グローバリゼーションという破壊獣

 キリンとサントリーが合併を模索しているという。率直に言って辞めて欲しい。この話、壊れて欲しい。

 

 どこも横並びで同じような商品ばかりを作ってきているビールの大手四社だが、それでも、四社で競い合うことによって、それぞれが微妙に路線の違う商品を作ってきたことも事実なのだ。

 

 日本初の非熱処理ビールである「純生」以降、ずっと非熱処理ビールのみを造り続けて来たサントリーに対して、頑なに熱処理の「ラガー」にこだわりつづけていたキリン。

 オールモルトビールに活路を見出そうとし、苦戦が続くも、遂にはそれを軌道に乗せたサントリーに対して、ずっと副原料使用のビールばかりを推してきたキリン。

 そして、一時期は寡占状態に近い売り上げを記録し続けたキリンに対して、ずっと赤字であったサントリー。

 

 とりわけ、株式非公開という独自の道を歩んできたサントリーがその営業形態を大幅に転換するということに危惧すら感じる。

 サントリーが株式を非公開にしてきたのは、短期的に利益配当を求める株主のものの見方と、酒を醸すという長期的なものづくりとの価値観が必ずしも合致しないからという判断があったという。

 そうでなければ、45年間もずっと赤字であったビール事業など続けてくることはできなかったであろう。

 

 米国の投資会社であるスティール社がサッポロの株を買占めて買収を画策し、今年の春の株主総会でサッポロの経営陣の退陣を要求したことは記憶に新しい(結局否決された)。この時、この件に関して大学時代の後輩より次のような手厳しい内容のメールが送られてきた。

 

 曰く、「スティールの経営陣の退陣の要求に賛成。サッポロは商売においてはなんら手を売っていない。他のビール会社3社のように販売量を上げているわけでもない。恵比寿などの土地や賃料でいきている。こんな会社は消えればいいのに」と。

 

 株主でもない彼が何ゆえスティール社の立場を重んじるのか不明だが、おそらくは、利益を生み出すものイコール絶対善という、今の日本に蔓延している市場原理至上主義の価値観が自然に働いたのかもしれない。

 結局、この国では酒造りという文化的な事業もマネーゲームのボード上のひとつのコマにしか見えないということなのだろう。

 

 そもそも酒造りというのは儲かる商売ではない。ビールにせよワインにせよウイスキーにせよ、基本的には農産物加工事業であって、恐ろしく労力と時間がかかる割に、製品は自然環境に左右されやすく、質の高い安定した製品を供給し続けることは極めて難しい。

 特に長期の熟成期間を必要とする蒸留酒などの場合、製品が完成した時にどれだけの需要があるかなど予測もつかないのだ。

 売れています、さあ、それでは増産しましょう、ということが可能な工業製品とは一線を画しているのである。

 

 このような性格を持った酒造りが、営利優先に走ればどうなるか。かつての我が国の日本酒業界を見れば明らかであろう。

 確かに大手メーカーは、三増酒というコストダウン・量産できる日本酒を造り、テレビでバンバン宣伝をすることによって、短期的には利益を上げていったかもしれない。

 それに対して、伝統的で手間のかかる日本酒を造っていた地方の良心的な蔵元はどんどんつぶれてくこととなった。

 だが、質の悪い不味い日本酒を大量供給し続けたことは、結果的に日本人の日本酒離れを加速させることにしかならなかった。

 皮肉にも日本の酒造りの文化を守り、日本酒再評価の機運を高めたのは地方の良心的な酒造りをしてきた蔵元だった。

 真面目に作られた質の高い美味しい地酒こそが日本酒を守ったのである。

 

 サッポロが不味いビールしか作らず、結果として凋落したのであれば、まだ前述した後輩の言い分にも理はあるだろう。だが、現実には違う。プロセスビールとしては、ヱビスにしてもエーデルピルスにしても日本の醸造技術の高さを世界に示すトップレベルのピルスナービールである。あれだけの製品をあれだけ価格を抑えて販売ルートに乗せているのは企業努力以外の何ものでもない。

 

 にもかかわらず、サッポロが思うように利益を上げることができない理由の一つは、ビールではなく発泡酒やら第3のビールやら、訳のわからんシロモノによって利益争いをせざるを得ない状況になっているからである。

 では何故そのような馬鹿げた製品で争わなければならないかというと、まっとうなビールには高額な税が課されているからである。その税率はなんとアメリカの約11倍、ドイツの約15倍という過酷なものだ。

 あんな酷い税率さえ課されていなければ、発泡酒も第3のビールも最初から開発する必要はなかったのだ。

 しかも長い時間と開発費を投じ、それを生産するためのラインや販売ルートの確保に多額の投資をし、ようやく製品化がなって消費者に受け入れられるようになった、と思ったらと同時に他社がほとんど同じデッド・コピーのようなものを販売する。

 消費者はどれも似たような味ならば値段とイメージで製品を選ぶだけである。当然、強力な広告力と販売ルートを持っている企業ほど有利ということになる。

 麦芽比率65%以下の発泡酒(ホップス)やリキュール類(麦風)を最初に開発したのはサントリー、麦芽比率25%未満の発泡酒(ドラフティー)やその他の雑酒(ドラフトワン)を開発したのはサッポロだが、気がつけば発泡酒も第3のビールもシェアナンバーワンはキリンに持っていかれている。

 

 加えて増税である。発泡酒が売れればそれに増税。ドラフトワンが売れればそれに増税。

 企業努力をあざ笑うかのような増税。

 体力のない会社から弱っていくのは当然なのである。

 そこへ追い討ちをかけるように、国はアメリカからの「年次改革要望書」によって、規制緩和を進め、企業買収解禁への道を開いてきた。

 アメリカの巨大資本によって、日本という国が食い尽くされることにしかならないというのに。この国は植民地か?

