裏切りの罪と罰



コトリと小さな音を立てて、ジェレミアの前にマグカップが置かれた。
アールグレイの香りが気持ちを落ち着けてくれる。
と言うことは、マグカップの中身は紅茶なのだろう。
ジェレミアはマグカップで紅茶を飲んだことは一度もなかった。
口をつけるのを少し躊躇っていると、ルルーシュは困ったような笑みを浮かべてそれを見ている。

「すまないな・・・ここにはろくな茶器がない。お前の口には合わないかもしれないが我慢してくれ」
「いえ、そのようなことは、ございませんが・・・」

そう言って口許にマグカップを運んだ。
唇に感じる陶器の厚みと形は確かにジェレミアの口には馴染みのない感触だったが、ルルーシュの淹れてくれた紅茶の味は格別に美味しかった。
ジェレミアとお揃いのマグカップを手にしたルルーシュは対面の長椅子に腰掛けて、当たり前のようにそれを啜っている。
その仕草が、手にしたマグカップとは不釣合いなほどに優雅だった。
しばらくそれに見惚れて、ジェレミアはなんだか気恥ずかしさを感じて顔を俯けた。
聞きたいことは山ほどあったはずなのに、今はこの穏やかな時間を壊したくはない。

「どうした?」

黙ったまま俯いているとルルーシュが心配そうにジェレミアの顔を覗き込む。
主を気遣わせていることに気づき、「なんでもありません」と精一杯の笑顔を向けた。
それは泣き笑いのような、酷く歪で複雑な表情にしかならなかったけれども、自然と溢れる涙を堪えた今のジェレミアにはそれが精一杯だった。

「お前は泣き虫だな・・・」
「・・・申し訳、ございません・・・」
「別に謝らなくてもいい。・・・我慢、してたんだろ?」

ジェレミアの泣き顔から顔を背けて、ぶっきらぼうにそう言ったルルーシュの声が優しかった。
だから、溢れる涙が止まらない。

「・・・ル、ルルーシュ様はご存知だったのですか・・・?私が、クロヴィス殿下と・・・その・・・か、関係を持っていたことを・・・」
「ああ」
「・・・どうして、なにも言ってくださらなかったのですか?」
「お前が話そうとしないことをいちいち言う必要なないだろう?それに・・・俺に知られたくないから話さなかったのではないのか?」
「私はルルーシュ様に嫌われるのが怖くて、・・・け、軽蔑されるのが嫌だったのです・・・」
「出世の為か?」

ジェレミアは黙って頷いた。
権力を得る為にジェレミアはクロヴィスに身体を売った。
クロヴィスがこのエリアの総督に就任してからのジェレミアの出世は異例の早さだった。
実力があっても機会に恵まれなければ埋もれてしまう逸材は数多くいる。
例え機会に恵まれたとしても、信頼と実績を築くには時間がかかるものだ。
そうそうトントン拍子に出世などできるものではない。
そんなことは社会経験の少ないルルーシュにもわかることだ。

「私を、お叱りにならないのですか?」
「なぜ俺がお前を叱らなければならないのだ?済んだことをとやかく言っても仕方ないだろう。それにもう時効だ」
「わ、私を、軽蔑なさらないのですか?」
「軽蔑などしない。お前は自分の信念を持って行動したんだろう?覚悟はその時に決めたのではないのか?」
「はい。・・・ですが、私はルルーシュ様とナナリー様が生きているとは、その時は知らなかったのです・・・今とは状況が違います」
「俺が生きていると知っていたら、お前はクロヴィスに取り入らなかったと言うのだな?」
「と、当然です!私はルルーシュ様とナナリー様だけにお仕えしようと心に決めておりました。・・・しかしそれも叶わず、お二人が亡くなられたとお聞きして、私は・・・私は自分の無力さを知りました」
「それでお前は権力に固執していたのだな?」
「力がなければ何もできないと思っていました。・・・しかしそれは間違いでした。知らなかったとは言え、私はルルーシュ様を裏切っていたのです。顔向けのできないことを、してしまいました。・・・私はそれを隠して、自分の都合の悪いことには蓋をして、ルルーシュ様の傍に・・・それでも私はルルーシュ様の傍に、いたかったのです・・・」
「ジェレミア、・・・お前、やっぱり馬鹿だな?」
「は・・・?」
「そんなことを言って、俺から逃げ出せると思っているのか?この俺にお前の尻拭いまでさせておいて逃げ出そうとは随分と図々しい話ではないか?」
「そ、そんなつもりでは・・・」
「ないと、言うのか?」
「は、はい・・・」
「だったら、俺の命令に従え。あまり面倒をかけさせるな」
「ルルーシュ様・・・」
「お前には俺の道具としてもっと役に立ってもらうつもりでいるのだからな」
「・・・道具・・・、ですか・・・?」
「なんだ?俺の道具では不満か?」
「い、いえ!そんなことはありません!!・・・ふ、不満など、私には・・・」
「だったらこの話はこれまでだ。いいな?」

