石のつぶやき







詩の投稿をどうぞ
 ( gamiさんに )

 私にとっては、まず何よりも 詩 は自身の内に安らぐことができる或る心の状態であっ
て、自分を自分として認めることができる世界なのです。
  繊細な他者からの投げかけによって、あるいはそのような他者を意識することによって、
波紋のように湧き起ってきます。そして自分自身を癒してくれます。(誰にとっても、心の
奥の一番大切な部分は、最も傷つきやすくもあるのではないでしょうか。そんな部分をもと
もと結構危うくかろうじて生きのびさせている私なのです。)
 花見をしながら美味しいお酒を楽しく飲むのは、もちろんとてもテーゲーでいいことで
す。僕も入院しましたが、仕事をしすぎて具合が悪くなるのは、健康な体の、テーゲーにし
なさい、というサインです。心にゆっくり休みをとる工夫をどうぞ





悲願
(白うさぎさんに その6)


ファンタジーに飢えている
願いの中でしか自由になれないから
その中でしか自分が自分になれないから

悲しみが背中を押し
憧れがはるかな未来へ導く

現実は選択し築くもの
それが広く知られなければ
変革はない

真実は選び取るもの
今この瞬間もある無限の事実から 選択しなければならない

人間とは選択することができる主体
それは賭けの連続でもあるのだけど
何に後押しされ 何に導かれて 選択するのか
それは常に問われ続ける

ファンタジーは 憧れへの想像力
想像力は 創造力
けれども 悲しみを見捨てれば 行方は見失われるだろう







そのX 冬の旅
(白うさぎさんに その5)


あまりに真摯な思いが急迫してきたとき
有効な言葉などあるのだろうか
あのころ そんな思いが身を寄せることがあれば
私の惨めな厳しい冬はあんなにも長くはなかったのではないか

けだかく大きな憧れを持つまなざしを求めて見えた ただ一つの価値
しかしその価値を得るための冬の旅は はるかに長く苦しい日々だった
それでもそのころ 例えばベートーベンの第9番の第1楽章を聞けば
自分の苦しみなど取るに足らないことが実感できた 
ほとんどの芸術・文学・哲学の普遍性は 骨の髄まで凍るような
このまま発狂してしまうのではないかと思われるほどの
孤独の苦しみの果てに 横たわっている 
この極限の寂しさの果てに はじめて感覚は磨きに磨かれ 
本当の自己が確立され 本物の普遍性がすべて見えてくる
若い魂よ 君は美しい 
だから 今は逃げないで 耐えに耐え 究極の寂しい冬の旅を続けなさい
すべての孤独な魂たちの奥底が 理解できる日まで 


しかしこんな言葉に何の力があるだろう
真実が見え 知と感覚が極限まで研ぎ澄まされても
不幸な孤独感はただ空虚に深まるばかり
冬空のかなたには あのただひとつの価値が またたくばかりだというのに

私は誰も救うことができない
ただ かって 私もその長い冬をさまよったのだが…
そして多くの先人たちもそうだったと 今も…







その U


かんじんなのは、何をあこがれるかで、
明確なことは、この世の果ては、ここ だということぐらい。
その今は、掴むものではなく、愛するもの
そして、ここを見い出すためには、永遠をあこがれるまなざしが…。

掴む言葉、掴むまなざしから、何時もそれはすり抜けてしまう
だから私は、あの丘の上の馬鹿のように、見、語りたい
そして私は自答する、「たぶん、それでいいはず…」と

ヨハネス・フェルメールのまなざしは、確かに、道しるべの一つ。

「こうしろ」とはとても言えない。決断はいつも賭けだから。

愛される資格はなくても、ひそかに愛する資格はあるはず。
どうか、この世の果てから、あなたをやさしく見守る
多くのまなざしの一つに、名前をつけないで。
たまたま強い風に、言葉をのせられた一人なのだから

まどろむ石は、しばらく、詩種(うたたね)に入ります
 また、いつか、風の強い日にでも……




 
その W


(労働は、バランスのとれた食事や、排泄や7時間以上の睡眠と
同じように必要なこと。
でもそれは1日4時間以下で充分なはずで、後は搾取されている時間だ という
経済学的試算があるらしいけど……。)

死のペストが支配した中世の暗黒時代のように
生きる意味を見失わせる恐ろしい「心の風邪」が猛威を振るう時代の中で
プレッシャーも努力もエンジョイしてしまう呪文を会得できれば
君はもうアルケミスト
人生(サバイバル)の達人として成功は思いのまま……