 

 今、ビール離れが加速しているという。

 当然だろう。少子化という根本的な問題もあるが、発泡酒や第3のビールのような紛いものを「ビール」だと思っている人達が大部分なのだから。

 こんなおかしなものを造らせている、造らざるを得ないような状況にさせているのは誰なのか。

 まともで美味しいビールを造ると、税金で販売価格が倍近くになって商売にならないような制度を作ったのは誰なのか。

 儲かればそれでいい、とばかりに文化の破壊を加速させてきたのは誰なのか。

 

 酒ではないが、ここに興味深いやりとりがある。

 

 かつてのダンキンドーナツの日本撤退に関して、1998年当時、作家の村上春樹氏が、読者からのメールに返事を書いたものである。

 

 

> 村上春樹様こんにちは

> 昔の村上ラヂオを読んでいて

> ダンキンドーナツのことがしばしば登場しているのですが

> 村上さんはダンキンが好きなのですか?

> 先日、私は仕事上の都合でダンキンドーナツを経営している

> 吉野家ディー・アンド・シーに取材に行ったので

> その後のダンキンはどうなっているのか聞いてきました。

> 聞くところによるとダンキン撤退前、直営店は30店、FC店が23店あり

> 撤退決定後は直営店については牛丼店、カレーショップ、惣菜店などになり

> FC店は全て契約終了ということになり9月いっぱいで完全撤退になるとの

> ことです。

> 関係者によればドーナツ店という業態が日本の風土になじめず

> ミスタードーナツのように飲茶でもすれば多少は違ったかもしれないが

> ドーナツだけでは如何にもならなかったとのこと。

> サンドイッチの導入やコーヒーメニューの充実によって

> 再起を図るが功を奏せず撤退を決定したのだそうです。

> 吉野家の後、ダンキンの営業ライセンスを取得する企業はないため

> もし村上さんがダンキンドーナツを経営したいのなら

> 考えてみてはいかがですか。

> 東京 調査員 男性 27

 

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

 

 こんにちは。僕は思うのですが、ダンキンの失敗のいちばんの原因はドーナツの味が途中からがくんと落ちてしまったことです。このダンキン好きの僕でさえ、あとの頃はちょっと店に入る気になれなかったですから。どうしてそうなったかというと、ダンキンがセントラル・キッチン制をとって、現場で揚げたてのドーナツを出すのをやめちゃったからです。お客はそういうことに対してはとても敏感です。「ドーナツをなめちゃいけない」と僕が言っているのはそういう意味です。

 

 要するに経営の吉野家サイドに、ドーナツという食べ物に対する哲学がまったく欠けていたということになると思います。それを「飲茶がどーこー」というようなところに安易に持っていく経営姿勢がそもそも間違っています。

 

 村上春樹拝

 

 

 

 業種は違えど、同様のことはビールに関しても言えるだろう。

 何一つ創造的な生産をせずに、ただ金銭の数字だけを操作して利潤を吸い上げるアメリカ型マネー経済の権化のような企業が、ビールに関して何がしかの哲学を持っているはずなどなく(そもそもスティール社がサッポロやアデランスの株を買い占めたのは投機目的であって、ビールにもカツラにも興味などないのだ)、スティールが完全にサッポロを牛耳れば、日本から美味いビールを作る会社が一つ消えるだけなのだ。

 

 今、キリンとサントリーとが合併するのも、「美味い酒を造ろう」という哲学があるからではない。M&Aで収益基盤を強固にし、強靭な欧米勢を相手に海外市場に打って出るためである。キリンとサントリーが合併すれば、その総売上高は米国の飲料事業最大手であるペプシコと肩を並べるほどの規模となるという。

 

 世界的に見れば、グローバル化を背景にM&Aは大きな流れとなっており、それは避けられないものなのかもしれない。

 米国の象徴とも言えるバドワイザーを生み出したアンホイザー・ブッシュ社(Anheuser-Busch)ですら、昨年ベルギーのインベブ社(InBev)によって買収されてしまったのだから。

 

 だが、繰り返すが、酒造りというのは短期的に営利を生み出すものではないし、それをやればまともな商品は流通しなくなる。

 グローバリゼーションが市場主義による経済成長の促進という面で加速していくならば、その大きな流れはあらゆる文化を飲み込み、世界中をアメリカ型に均質化していくことだろう。

 それでも、フランスにおけるワイン、英国におけるウイスキー、ドイツにおけるビールのように、しっかりとした伝統に基づいた文化的アンデンティティを持った酒と、それを尊重するような国民性があれば、その酒文化が生き残っていくことは可能であろう。

 しかし、伝統的なビール文化が根付いていない日本のビールなど、市場原理が進んでいく中で、たちまちに味は二の次でただ売れればいいだけの「工業製品」に堕してしまうかもしれない。

 グローバル化・経済成長という怪物が通り過ぎた後に残される、死屍累々たる文化の屍の山。

 それを思うと、暗澹たる気持ちになる他ないのである。

 

 

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