そう言われて、ジェレミアは素直に「はい」と返事を返した。
ルルーシュはにんまりと笑みを浮かべている。
それを見て、懺悔から立ち直りかけたジェレミアは嫌な予感がした。
本気でこの場から逃げ出したい衝動に駆られて、腰を浮かしかけたほどだった。

「どうした?なにをそんなに慌てている?」
「あ・・い、いえ。その・・・きゅ、急用を思い出しまして・・・」
「下手な言い訳はやめろ・・・。俺の話がまだ済んでいない」
「・・・は、はい・・・」

逃げ出すことを諦めて、椅子に座りかけるとルルーシュが「傍に来い」と手招きする。
ジェレミアは立ち上がって、ルルーシュの腰掛けている長椅子の横に膝を着いた。

「そこじゃない」
「は?」
「もっと近くだ」
「し、しかし・・・」
「俺の隣に座れ」
「そ、それは・・・」
「俺の命令が聞けないのか?」

ルルーシュは妖艶な笑みを浮かべてジェレミアに手を伸ばした。
目の前に差し出された白い手を取って、ジェレミアがその甲に口づけを落とすと、ルルーシュは笑みを深くした。
すでにやる気満々で悩殺的な色香を振りまいている。
本人にその自覚があるかどうかはわからなかったが、欲情している時のルルーシュは堪らなく色っぽい。
ルルーシュの性格をまだ知らなかったジェレミアはその色香に騙されて、まんまとルルーシュに押し倒されてしまったのだ。
もちろん最初は押し倒されるつもりではなかった。
男として当然上に乗るつもりだったはずなのに、散々ルルーシュに翻弄された挙句、結果ジェレミアが下になっていた。
どんなに綺麗な顔をしていても、どんなに色っぽい仕草をしていても、ルルーシュは男だ。
中性的な外見にうっかりと騙されたジェレミアはそれを忘れていたのである。
一度押し倒してしまえばこっちのものとばかりに、ルルーシュはジェレミアの身体を弄んだ。
何をそんなに気に入ったのかはわからないが、ルルーシュはジェレミアを捻くれた愛情で大切にしてくれる。
ルルーシュに求められればジェレミアは渋々ながら身体を差し出す。
その行為に抵抗はあるものの、屈辱は感じない。
躊躇いははじめのうちだけで、セックスの最中はどっぷりとルルーシュの与えてくれる快楽に浸かりきってしまうジェレミアは、自分の浅ましさに後になって激しく嫌悪する。
それをわかっていても、ルルーシュの誘いはやはり断れない。
だから、今もそうなのだ。
しかし、主君の横に座ることは流石に躊躇われる。
そんな畏れ多いことはジェレミアにはできなかった。
夜を共に過ごして、身体まで繋げているのに、今更だとルルーシュには笑われるかもしれないが、理性のあるうちのジェレミアは自分の身分をしっかりと弁えている。
どうしていいかわからずに躊躇っていると、ルルーシュの顔が少しずつ不機嫌さを増していくのがわかった。
わかっていても、「申し訳ございません」とジェレミアには頭を下げることしかできない。
頭を下げたジェレミアをルルーシュはおもしろくなさそうに見つめている。

