もまたやっているのか?・・・ご苦労なことだな・・・」

通りかかったC.C.がそれを見て、おもしろそうに声を掛ける。
しかしルルーシュはそれを相手にせずに、広げられた和紙の一点を、黙ってじっと見つめていた。
それだけ集中していると言うことなのだろう。
一旦はその場を通り過ぎようとしていたC.C.だったが、あまりにも真剣な様子に興味を覚えたのか、近くにあった椅子を引き寄せて、ルルーシュの邪魔にならないように、少し離れた場所で腰掛けた。

「今年はなにを書くのだ?」
「うるさい!」

ニヤニヤと笑みを浮かべながら話しかけるC.C.に、ルルーシュは取り合おうともしない。

「確か去年は・・・」
「い、言うな!」

厳しい声で言葉を阻まれて、C.C.は黙った。
ルルーシュは毎年新年になると、必ず年頭にその年の抱負を紙にしたためる。
いや、「抱負」と言ってしまうと、少し語弊があるかもしれない。
その年に叶えたい「夢」や「希望」を紙にしたためて、心の励みにしているのだ。
そして、ここ数年、ルルーシュは毎年同じ言葉を書いている。
どれだけ気合を入れて書いても、その望みは未だに叶っていない。
叶えられない望みほど、それを切望するのは人間の心理である。
だからルルーシュは、それを一心に願い続けた。
街を歩く時、神社や寺、教会を見かけると、宗教、宗派を問わずに必ず立ち寄って、祈ることを欠かしたことがないし、夜、空を見上げる時には、いつ流れ星が降ってきてもいいように、心の準備を怠らない。
去年の七夕には、笹竹を丸ごと一本それ専用の為に費やしたほどだ。
それだけの努力をしているにも関わらず、未だに自分のささやかな望みが叶えられないことに、ルルーシュは悲嘆にくれていた。
「神も仏もイエス・キリストもこの世に存在しないのか・・・」などと絶望しているルルーシュは、その節操のなさが、不信心に繋がるとは思っていない。
それにしても、今年のルルーシュは気合の入り方が尋常ではない。
全神経を筆先に集中して、全身全霊をこめて磨った墨をたっぷりと筆に吸わせる。
そして、

『彼女が欲しい!』

自分の思いの丈をぶつけるように、まっさらな和紙に一気に書き上げた。

「・・・またそれか・・・」

それを見ていたC.C.は呆れ顔で、うんざりとした表情を浮かべている。

「こ、今年は去年までとは違うぞ!」
「・・・・・・・・・まぁ、少しは違うようだが・・・」
「同じ過ちは二度と繰り返さない」
「・・・過ちというよりも、字が間違っていただけではないか」
「この俺としたことが、それに気づかなかったのは一生の不覚・・・」
「しかしまぁ・・・去年までの願いは叶えられたのだから、そんなに力むこともないのではないか?」
「アホか!間違った願いの叶えられ方をしても嬉しくないにきまっている!」
「・・・満更でも、なさそうだが?」
「う、うるさい!」

「望みは叶っていない」と言ったが、去年まで紙にしたためられていた望みは、実は叶っていたのである。
しかも、紙に書かれた願いそのままに。
では、去年までルルーシュはなにを望んでいたのか。

『恋人が欲しい』

ルルーシュは確かにそう書いたつもりだった。
しかし、漢字文化のない国で幼年期を過ごしたルルーシュは、「漢字」が苦手だった。
苦手ではあったが、見栄っ張りのルルーシュは無駄に漢字を使いたがる。
だから、「恋人」と書いたつもりが「変人」と書いてしまっていたことに、少しも気づかなかった。
年頭の抱負にも、神社に奉納した絵馬にも、七夕の短冊にも、一貫して「変人」と書いてしまっている。
幸か不幸か、それらはすべて人目につかないところにひっそりと奉納してあったり飾ってあったりで、そのとんでもない間違いを正す者は誰ひとりいなかった。
その御利益の賜物か、C.C.を皮切りに、黒の騎士団の面々やらロロやらの、一癖も二癖もある人間が次から次へとルルーシュの周りに集まりだしたのである。
そして、極めつけはジェレミアだった。
従順なルルーシュの臣下は、異常なほどに主に忠実で、ルルーシュの言葉は絶対だと思い極めている。
ルルーシュの退屈しのぎの玩具にされても、奴隷のようにこき使われても文句一つ言わないジェレミアは、公私共に、至極都合のいい存在だった。
それをいいことに、ルルーシュはジェレミアに夜の相手までさせている。
ただの性欲処理の玩具として恋愛感情が伴っていなくても、ルルーシュに尽くすジェレミアは、傍から見ればそうは見えない。
立派な「恋人」か「愛人」だ。いや、自分も相手も同じ男なのだから、やはり「変人」という言葉が一番しっくりと当てはまる。

「どうしてこんなことになってしまったのだッ!?」

頭を抱えて苦悩しているルルーシュに、「それはお前が馬鹿だからだろう」と、よっぽど言ってやりたかったC.C.だったが、喉まででかかったその言葉をグッと呑み込んで、冷ややかな視線を向けていた。
これ以上、ルルーシュの神経を逆なでしても、あまりおもしろくならないことにはならないことをC.C.は知っている。
見栄っ張りで自尊心が人一倍高く、その上思慮深い・・・というよりは、計算高いこの少年が、この先まともな恋愛ができるとは、人生経験が豊富なC.C.には到底思えない。

「・・・妥協と言うものも必要だと思うが?」
「どういう意味だ?」
「ジェレミアで我慢しておけてということだ」
「・・・・・・・・ば、馬鹿か!?なんで俺があんなやつを恋人にしなければならないのだ!?」
「だから、人生には妥協という言葉も必要だと・・・」
「妥協するにもほどがある!あいつは俺の臣下だぞ?玩具か奴隷で充分だ!」

そう言い放ったルルーシュの耳に、部屋の前から逃げるように遠ざかる足音が聞こえたかどうか・・・。