壁に叩きつけられ、銀次は背骨が悲鳴を挙げるのを聞いた。
咽喉の奥に何かが
詰まったかの様に呼吸が出来ない。
「グッ……ゴホッ」
堪えようのない苦痛の声が咽喉から零れた。
「もう終わりかよ…カミナリ小僧?」
揶揄を含んだ声を掛けられると同時に、きつく髪を掴まれた。
ついさっきまで互いに殴り合い、血に塗れた拳が銀次の目の端を掠める。
苛立った様子で男が呟いた。
「チッ…散々、梃子摺らせやがって」
男の目を隠していた、丸いサングラスも殴り合いの中でどこかに吹っ飛んだらしく、
冴え冴えとした青紫の瞳が銀次を睨み付ける。

「離せ…。」
底光りする瞳を睨み返しながら、銀次はボソリと呟いた。
何とか男の手を振り払おうと、男のシャツの袖を引き絞る。
しかし男は銀次の抵抗を気にも留めず、腰に手を掛け、さらに引き寄せた。

ふわりと煙草の香りが銀次の鼻腔に漂う。
雷帝と呼ばれるようになってから、久しく感じることの無かった感情がフツリと涌き上がった。
寂しくて、心細くて…ただ泣く事しか出来なかったあの日。
暗く冷たい無限城の中で最初に優しくしてくれたあの人。
銀次の零れ落ちる涙を拭いて、抱き上げてくれたあの人も同じ匂いをさせていた。
あの人はもう行ってしまったけれど、仄かな温もりはまだ銀次の中に残っていた。

 

「何、考えてやがる?」

男は急に抵抗を止めた銀次を訝しく思ったのか、銀次を腕の中に繋ぎ止めたまま訊いてきた。
その問い掛けに、銀次は意識を過去から引き戻された。

遮断されていた感覚が戻る。
遠くで微かに遠雷の音がしたような気がした。雨を十分に含んだ雲は重く立ち込め、
二人の周囲を包み込んでいる。身じろぐと背中でコンクリートが
ざらついた。
足下で瓦礫の乾いた音が響く。

雨と煙草…そして血の匂いが銀次を過去に連れ戻そうとする。思わず目の前の男にしがみ付いた。
今、目の前いるのはあの人ではないのだ。

蛮は、雷帝の顔をじっと見詰めていた。
限城の雷帝…この辺りでは知らぬ者はいないほど鳴り響いた異名。
その名が語られるとき、語る者の口から漏れるのは恐怖と畏怖。
だからこそ興味があった。
「邪眼の男」と呼ばれて恐れられてきた、自分をも恐怖させる事が出来るのか?
最初はちょっとした好奇心。そしてワケ有りの依頼でその名を聞いたとき、
どれほどの男か実物を見たい…と思ったのが運の尽きだ。

 

手っ取り早くVOLTSのリーダーである雷帝を引っ張りだす為に雑魚相手に遊んでいると、
冷やりとした声がした。
蛮が遊んでやっていた雑魚どもの呻き声が満たす中、その声はするりと蛮の元に届いた。

「ここはVOLTSの支配下だよ…?」
まさか…こんな金髪の小僧だとは、思いもしなかった。
雷帝、暴君と呼ばれる男といったら、 天を突くほどの大男を思い浮かべるのが普通だろう?

おそらく年齢は俺と同じ…いや、年下かもしれない。細面の顔に黄金の髪を逆立て、
こちらをヒタリと見詰める瞳は猫を思わせる琥珀色。青いジャケットからはひどく細い
首筋が覗いていた。俺の蛇咬を使うまでも無く、へし折れるだろう。
神様とやらは冗談がよほどお好きらしいな…と思ったのを覚えている。

 

 

過去の残滓は未だに銀次に纏わりついて去らない。
銀次は壁に貼り付けられたまま、ぼんやりと男の眼を見やる。
血塗れの手で自分を掴んでいる男の眼を。
冷たい炎を宿した蛮の瞳も今や静謐な蒼さを取り戻し、獣のように細く尖っていた瞳孔も元に戻っていた。
ふと、銀次は空を思った。青空…とも違う、微細な蒼のグラデーション。
…そうだ…夜明け近くの空がこんな色をしていた。