「俺に恥をかかせるつもりか?」
「そ、そのようなことはございません」
「では、焦らしているのか?」
「ルルーシュ様を焦らすなど・・・そのような畏れ多いことを、私がするとお考えですか?」
「ではなんだ!?なぜ俺の言うことが聞けない!?」
「・・・ルルーシュ様と肩を並べて同じ椅子に座ることは、臣下として許されないことでございます」
「今更なにを言っている?頭の固すぎるにもほどがありすぎだ!」
「も、申し訳、ございません・・・」
「そんなことだから、お前は・・・あ、あんな・・・あんな下衆な男に、つけ入られるのだ!」
「そ、それは・・・」
「お前を寝取られて俺がなんとも思っていないとでも、お前は考えているのか!?」

椅子から立ち上がったルルーシュは、床に膝を落としているジェレミアの襟元を掴み上げた。
ジェレミアを睨みつけるその瞳には、視線だけで人を射殺すことができるような強い怒りが漲っている。

「今すぐにでもあの男をこの手で殺してやりたが、それもできない・・・。自分の大事なものを汚されて何もできない俺が、どれほど我慢しているかわかっているのか!?」
「・・・ルルーシュ様!」

「大事なもの」と言われて、ジェレミアは胸が締めつけられた。
主の怒りを前に、不謹慎なのはわかっているが、その言葉が堪らなく嬉しかった。
だから、「もういい」と、襟を掴んでいたルルーシュの手が離された時には本当に見捨てられた気がして、ジェレミアは立ち去りかけたルルーシュの脚に慌てて縋りついた。

「お待ちください!・・・わ、私を、お見捨てにならないでください」
「・・・見捨てなどは、しない。ただ・・・金輪際、お前とは身体の関係は持たないから、そのつもりでいろ」
「ルルーシュ様・・・」
「・・・こんな嫌な想いはもうたくさんだ!なにもなければ、こんな気持ちにはならないで済む・・・。主君と臣下の関係をお前は望んでいるんだろう?だったら身体の関係は不要だ」
「ま、待って・・・待ってください!そ、そんなのは嫌です!」
「なにが嫌なんだ?・・・お前はそれを望んでいるから拘っているんだろう?」
「ち、違います!」
「違わない!お前は主君の俺の命令だから、仕方なく俺に身体を預けるんだ・・・」
「私は、・・・さ、最初は確かにそうだったかも知れませんが、でも今は・・・今は、違います!私はルルーシュ様が好きだから・・・そ、その・・・ルルーシュ様に・・・か、身体を・・・。・・・だ、抱かれているのです・・・」

ルルーシュの脚にしがみついて、そう言ったジェレミアの言葉の最後の方は声が小さくなって聞き取り難かったが、ルルーシュにははっきりと聞こえていた。
少し驚いて、しがみついているジェレミアを見下ろすと、顔を紅くしてルルーシュを不安そうに見上げる男の姿がそこにある。
「離せ」と命じても、ジェレミアは「離しません」と言って、ぎゅっと腕に力を入れた。

「痛いと言っているんだ!お前の馬鹿力で俺の脚を折るつもりか?」
「も、申し訳ございません!!」

ルルーシュに言われて、ジェレミアは慌てて巻きつけていた腕を離した。

「最近のお前は扱い難い・・・」
「は?」
「俺の言うことは聞かないし、勝手なことばかり言ってくれる」
「・・・す、すみません・・・」
「甘やかした俺にも責任はあるが・・・だが、命令違反は重罪だ。罰は覚悟しているんだろうな?」
「・・・は、はい」
「躾をしなおしてやるからついて来い!」

ルルーシュの言う「躾」がなにを指しているのかは、ジェレミアにはすぐに理解できた。
向かう先もわかっている。
それでもジェレミアは躊躇わずにルルーシュの後に続いた。





