Web版「私の 観察ノート」


拠ア研出版発行 2002年版

B5判/238ページ/2002年12月31日発行/2800円(税込み・送料500円)

拠ア研出版は現在解散しております。
従いまして、入手はできない状態になっておりますが、 当方の手元に何冊か残っておりますので、どうしても必要な場合は、私に直接連絡してください。


拠ア研出版発行 2002年版 「はじめに」

私は欲張りである。
できることならイイ蝶をいっぱい採りたい…。

ではどうすれば良いのか。一番手っ取り早いのは、蝶のことを良く知っておられるベテランの方に採集に 連れて行ってもらうか、ポイントの場所を詳しく教えてもらうことである。

私は中学校の3年生から本格的に蝶を始めたのだが、当時私の周囲にベテランの方は居なかった。そのか わり学校の生物教室には蝶の標本がたくさん所蔵されており、そのラベルから採集地等を知ることはでき た。けれども本当に欲しい蝶はそもそも所蔵されていなかったし、そういう蝶に限って情報は全くといっ てよいほどなかった。従ってなかなか欲しい蝶を手に入れることはできなかったのである。

しかし幸いなことに一緒に採集に出かける仲間は数人いたので蝶の採集はそれなりに楽しんでいた。そし て皆が集まると、保育社の「昆虫生態図鑑蝶編」や京浜昆虫同好会編の「新しい昆虫採集案内」等を読み、皆 でまだ見ぬ蝶の採集を夢見ていた。しかしながら実際に採集に行く場所としては、これらの本にも載って いるような有名ポイントばかりなので、お目当ての蝶はあまり居らずに、居るのは蝶屋さんばかりだった。 高校生の頃まではこんなことを何度もくりかえしていた。

大学に入学して生物関係のサークルに入ると、先輩諸氏からよい情報を得られるようになりコレクション も充実してきたのだが、大学生活も3回生を過ぎる頃(1980年)から蝶への情熱が失せてしまい、以後1992 年までは全くといってよいほど採集に出かけていなかった。但し、春一番のギフチョウだけは必ず見に行 ってはいたのだが…。

それは1992年の春だった。唐突に何を思ったのか、それとも必然だったのか、大学時代の先輩から「久しぶ りにクモツキが見たい!」との電話があり、当時の仲間との同窓会も兼ねて皆で長野県大町市で宴会とク モツキの観察会を行ない、それはそれは楽しい時間を過ごすことができた。これが蝶を再開するきっかけ となったのである。
再開はしてみたものの、欲しい蝶の情報がない。昔の仲間もほとんど皆、蝶から遠ざかっており情報を仕入 れるべき人間が周囲に居なかった。中学時代と同じ状況である。

この歳になって同好会等に入会し、蝶屋さんの友達を作って情報を教えて貰うのも気が進まず、どうした ものかと考えているときに、地元紙の京都新聞を読んでいると、故小路嘉明氏がインタビューを受けてい る紙面が目に付いた。確か「ギフチョウ88ヵ所めぐり」につて答えておられたと記憶しているが、このとき 初めて蝶研出版という会社があり、どうやら採集観察に関する情報を発信しているようだということがわ かった。
そこで早速、蝶研サロンに入会したものの、ポイントマップを購入してまで採集に出かけるのは癪にさわ るので、公開されている地名と1/25000地形図をたよりに採集に出かけるようにした。この方法ではハマ リもあるものの、大抵は目的の蝶を得ることができ、同時に自分自身の蝶に対するセンスも少しずつ上昇 してきた。こうなってくると欲しい蝶が狙って採れるようになり、ますます採集が面白くなってくる。「今 度はあそこであの蝶を狙ってみよう。」とまたすぐに採集に出かけてゆく。こういったことが繰り返され、 かなりの採集データ数が蓄積されてきた。

私は高校生の頃からけっこう正確に採集ノートをつけており、ひとつここまでのデータをデジタルデータ でまとめてみようと思い立ち、パソコンを購入した。何故デジタルデータなのかというと、検索ボタン一発 で目的の蝶のデータを取り出したかったのと、美しいラベルを作成する為である。ちなみに私のパソコン は、この採集データを打ち込むと同時に12×21oの大きさのラベルがレーザープリンターで印刷できるよ うに設定してあり大変重宝している。最後のページにそのサンプルをプリントアウトしておいたのでご覧 いただきたい。これは「2000年8月」というキーワードで検索をかけ、出てきたデータ全部をラベル印刷モー ドで打ち出したものである。よく見るとお気付きになると思うが「年」のうえに小さな黒点があるが、これ は針を刺す位置の目印である。