昏く沈む無限城の中で見る事の出来る、数少ないキレイな物の中で一番、銀次の好きな色。

「キレイだ……」
だから思わずそんな言葉が口をついて出た。
「はぁ!?」
雷帝の呟きが余りに場違いだったせいで、蛮は脱力するのを必死に堪えなければならなかった。
…何が悲しくて、さっきまで命を賭けた死闘を繰り広げた男に「綺麗」と言われなければならないのか…。
女相手ならまだしも、だ。

頭を強く殴り過ぎたかと少々、不安になった。
いくら無敵と称される蛮でも、頭のいかれた奴は御遠慮願いたいところなのだ。

ついさっきまでの壮絶な、天の支配者然としていた面影もない。
何が気に入ったのか自分の眼をじっと見詰める雷帝はその辺にいる、ただのガキにしか見えない

周囲に満ちていた、緊張感と殺気が敢え無く霧散していくのが感じられる。
恰好の獲物に会えたという熱病にも似た昏い歓喜は失せ、蛮は戦うのが馬鹿らしくなっていた。
(気が削がれた…こんなお子様みたいな奴に本気になったとは…大人気なかったかも)
と蛮は内心、溜息を吐いた。そんな蛮の気配を察したのか、銀次はぼそぼそと言い訳じみた事を口にした。
「…その…アンタの…眼が。」
チクリと刺さる刺を感じた。眼の事を言われるのは面白くない。
その台詞に含まれるのが賛辞であれ、嫌悪であれ。

だから、余計な事を言われなように悪態を吐く。
「さすがに余裕だな…無限城の雷帝サマは。首根っこ敵に掴まれていう台詞か?
それは。アンタの細っこい首なんて、一瞬で…」

ギリッと音のする程、首筋を締めつけ、耳朶に唇を寄せる。
「…ねじ切れるぞ?」
言っている台詞はひどく物騒だったが、どこかしら甘さを含んでいた。
自分の腕の中で微かに緊張する気配にほくそ笑む。
だが無限城の支配者は悉く蛮の予想を裏切る。
「アンタに出来るの?」
「…ああッ!?」
またしても予想外の言葉に蛮は顔が引きつった。
「この場所で…俺の領域で、俺を殺せる?」
銀次は、淡々と聞く。自分を殺せるのかと。琥珀色の瞳は奇妙なほど透通って見えた。
(気にくわねえ…)
感情に任せて、更に強い力で髪を掴み挙げた。
「そういう生意気な口は、勝ってからききな?」
「アンタこそ俺を殺してからにしたら?…そういう事、言うのは…」
艶やかに瞳を光らせ、口許に浮かぶのは余裕の微笑み。
蛮は静まっていた熾火がまたちろりと騒ぎ出すのを感じた。

 

…全くもってこの雷帝という男は気に食わない。
幼い表情を覗かせたかと思うと、今度は達観した老人のような顔をする。
金の髪に雷光を纏わせながら、どこか闇を潜ませている。
相反するものを両方とも抱え込んでいながら、自身はその矛盾に気付いていない。
その一つ一つが蛮を惹きつける。蛮にとっては認めたくないことだったが…
性質の悪いモンに引っ掛かったかもなと内心、自嘲気味に笑う。

 

蛮は何の気兼ねも無い様子で銀次の口許を舐め上げた。舌先に感じるのは
慣れ親しんだ鉄錆の味。初めて触れた肌は滑らかで、ひやりと冷たかった。
さすがに蛮の行動に意表を付かれたのか、銀次は固まったままだ。
もっとも蛮に
髪を掴まれているので、何をされたか理解しても大した事は出来なかったろうが…。
蛮は自分が傷付けた場所を優しく舌でなぞる。
銀次は傷口に染みたのか、身悶え、正気に戻ったようだった。
サッと青白かった肌に朱が刷けた。ほんのり頬の辺りが赤いのは見間違いではないだろう。
「…ッなッ、なんの真似だ!?」
思った通りの反応に、蛮は気を良くする。
(よしよし、お子様はそれ位でちょうどいい。)
「アンタが気に入った。俺のものにする。」
「…自分が何、言ってるのか分かってる…?俺、女に見えるの?……アンタの綺麗なお眼々には。」
赤く染まった顔を隠そうともせずに、蛮に食って掛かる。
眼の事を言われるのが嫌いらしいと察した銀次は、わざと眼の事を言う。
それがまた、蛮には子供じみた強がりに見え、からかいたくなる。
「残念ながら、眼は良いほうだ。それに女には見えない。さっき散々、殴りあったしな。」
今度は眼のことを言われても一向に気に障らなかった。珍しい事もあるもんだ、と他人事の様に思う。
それどころか蛮は自分でもおかしいと思うほど、心が浮き立つのを感じた。
コイツ…面白い…かも。
顔が笑ってしまうのを必死に耐える。ちょっと、からかったらこれだ。
「だったら何の冗談だッッ!?」
「言ったろ?アンタが気に入ったって…それだけだ。」
雷帝は怒った子猫の様に毛を逆立てていた。怒りに燃える瞳が煌く様は見惚れるほど美しい。
無限城の帝王をからかう、などという物好きな命知らずは居なかったようだ。
まあ、冗談に命を掛ける馬鹿は滅多にいないよなと思う…。俺はその馬鹿だが。

