サッポロラガーを飲む。(もしくは失われゆく風景)

 現在我が国のビールは、殆どが非熱処理ビール(所謂「生ビール」)である。

 かつては酵母の働きを止めるのに熱処理(パストリゼーション)をしていたのだが、ミクロフィルターを使って酵母を取り除くことによって加熱しないですむようになり、各メーカーはこれを「生」ビールと称して発売した。

 当初はサントリーを除く各社は、熱処理と非熱処理との二種類のビールを平行して発売していたのだが(ちなみに熱処理ビールのラベルには「LAGER(ラガー)」と書かれ、非熱処理ビールはラベルの同じ部分に「生」と書かれていたので、それがため熱処理ビールのことを「ラガー」と呼ぶのだと勘違いする人が続出した)、熱処理ビールは所謂「生」ビールの新鮮そうなイメージに押され、だんだんと市場からその姿を消していった。

 そして熱処理ビールの最大のブランドであった「キリンラガー」が1996年ついに非熱処理となって世間を驚かし、日本における熱処理ビールの歴史も潰えたかのように思われた。

 ところが――。

 現在に至るまで熱処理ビールを造り続けていたメーカーがまだあったのだ。キリンがクラシックラガーで熱処理ビールを復活させるまでは、日本で唯一であった熱処理ビール。まるで職人のごときこだわりのビール。それが「サッポロラガー」だ。

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 今年の10月。サッポロラガーが現在でも生産され続けていることを知った。そして、「何としても手に入れて飲みたい!」と思った。

 理由は二つある。

 一つは、9月に他界した父が、まだ若くて元気だった頃にずっと愛飲していたビールであったということ。

 そしてもう一つは、子供の時にその父から飲まされた(?)記憶のあるこのビールこそが、自分が生まれて初めて口にしたビールである、ということだ。

 このサッポロラガーもいつ消えても不思議ではないビールである。何としても今のうちに口にしておかねば、という思いが募った。しかし売ってない。どこの酒屋にも売っていない。専門店でも大手デパートでも駄目。

 途方にくれていたのだが、意外にもあっけなく入手方法がわかった。酒の量販店のチラシが入ってきて、その中にケースで注文すれば配達してくれると書いてあったのだ。考えてみれば今も生産しているのだから、酒屋にケースで頼めばたいていの商品は入手可能なのである。あまりにも基本的なことであったので忘れていた。

 

 さて、懐かしのサッポロラガーが届いた。このラベルを生で見るのも何年ぶりのことであろう。ラベルには「JAPAN'S OLDEST BRAND」と誇らしげに書かれている。赤い星のマークは1877年の初代「札幌ビール」以来だという。

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 11月13日。

 この日は亡き父の誕生日である。もし生きていれば80歳。傘寿になるはずだった。そこで、この日に父の愛飲していたサッポロラガーを開け、幻の傘寿のお祝いを極めて個人的に行うことにした。

 その日、午前中に父の墓参りに行き、墓前にサッポロラガーを供えてきた。これで天国の父とも乾杯できるという算段である。

 さて、いつもだとビールを飲むのにはたいてい愛用のピルスナーグラスを使うのであるが、この日は古式にのっとって(?)酒屋でくれる会社名の入ったコップを用意した。

 懐かしのサッポロラガーをコップに注ぎ、数年ぶりに飲んでみる。苦い。重い。小さなコップで飲んでいるのだからなおさらだ。でもそれがいい。昔ながらのビールの味だ。若い頃は敬遠していた苦さや重さが実に心地いい。年をとるというのはこういうことだったのか。

 

 父は晩酌にこのビールを良く飲んでいた。そうだ。昔は晩酌という習慣があったのだ。そして、晩酌が終わる頃、夕食の用意もととのい、家族皆で夕餉の席を囲んだのであった。

 そうだったのだ。昔の父親はたいてい夕方には帰宅して、夕食は家族揃っての団欒の場であったのだ。いつの頃からその風景が日本から消えてしまったのだろう?

 今の日本では、父親はたいてい夜遅くならないと帰ってこない。また、働いていて帰りの遅い母親も珍しくない。子供も習い事や塾通いで、あるいは夜遊びで、夜遅く帰るようになってもそれを容認する家庭が増えた。

 「サザエさん」に見られるような、家族皆が揃っての夕食など、もはや絶滅寸前の風景になりつつある。

 そういえば、ビールも昔は酒屋からビンでとるのが普通であった。サザエさんにも三河屋さんという酒屋が出てくる。

 かつての我が実家もビールは近所の酒屋に配達してもらっていた。したがって、サザエさんにおける三河屋さんのごとく、当然酒屋の人とも交流ができてくる。いや、当時は酒屋に限らず、八百屋も魚屋もパン屋も皆近所なので、そこで買い物をすることによって交流があったのだ。地域ぐるみの付き合い、というコミュニティーがまだ残っていた時代だった。

 だから父が死んだ時にも、酒屋のご主人は通夜の席にきちんと足を運んでくれた。

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 久しぶりに飲んだサッポロラガーはしみじみと旨かった。昔の働く父親たちは、こんな味のビールで喉を潤し、一日の疲れを癒したのだろう。

 しかし、今の若い世代にはやはり好まれるような味ではないかもしれない。「重さ」や「苦さ」。そういったものの良さをわかる大人は年々減っていくような気がする。

 サッポロラガーで晩酌をしていた父はもういない。そして、この同じビールの旨さを、年齢を重ねてやっとわかるようになった自分も、いつかはこの世を去るのだろう。

 サッポロラガーも、酒屋の店頭から姿を消した。そしてその存在自体もいつ生産中止になっても不思議ではない。

 晩酌も、家族皆が揃っての夕食の団欒も、地域ぐるみの付き合いも、急速に失われつつある。そんな我が国において、サッポロラガーは消え行く古き良き時代の象徴そのものなのかもしれない。

 

 

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