明日、無謀な車にひき逃げされれば
君はもう社会の最弱者
つまり「天下のまわりもの」は
お金よりも『弱さ』

「大いなる力には大いなる責任が伴う」
富も『力』もそれを持つこと自体は悪くはないはず
だってそれだけ多くの弱者の不幸に手を差し伸べられるはずだから

でもね、「金持ちが天国に入るのは、駱駝が針の穴をくぐるのより難しい。」と言った
イエスの言葉だけはいつも忘れないように
金力・地位・権力という圧倒的な魔力にうち勝ち
自由であることは
針のムシロに座りつづけるに等しい困難さが

だから『賢者の石』を持つ人は
目の前の小さな幸せに無限の価値を見出しつつ
ゆっくりと一期一会(いちごいちえ)のお茶を飲む……

「弱者でいいじゃない。ささやかな幸せしか求めない僕を
どうしてそんなにあせらせ、追いたてるの。
だいじなことは、わすれていけないことは、そんなことじゃないはず……」

だいじなことは、わすれていけないのは……

鳥たちのさえずり
そよぐ風
流れるくも
青いそら
川のせせらぎ
野のはなばな
やさしい木々のかげり
ときのうつりかわり
草原のにおい
たそがれ
ああ なんてきれいなゆうやけだろう……

  生きていることのすばらしさをわすれないで  
だいじなことは
ただ やさしさ(愛) だけ

それをわすれないあなたが
たとえ少年であってもどんな弱者であっても
ぼくはあなたをそんけいしつづける

ぼくはけっしてきみを忘れない

きみをわすれないことが ぼくがぼくであること




いちばん危険なのは自分自身
どうかぼくにちかづかないで
どんなに気をつけても
きっと君を傷つけてしまうから
ぼくはとげだらけのやまあらし?
ぼくにレッテルやなまえをつけないで
ぼくはぼくを知らないもの
それがぼくだもの

ぼくがぼくであるために
ぼくはぼくに呪文をかける


透明な道で すれちがった時
ささやいたのは 君だったのか
「幸せの頂(いただき)を見るのが 春の役目だ。」と
長い旅姿のままの 私の冬(かなしみ)よ

長い旅の果ての冬姿の旅人は
鳥たちのさえずる緑の谷間の
霧の流れる深い林で
まどろむ石になる…


そして ぼくは ぼく になる

わすれてはいけない だいじなこと を
わすれない ように

ぼくがぼくであるために
ぼくはぼくに呪文をかける


星降る 大海原(おおうなばら)を 
ゆくえもなく あてもなく
ただよふ 海月(くらげ)
今の 自分 に たどりつくために
宇宙(えいえん)を一周して……


そして ぼくは ぼく になる

わすれてはいけない だいじなこと を
わすれない ように





その T
(風にゆれるMへ)

 私を哀しませるあこがれが
どうやら、私を旅に導き
私の目を開かせ耳を開かせ
私の世界を彩り豊かにしたようだ

 永い永い旅姿のままの私の冬(かなしみ)は
いつしか霧の谷の林の中で、まどろむ石となり
今歌種中。

(それにしても、
あの日、あの人に出会ったとき、
どうして『若いということの魅力は、
満ち足りていることの大きさの中にあるのではなく
不足していることの大きさの中にある』ということが素直にわからず、
自信もなく、私自身を去らせてしまったのだろう)
 
また、風の強い日にでも……




その V


 わかってもその名で呼びかけないで
性別も、容姿も、血液型も、生年月日も関係のない、
心の奥底に最も近い言葉で語りたいから。

それでも必要なら、あの掲示板で「朝の魔女」に呼びかけ、
フェルメールについて語りかける人について、メールでヒントがほしいと、
流してみてください。

 週30〜40時間働くことは、
食べること・寝ることと同様、
成人には避けられないことだけでなく、
避けてはいけない事と思っています。
世のためになる労働であることを 心がけること だけが必要条件なら、
自己実現ができる労働は理想です。
余暇で自己実現の道が歩めれば充分と言えると思います。

くどいですが、末永く深い自己実現のために、
どのような あこがれ を持つかが肝心なので、
それ以外はあまり重要ではないはず、と考えています。

お金持ちと結婚すること、などという
志の低いことを(本心でなくても)口にすることは、
自分のためにも、他の人のためもなりません。
100万のダイヤをくずダイヤと思える人も少なからずいる世の中で、
恋人がくれた1000円の指輪を至高の宝としている人もいるのです。

すべての価値は、心が生み出すもの。
心の奥底にこそ
すべてを黄金に変える
賢者の石が存在するのですから



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