こうして、採集ノートに記されていたデータを打ち込んでいくうちに、このデータを死蔵しておくのはも ったいない。単なる採集データの羅列ではあるが、この年この場所にはこんな蝶が居たのだという事実 (私個人の保証でしかないのだが)もこれだけ集まるとけっこう意味が出てくるのではないだろうか?
私は自分自身でポイントを探して採集しているので、このデータ集には誰それから教えてもらった秘密の ポイントというのは出てこない。出てくる地名は一般に知れ渡っているものがほとんどで、私が見つけた オリジナルポイントは全体から比べると微々たるものであるが、「えっ、こんな所に居たのか。」というよう なオイシイ情報もほんの少しだけ含まれている。

今まで集めてきた標本もあと何十年か後には朽ち果ててしまう。けれども、昔ここにはこんな蝶が居たの だという事実。これだけは何とかして残しておきたかった。

それに私の場合、前述のように人から教えてもらったポイントというのは、ほぼ皆無なので、私には妙な 「しがらみ」というものはない。即ち、ここで公開しても誰からも文句を言われないのである。このような理 由からこのデータを、いわゆる「記録」というものにしてやろうと思いこの個人採集データを公開すること にした。

こうして公開するにあたり注意した点が二つある。先ずは地名。基本的には国土地理院発行の1/25000地 形図に記載されている地名を正確に記入するようにしているが、通称地名を使用した方がわかり易い場合 はその表現になっている。またポイントをできるだけ狭い範囲で特定できるような表現を心がけたので地 形図の読める方ならば容易にその場所を特定できると思う。インターネットで1/25000地形図の数値地図 が簡単に手に入る現在、緯度経度を使った座標での表現も検討したが、かえって混乱するかもしれないの でこれは断念した。
もう一つはネガティヴデータの取り扱い方である。これがこの採集観察データの特徴になる。「採集観察に 出かけたけれども見ることができなかった。」よくあることである。この場合、普段採集ノートをつけてお られる方でも、見られた種名だけノートに記入し、狙っていたのだけれども見られなかったという事をノ ートに書かれる方は少ないと思う。こういったいわばネガティヴデータも「採集観察できた。」というデー タと同じく重要なことだと思い、次のように場合分けをして数量欄に表記した。

null−0:採集観察対象種についての記録は無い(私が知らないだけかもしれない)が、地形図等か らの推理によりその種を得ようとして現地に赴き、探索したにもかかわらず見ることができなかった場合 。
null−1:採集観察対象種について今までに確実な記録があり、その種を得ようとして現地に赴いた が見ることができなかった場合。
null−2:私自身が現地で採集観察対象種を確認したが、何らかの理由で採集観察できなかった(採 集観察しなかった)場合。
null−3:私自身が現地で採集観察対象種を見たと思っているが、その同定に自信が持てなかった場 合。
null−4:私自身は現地で採集観察対象種を確認していないが、同行者が採集し、その同定に間違いが ないと確認できた場合。
null−5:現地で出会った同好の方からの伝聞。

以上のように少し煩雑になってしまったが、煩雑ついでに「下見」の場合分けも次に記しておく。

下見A:食草は確認し周辺環境もおおむね良好。成虫出現期に現地へ赴けば採集観察対象種を見ることが できると思った場合。
下見B:食草は確認できなかったが周辺環境はおおむね良好なので、成虫出現期ならば採集観察対象種を 見ることができるかもしれないと思った場合。
下見C:食草は確認できたが周辺環境が悪い。成虫出現期に現地へ赴いたとしても採集観察対象種を見る ことはできないと思った場合。
下見D:周辺環境悪く食草も確認できない。成虫出現期に現地へ赴くまでもないと思った場合。
下見X:採集観察対象種の生態上の特殊性(アリとの共存等)及び私自身の経験不足、その他の理由によ り、生息環境の良し悪しの判断ができなかった場合。

