そして誰もこなくなった・・・部屋
雲ひとつない、澄みきった青い空が、高かった。
メイズを模した美しい庭園から渡ってくる微風が、テラスを通り過ぎ、大気へと消えていく。
降り注ぐ、優しい午後の日差しが、まどろみを誘う。
「平和だ・・・」
間延びした声で呟いたスザクは、大きなあくびをしてから、「う〜ん」と、大きく伸びをした。
その隣ではC.C.が、焼き菓子を頬張っている。
ジェレミアは、いつもの難しい表情を解いて、テーカップから立ち上る香りに、目を細めた。
いつものこの時間なら、まだ書類の山に埋もれている彼らだが、今日は邪魔者がいない所為か、思いのほか仕事がスムーズに捗り、それまで暇を持て余していたC.C.の誘いで、午後のお茶会を開くことになったのである。
「邪魔者」とは、今熱を出して寝込んでいるルルーシュに他ならない。
本来なら皇帝であるルルーシュが先頭をきって仕事をすべきはずなのだが、何かと口実を見つけては、すぐに仕事をサボりたがるのだ。
そのツケは、漏れなくスザクやジェレミアに全てまわされるばかりか、ルルーシュは余計な厄介ごとを持ち込んでは仕事の邪魔をしてくれるのだから、堪ったものではない。
久しぶりのゆったりとした時間を過ごしながらも、三人の口からはルルーシュの話題は一言も出てこなかった。
努めて、今はその存在を忘れようとしているようにも窺える。
昨日の夕食の味付けはどうだったとか、今朝はいつもより部屋の外が静かだったとか・・・どうでもいいような話題を話しながら、時間はゆっくりと過ぎていく。
C.C.が三個目のマフィンを食べ終えて、クッキーに手を伸ばしかけたその手がピタリと止まった。
「どうしたんだ?」
C.C.の不自然な静止に、スザクが首を傾げる。
「・・・なにか、聞こえないか?」
「・・・なにか・・・とは?」
訝しそうに眉根を寄せて、ジェレミアはC.C.の様子を窺った。
「音楽のようなものが、どこかで鳴っている・・・ような・・・」
言われて、耳を澄ませば、確かに何かが鳴っている。
しかも、それは誰もが一度はどこかで聞いたことがあるような音楽だった。
「ワルキューレ奇行・・・ではないか?確かワーグナーの地獄の黙示録・・・しかし、なぜそんな音楽がこの場に流れてくるのだ?」
「・・・それ、多分僕の携帯の着うたです」
ジェレミアの疑問に答えたスザクの顔色が、微かに蒼ざめている。
上着のポケットを探り、取り出した携帯からは、静寂を破る重々しいクラッシックが鳴り響いていた。
「お前はなんという音楽を着うたにしているのだ?」
「いや・・・これは・・・」
口篭りながら、スザクはなぜか、着信の相手を確認せずに、自分の携帯をジェレミアに手渡した。
「なぜ私によこすのだ?」
「その音楽・・・地獄の黙示録はルルーシュ専用の着うたに設定してあるんです。だから相手は間違いなくルルーシュです。・・・と、いうわけで、ジェレミア卿にお任せします」
「な、な、な・・・なにを言っているのだ!?お前の携帯にかかってきたのだから持ち主であるお前が出るのが当然ではないか!わ、私は知らん!!」
渡された携帯をつき返して、ジェレミアは大いに狼狽の表情を浮かべている。
しばらくして、音楽が途切れて、三人は息を呑んでスザクの手の中にある携帯を凝視した。
「なんで僕の携帯にかかってくるんだ?」
「そうだな・・・順番から行ったら一番最初にジェレミアにかかってきそうなものだが・・・」
言われて、慌てて取り出したジェレミアの携帯の画面には、ズラリと着歴マークが表示されている。
一度も着信音が鳴っていないジェレミアの携帯は、マナーモードになっていたのだ。
「いくら鳴らしてもジェレミア卿が電話に出ないから僕の携帯にかけてよこしたわけか・・・」
「どうするのだ?きっと今頃ルルーシュはカンカンだぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
窮地に立たされたジェレミアの目の前で、二度目の地獄の黙示録が鳴り響いた。
正にジェレミアにとって、「リアル・地獄の黙示録」である。
「早く出た方がいいんじゃないんですか?」
「いや、もう手遅れだろう?ルルーシュは怒ると手がつけられないからな」
「C.C.・・・ジェレミア卿を脅してどうするんだ!?」
「私は本当のことを言っただけだ」
「兎に角、ジェレミア卿がお出にならないのでしたらとりあえず僕が出ます。その後のことはご自分で何とかしてください!いいですね?」
ジェレミアの返事を待たずして、スザクは思いきりよく発話ボタンを押した。
「ル・・・ルルーシュ?」
名前を呼んだ途端、耳元で激しく咳き込む声が聞こえて、思わず携帯を耳から話したスザクは、ルルーシュの咳が治まるのを待った。
「だ、大丈夫かい?そんな状態で電話をしてくるなんて・・・なにか急用でも?」
『いや、用というほどのことではないのだが・・・。ちょっと聞きたいんだが、ジェレミアはそこにいるか?』
「ジェレミア卿?・・・いるけど?」
『ちょっと代わってもらえるか?』
「うん。ちょっと待ってて」
そう言って、携帯を差し出されたジェレミアは、石のように固まっている。
電話の向こうではルルーシュがケホケホと咳き込んでいた。
「あ・・・あの、お加減はいかがですか?」
『あまり良くない・・・』
恐々とジェレミアが尋ねれば、ルルーシュは普段の勝気さからは想像もつかないような弱弱しい声で、返した。
『ところでジェレミア、お前の携帯に何度か電話したのだが・・・どうして出てくれなかったのだ?』
「も、申し訳ございません。し・・・仕事中でしたので、マナーモードになっていまして・・・。あの・・・私になにか急な御用でもありましたでしょうか?」
『いや、急用と言うほどのことはないのだが・・・お前の声が聞きたくなったのでかけたのだが・・・』
「ほ、本当ですか!?」
ルルーシュの一言に、それまで沈んでいたジェレミアの表情がぱっと輝いたのは、言うまでもない。
『何度かけても出てくれないので、お前に嫌われてしまったのではないかと思って心配になったのだ』
「そ、そんなこと、あるはずがないではありませんか!私はルルーシュ様の為でしたら、どのようなことでもいたします!」
『本当か?では、お前の顔が見たいと俺が言ったら、お前はすぐ来てくれるか?』
「い、行きます!今行きます!すぐ行きます!!待っていてくださいッ!」
ルルーシュの策略に嵌っていることにも気づかずに、ジェレミアはテラスを飛び出す勢いで走り出そうとした。
「ジェレミア卿!」
不意に呼び止められて、声の主に視線を向ければ、C.C.とスザクが呆れた顔をしてジェレミアを見つめている。
「なんだ?私は忙しいのだ!」
「・・・僕の携帯、返していただけますか?」