「それとも…アンタに一目惚れしたって言えば…信じるか?」
そっと、熱っぽく熟れた声で耳元に囁いてやる。と、その瞬間、雷帝様は1cm近く飛び上がった。
「なっなっ……ッ!??」
(…ぷっ…やばい…マジで、ハマリそう…)
顔を真っ赤にしてわたわたと焦っている雷帝……。本邦、初公開だろうな…そして最後だ。
(こんなに面白いもの、誰が他人に見せるか。)
声にならない声で何か叫んでいた銀次だが、ようやく落ち着いたのか静かになった。
騒ぎ疲れたのか、諦めがついたのかおとなしく、蛮の腕の中に収まってる。
笑い出しそうになるのを堪えていると、チクチクと傷口に響く。だがどうにもニヤケ笑いが止まらない。
その様子が面白くないのか、憮然とした様子の雷帝が溜息を吐く。

「…アンタみたいなむちゃくちゃな人間、初め見た…。」
「へえ…そうかよ?奇遇だな。俺もお前みたいなの見たのは初めてだ。」
呆然とした顔を見て不敵に笑う。
「ところで…俺の名前は、アンタじゃない。美堂 蛮ってんだ…覚えとけ。で、お前の名前は?」
「…雷帝…」
「あ!?それは通り名だろうが!他人が呼ぶ名前じゃなくて、お前自身の名前を聞いてんだよ!」

 

 優秀な情報屋から渡された、資料には映像資料は無かったが「無限城の雷帝」の本名は記載されていた。
「天野 銀次」…暴君、悪魔と呼ばれる男の名前にしてはひどく平凡な名前だ。

まあ、それが本当の名前かどうか疑わしいところだ、と蛮は考えていた。
あの無限城では全てが幻影のようなものだろうから。
顔も身体も全てが買い換え可能で、端金で他人になれる場所。
道を振り返った瞬間にはもう変貌する街。そんな場所で本当の名前にどれほどの価値がある?

「無限城の雷帝」の名前など蛮にとっては仕事の対象物の標識にすぎなかった。
仕事が終われば、それらは単なる資料として分類され、蓄積されるだけの言葉の羅列だ。
そこにそれ以上の意味は無い…そう、思っていた。

この昏い城の中で仄白く輝き、瓦礫の上に起立する暴君を見るまでは。
正直なところ…見惚れていた。怒りに眸を輝かせ、両腕には集約し密度をました雷光。
輝きが増すにつれて、雷帝の周囲は暗く重力を持った闇が集まる。天空に差し出される腕の切っ先。
あの雷に…撃たれて…死ねたら…どこかの神話の罪人の如く。
と、埒も無い事を思った……

 

 

(そう…お前の声で聞きたいんだ。)

他人によって告げられる名前ではなく、おまえ自身の声で聞きたかった。じっと雷帝の顔を見詰める。
大きな琥珀色の瞳と視線が重なる。
気が短い蛮にしてはずいぶんと長く待ってやる。
ゆっくりと口が開き、微かな声でそれは告げられた。

 

「…ぎんじ…」
「上の名前は?」
「あ、あまの…ぎ…んじ…」
搾り出すように蛮に告げられた名前を舌の上で転がすように味わう。

『天野 銀次』

…それが目の前にいるこの生き物に最初に授けられた物。
そう思うとひどく甘く感じるから、現金なものだ。
実物を見るまでは、単なるラベルだと思っていたくせに…

やばいな…重症だ、そう思ったがこんなに面白い物はそうそう手放せるか。
頭の中で鳴り響く、「面倒な事になるぞ!」という警告は無視した。
いつもなら素直に警告に従うところだが…もう決めた。
れは俺のだ。他のやつにやるものか!勿体無い。