暗い寝室のベッドの上でジェレミアの身体を組み敷いたルルーシュは、何度も何度も深い口づけを与えた。
欲に塗れて上気したジェレミアの顔が堪らなく可愛かった。
口づけだけですでに朦朧とした瞳をルルーシュに向けるジェレミアに、ルルーシュは急に不安を感じる。
感じやすいジェレミアがディートハルトにもこんな顔を見せたのではないのかと、ルルーシュの胸の内に激しい嫉妬が湧き上がった。
本当は優しくしてやろうと思っていたはずなのに、嫉妬に駆られたルルーシュにはそんな余裕はなくなっている。
敏感な首筋に舌を這わせて時々強く吸い上げると、ジェレミアは身を捩じらせて必死で声を堪えていた。
その媚態がルルーシュの更なる嫉妬の心に火を点す。
だから、確認せずにはいられなかった。ジェレミアの口から直接言葉を聞きたかった。
「ジェレミア」と、名前を呼んで、ルルーシュはジェレミアの上気した顔を覗き込む。

「お前は誰のものだ?」
「私は・・・ルルーシュ様だけのものです」
「そうか・・・」

たったそれだけの会話だったが、ルルーシュの心は満たされて、少しだけ気持ちに余裕が持てた。
ジェレミアの乱れかけた衣服の前を開けて、自分の服を脱ぎ捨てる。
肌と肌を合わせながら、ルルーシュはジェレミアの身体を強く抱きしめた。
抱きしめながら、ようやく自分の手元に取り返したことを確認するように、腕の中のジェレミアの素肌にくちびるを落とす。
それをどれくらい感じているかはわからなかったけれど、自分の背中にジェレミアの腕が回されたことで、ルルーシュは安心した。
余計な会話は一切しないで、ただ夢中でジェレミアの身体を貪り尽くして、長い時間を繋がったまま二人だけで過ごして、気がつけば身体がくたくたに疲れきっていた。
自分の下にいるジェレミアはすでに身体をベッドの上に投げ出している。
息は乱れてはいなかったが、ルルーシュの身体を抱き返す気力もなさそうだった。
ルルーシュよりも体力のあるはずのジェレミアが先に参ってしまうのは、やはり受け入れる行為はそれだけの負担が身体にかかっている証拠だろう。
乱れて、シーツの上に散らばるジェレミアの髪を優しく撫でながら、身体を離しかけると、それを拒むようにジェレミアがルルーシュの身体に慌ててしがみついた。

「もう少しだけ、このままでいて、いただけませんか・・・?」

少し辛そうな表情をしながら、そう言ったジェレミアに「別に構わないが・・・」と言いかけて、「やっぱり駄目だ」と意見を変える。

「なぜ、ですか?」
「・・・お前が辛そうだから。それに汗で身体が気持ち悪いし・・・」

そう言われて、ジェレミアは諦めたようにルルーシュの背中に回していた腕を離した。
ジェレミアの腕が力なくシーツの上に滑り落ちていくのを感じながら、ゆっくりと繋がっていた腰を離したルルーシュは、少し心配そうにジェレミアの様子を窺う。
呼吸は乱れていなかったが、瞼を閉じたままピクリとも動かない。

「大丈夫か?」
「はい。・・・少し疲れただけですから・・・」

ルルーシュの声にジェレミアは瞼を上げた。

「お前、無理しすぎだ」
「ルルーシュさま・・・。お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「なぜ、あの時、・・・私を止めたのですか?」
「あの時とは?」
「私がディートハルトを殺そうとしたのを、お止めになったではありませんか・・・」
「あれか?あれは・・・仕方ないだろう?あの時もしもお前があいつを殺していたら、俺はお前を庇いきれなくなる。傍に置いておけなくなる」
「・・・私の為、ですか?」
「思い上がるなよ?あれは俺の為に止めたんだ」
「ルルーシュ様の為?」
「そうだ。今は殺すことはできないが、ゼロではなく、この俺があの男を殺してやる。絶対に許さない!お前が感じた屈辱と絶望以上のものをたっぷりと味あわせて、後悔の中で死んでもらう。ただ殺すだけでは物足りない!」
「ルルーシュさま・・・」
「だから、お前はなにも心配しなくていい。嫌なことは忘れてしまえ!わかったな?」
「はい・・・」

ルルーシュの言葉で悪夢から覚めたような気がしたジェレミアは、穏やかな表情を浮かべながら重い瞼を静かに閉じた。