復刻ラガー今昔物語

 キリンからまた復刻ラガーが発売になった。

 「また」と書いたのは、以前にも発売されたことがあるからだ。

 最初に発売になったのは1987年(昭和62年)であったと記憶している。1888(明治21)がキリンのラベル誕生の年で、翌年1988年の生誕100周年を記念して、昭和初期・大正・明治の復刻ビールを、「クラシックビール」と銘打って順次発売したのである。

 だが残念なことに、当時は飲酒の習慣はあったものの、まだビールの銘柄に対するこだわりがあまりなかった私は(何しろ基本的にビールは一社一銘柄の時代だったし)、「そういうものがあるんだな」位の認識しかなくて、結局購入することも飲むこともなく終わってしまった。

 ビールに本格的にこだわりだして同人誌「びいるじゃあなる」などというものを始めたのは1990年のことであり、その時になってから改めて復刻ラガーの存在を思い出したのだが、「あの時に買っときゃ良かった」とつくづく後悔したものである。

 

 さて、結婚して引っ越した1992年のこと。

 近くになじみの酒屋がなくなってしまったため、新規開拓するべく、当時、近所の酒屋をあちこちめぐり歩いていたのだが、そんなある日、ふと瓶ビールを買おうと思って入った酒屋で、とんでもないものをみつけてしまった。

 冷蔵庫を開けて中を見た時に、変わった形の瓶があることに気が付いたのだが、よく見たらそれは、キリンのクラシックビール「明治時代」のものではないか! まさかまだ残っていたとは! 心が踊った。当然5年前の古いビールで味は期待できないが、なにしろコレクションとして価値がある。

 さっそく瓶を持ってレジに行く。が、ここで問題が生じた。店のおばさんも突然のこの古いビールの出現に驚き、店の奥の主人となにやら相談し始めたのだ。やがて主人は「これは古いやつを入れっぱなしにして忘れていたものなので売り物には出来ない」などと言い出した。私はあわてて「古くてもかまわないから売ってくれ!」と懇願するが、主人は「おなかでもこわされたらこまるから」「店の信用にかかわる」と頑として譲らない。数分の押し問答の後、瓶は主人の手によって家の奥へと運び去られてしまった。結局、幻のビールは幻のままに終わってしまったのである。ああ無念。

  

 1998年。今度はラベル生誕110周年ということで、再びキリンは「復刻ラガープレゼントキャンペーン」を実施した。これは「明治・大正・昭和初期」の三本セットが抽選で当たるというもので、もちろん応募した。が、はずれた。

 1999年にもラベル生誕111周年で同じようなキャンペーンを実施したのだが、今回は前記の三本に加えて、「昭和18年以降・昭和24年以降・昭和32年〜43年」の三本も加わった計六本セットである! また応募したのだが、またしてもはずれた。ちくしょう。

 2000年には嬉しいことに「ラガー・ザ・セレクション」と称して明治・大正・昭和・平成のラガーを四本セットにして限定発売してくれた。今度は購入できた。ホッ。

 やっと飲むことのできた復刻ラガーはしみじみと旨かった。

 空きビンはしばらく取っておいたのだが、当時「びいるじゃあなる」は既に休刊。まだこのホームページも始める以前であり、写真に撮ることもなく(デジカメなどという便利なものもなかったしね)、家が手狭なのでやがて空きビンは回収に出してしまった。もったいないことをした!

 

 そして200612月。復刻ラガーがまたしても発売となった。

 今度の復刻ラガーは明治と大正の二種。今回は何故か缶入りである。

 発売日にコンビニに足を運んだら、350ml500mlの缶が冷蔵庫に大量に入荷していた。

 早速買って飲んでみた。旨い。明治はホップの苦味がびしっと利いている。大正はそれにややまろやかみが加わったような感じか。確かに懐かしい2000年の時に飲んだあの味なのだと思う。

 

 ……が、何か違う。妙にてかてか光るきれいな缶を見て思う。何で缶入りなんかにしたのだろう?

 かつてのクラシックシリーズの時には、ラベルの形状からビンのデザインまで発売当時のものを再現してあったのである。もちろんコストはかかったに相違ないが、それだけにありがたみも大きかったのだ。言うまでもなく味の点でも缶よりもビンの方が上である。

 流通の点でも、保存の点でも、利便性の高い缶を選択したのかもしれないが、効率性を優先した復刻商品というのは、それ自体が矛盾のように思える。100周年記念の事業の一環として発売するのであれば、なおのことかつてのシリーズのように当時のビンを再現してほしかった。

 メーカーにしてみれば、出来るだけ多くの人に行き渡らせたい、という思いはあったのだろう。気軽に飲んでもらいたい、という思いもあったのだろう。確かに、冷蔵庫から出して缶のまますぐにタブをプシュッとやって飲めるのだから、コップも要らないし、空き缶もそのままゴミ箱へ捨てられる。実に手軽だ。しかし、そんなの〈明治〉〈大正〉時代を再現したビールじゃない! と思うのである。

 

 実は数年前、「びいるじゃあなる」同人の仲間が、クラシックシリーズの「昭和初期」をわざわざ人づてに入手してくれた。これは今も大切に我が家に保管してある(右側の画像がそれ)。たぶん一生これを飲むことはないだろう。こういうコレクションの仕方は、他人から見たら馬鹿げているように見えるかもしれない。しかし、ノスタルジーとはたぶんそういうものではないだろうか。そして、復刻商品というのは、そういう郷愁を刺激するものであってほしいのである。

 

 

「麦酒愚考録」目次へ戻る   トップページへ戻る