「おいっ、銀次っ!」
そう呼び掛けると、驚いたように雷帝は大きく眼を見開いた。
ただでさえ大きな眼が零れ落ちそうだと思う。日に透かした蜂蜜色の瞳。
飴玉みたいに舐めたら甘そうだ…と考えてはた、と正気に戻る。
何かひどく不埒な事を考えたような…気がした。こいつに会ってから調子が狂いっぱなしだ。

「銀次っっ!!」
呼び掛けに答えようとしない雷帝に多少、苛つきながら大声で叫ぶ。
「あ…っ…な、なに?」

 

随分と長いこと、そう呼ばれていなかったから…驚いた。ああ、俺の名前だ。
雷帝に暴君、そんな名前で呼ばれ続けていたから。
単に呼び捨てにされただけなのにひどく嬉しい。

この頃、どこにいても息苦しかった。
「雷帝」と呼ばれる度に口の中に何か重苦しい物が詰め込まれるような気分になった。
何故かはわからないけれど。

「雷帝、私達を守ってね…」
「雷帝がいれば怖くないよ」
それは段々、身体の内側を満たして…いつか溢れてしまうんじゃないかと怖かった。
廃ビルの屋上で夜風に吹かれていても、身体に纏わりつくだけで返って身体が重くなるように感じた。
遠く煌くネオンの光も昔ほどに銀次を楽しませてはくれなかった。
ネオンの灯りから眼を逸らし、足下の暗闇を見詰める。

重苦しい漆黒の闇が這い上がって身体を包む。温い孤独に身を浸す。

一人になって、そうしてやっと銀次は楽に呼吸できた。

 

でも…この男が名前を呼ぶだけで、少し身体が軽くなったみたいに感じる。
皮膚の上に貼り付いていた何かが剥がれていく感じ。すうっと息を吸ってみる。
雨の匂いを胸の中に吸い込むとなんだか笑いたくなった。
台風になる前夜のワクワクした気持ちとよく似てる。

頬に感じる風がくすぐったい。

 

「何?じゃねえよ!呼ばれたら返事!これ、基本。わかったか銀次!」
「……」
「返事っ!」
「…は…い」
「よし。じゃ、よく聞けよ? 俺の名前は「美堂 蛮」様だ。覚えろ」
「み…どうば…ん…?」
「美堂、蛮だ。まあ、蛮様とでも呼べ。そしてここからが重要だ!
俺はこのライターを落とすからお前、俺のとこまで届けろ。」

蛮はごそごそと、ポケットの中から使い古したライターを取り出し、
そしてそのライターを銀次に手渡した。

「…は!?」
当然、何を言われているのか理解出来ていない銀次は手渡されたライターと蛮の顔を交互に見る。
「だ・か・ら!俺はこの大切なライターをここに落とすから、お前が届けろッ!わかったか、銀次!」
「えっ!?お、おいっっ!なんで俺が…」
そう言い捨てると、まだ理解しきれていない銀次に背を向けて歩きだした。
何メートルか離れてからふと立ち止まった。
銀次に自分の居場所を告げていない事に気が付いたのだ。
「俺は西新宿のホンキートンクって寂れた喫茶店にいるからなッ!」
そう一言叫び、蛮は再び歩き出した。銀次は振り返りもせずに去っていく蛮の背中を呆然と見送る。

 

何なんだろう…この男は…こんな奴、無限城でも見たことが無い。
自分を恐れも敬いもしない…。

でも「銀次」と心地よい声で呼んでくれた。
「俺は行かないぞっ!」
そう強がるのが精一杯だった。
叫ぶ銀次に背を向けたまま、蛮は手をヒラヒラと振った。

 

「…俺は……。」

ライターを握り締めて呟く。

その言葉は風に攫われて蛮の耳にも銀次自身にも届くことはなかった。

 

 

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言い訳劇場


小説らしきものを書いたのこれが初…読みにくいところがあったらごめんなさい。
蛮銀のイメージ合わなかったそれも合わせてごめんなさい(><)

私は雷帝と銀次は同一人物と思ってます。
VOLTS時代に敵を殺したのも銀次なら、今の敵を殺すことを否定してるのも同じ銀ちゃん。
罪の意識を背負った上で、今の明るい天使のような銀ちゃんがあるのだと思ってます。
夢見過ぎです!鯖さん!!
雷帝は別人格と考えるよりも萌えるのですが…少数派でしょうなあ(苦笑)