消え行く東京地ビール(もしくは迷宮の子羊)

 ゴールデンウィークに、晴海トリトンに行った。「トリトン地ビール」を飲むためである。以前から飲みたいと思っており、「ア・スポット探訪」のコーナーでもぜひ紹介したいと考えていたのである。

 トリトンに着くと、足早に鉄人・石鍋シェフがプロデュースしたという「アリス・コレクション」に向かう。ここには各国料理が豊富に揃っており、「これらをつまみに地ビールが飲めたら最高だぞ」と、気をあせらせながら、プリペイドカードを購入した。ここではプリペイドカードによって酒や食べ物を購入するシステムなのだ。

 が、肝腎の地ビールが見当たらない。いくら探しても見つからないのだ。

 なんとなく、嫌な予感がし始める。

 いったん店の外に出て、インフォメーションに行って尋ねてみると……。

 受付嬢はちょっと困ったような笑顔をつくり、「トリトン地ビール」がなくなってしまったことを告げた。

 がーん。

 プリペイドカードはまったく使わないまま換金し、すごすごと帰途についた。

 

 その後、調べてわかったのだが、晴海トリトンを運営しているのは、「住商アーバン開発株式会社」というところで、これはデックス東京ビーチを運営している会社と同じだったのだ。デックスと言えば、お台場地ビールが今年の3月末に生産中止されている。つまりその時にトリトン地ビールも同時に辞めたということか。

 実はトリトンにはブリュワリーが併設されていなかったとのことなので、もしかしたらトリトン地ビールはお台場の施設を利用して醸造していたのかもしれない。

 いずれにしても、これでまた一つ東京地ビールが姿を消したということだ。

 

 細川内閣の規制緩和によって、平成6年(1994年)4月に酒税法が改正され、ビールの製造免許にかかる最低製造数量基準が2,000キロリットルから60キロリットルに引き下げられた。そしてそれによって日本各地で地ビール造りが試みられるようになったのである。

 だが、引き下げられたとはいえ、60キロリットルというのは決して少ない分量ではない。これだけの分量を売って利益を上げていかなければならない訳だから、体力のない企業ではとうてい経営を維持できるものではないのだ。

 しかもビールは温度管理がデリケートな上に炭酸飲料だから保存も難しい。ボトリングして販売しようとするなら専用の耐圧ビンと瓶詰め装置がまた必要になってくる。

 その上に馬鹿高い税金。

 これが販売価格に上乗せになるから、どうしたって客に安価に供給することは最初から不可能になっている。

 かくして、地ビールは多少価格が高くても客が納得できるような、麦芽100%や上面醗酵の、コクがあって飲み応えのある個性的なビールづくりを目指すこととなった。

 

 ところで大手四大メーカーがある程度の低価格でビールを販売できるのは、大きな施設をすでに所有し、それによって大量供給して薄利多売で商売することができるからである。

 つまり大手メーカーにしてみれば、ビールというのは消費者に大量に飲んでもらわなければならないもの、ということになる。かくして「すっきり」だの「爽快」だのというコマーシャルメッセージで、「ビールはキンキンに冷やしてグイグイ飲むもの」というイメージをビールに定着させて、消費者に「ビールとは大量にノドに流し込む酒」という観念を持たせ続けてきたのである。

 

 そのような固定観念に長いこと縛りつけられてきた消費者にとっては、地ビールは「グイグイ流し込めない、癖のある、高い酒」でしかない。しかも地ビールに多く見られる上面醗酵のビールの味わいや香りは、温度が低すぎると感じられなくなるものなのであるが、日本の消費者はとにかく「ビールはキンキンに冷やして飲むもの」と思い込んでいるので、グラスに霜が着くほど冷えていないとそれだけで文句を言う。だから地ビールメーカーは泣く泣く持ち味を殺してまで低い温度で供給せざるをえなくなる。

 一方大メーカーにしてみれば薄利多売でやっていくためには、これまで通りの「すっきり・キンキン・ぐいぐい」のイメージ戦略は今後も続けていくことになるであろう。

 

 こうして考えみると、日本においてビールはもはや抜け出すことのできない迷宮に入り込んでしまったようなものなのかもしれない。

 世界中の食材が集まり、世界中の料理が作られ食され、世界中の酒が飲まれている国際都市・東京においてさえ、地ビールの個性は受け入れられず、次々にその姿を消していった。
 「台場地麦酒」が消え、「ビヤステーション両国」が消え、そして「トリトン地ビール」が消えた。
 

 日本の地ビールの未来は決して明るくない……。

 

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