この数量欄に記載された数は特に断りのない限り成虫の採集数である。また言うまでもないことであるが 、採集を禁じられている種、あるいは地域については観察数ということになる。

最後に備考欄について。
本欄のコメントは天候気温等も含めて私の主観によるもので、気付いたことのメモ程度のものだというこ とをお含みいただき、本欄からの引用は避けていただきたい。また、私は原則として単独採集行だが同行者 がある場合にはその個人名を必ず記し、敬称を付けていないものについては、その本人から敬称を略して もよいとの同意を得ている。


さて、 からはWeb版の特徴である日 付順のソートになっています。お好きな年月にジャンプしてください。


拠ア研出版発行2002年版 年月日順ソート 済みデータ
  • データ1973年全月分:この年は未だ中学生。キマを採れなかった悔 しさと、ヒサマツを採った嬉しさが印象的でした。
  • データ1974年01月〜06月:初めてギフを採ったのはこの1974年 04月13日。昨日のことのように憶えています。
  • データ1974年07月〜12月
  • データ1975年01月〜05月
  • データ1975年06月:初めてのヒロオビミドリシジミは分布の東限で 採集しました。
  • データ1975年07月〜12月:8月に岩倉のクロシジミ。この年は秋か ら冬にかけて、けっこう採卵に出かけています。
  • データ1976年07月〜12月:今から思うと岡谷市のゴマシジミ等、 けっこうイイデータが含まれています。
  • データ1977年07月〜12月:初めての北海道採集行と、千葉県でル ーミスを狙うも思いっきりハマリました。
  • データ1978年01月〜06月:ヒメギフチョウを初めて採ったのはこ の年でした。
  • データ1978年07月〜12月:最も青春でした。蝶では屋久島のミナ ミコモンマダラですね。
  • データ1979年
  • データ1980年01月〜03月:波照間にソテツ狙いで行ったけど採れ たのはカクモンでした。
  • データ1981年〜1992年の全月分:今から思うと痛恨の12年間。 ほとんどフィールドに出ていません。
  • データ1993年
  • データ1994年01月〜06月:ヒスイ峡でヒメギフ、雲ヶ畑のキマあ たりが目立ったところです。
  • データ1994年07月〜12月:画像解説はオオウラギンヒョウモン ですが、他にも良いデータを含んでいます。
  • データ1995年10月〜12月:画像解説はアカボシゴマダラ。10月に 行った奄美大島のデータがメインです。
  • データ1996年09月〜12月:キシタアゲハは見ることもできず、乗 り遅れた『ニューはてるま』の、碧い海に弧を描いて伸びてゆく白い航跡が印象的でした。
  • データ1997年01月〜05月:5月に復活後初めての北海道。
  • データ1997年06月:この頃は未だ、同じ日にヒョウモンモドキと ウスイロヒョウモンモドキが採れたんですね。
  • データ1997年09月〜12月:9月に奄美大島、10月に八重山に行って ます。
  • データ1998年01月〜03月:2月に伊良部島でハマヤマトシジミと3 月にトカラ列島です。
  • データ1998年05月:GWに秋田県、中旬にアポイ岳、下旬にベニモン カラスとけっこう活動的。
  • データ1998年09月〜10月:9月にやっとルーミスと10月に沖縄本 島でリュウキュウウラナミジャノメ。
  • データ1998年11月〜12月:11月上旬、八重山に行っています。
  • データ1999年06月:草間のウスイロヒョウモンモドキとか、北海道 ツアーでのリンゴシジミ、オオイチ等のデータです。
  • データ2000年
  • データ2001年01月〜04月:4月上旬の九州スギルリと4月中は各地 でギフ。
  • データ2001年05月 :GWにアサヒナキマダラセセリの観察。因みに5月5日は与那国島と於茂登岳山頂の両方のデータがあるの を疑問に思われるかもしれませんが、与那国→石垣の午前便移動ならば可能です。
  • データ2001年07月:上旬に九州の草原性のイイ蝶、中旬に木曾谷、 下旬に鈴鹿のヤマビルと白山のヤマゴマ。
  • データ2001年10月〜12月:10月上旬に与那国でクロマダラソテツ とアカネアゲハ、11月下旬の波照間データ。

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