ボクらの希望
なんのかんのとありながらもやっとたどり着けた着工予定。振り返れば2003年の4月末から足掛け半年、あっという間だったような長かったような。

この半年間は「家を建てる」ということを通して本当に様々なことに触れ、考え、出会い、動いてきました。普段昼間のふくろうのようにじーっとというかボーっとしているちょみっつ一家にしては良くやったほうではないんだろうかと自画自賛してみたくなります。

「建てたい家を決める」ということは、今現在のちょみっつを客観的にいろんな角度から知ることができた良い機会でもありました。

親から見たちょみっつ。社会的立場から見たちょみっつ。経済的信用度から見たちょみっつ。地域共同体から見たちょみっつ。1号、2号、3号それぞれの視点から見たちょみっつという家族。

こんな見解を通してこれから先、それぞれが見たいと願う個々の未来像と家族の将来を考え、願いと現実の距離と道程をちょみっつ夫婦がそれぞれにどう見据え、捉え、操りたいと願っているのかを確認しあう期間でもありました。

好き勝手に妄想を膨らませワクワクしたり、へぇ〜ボタンを100回押しても足りないほど目から鱗の発見があったり、"こんな家でこんな物に囲まれて"と空想を広げ本屋さんでにやにやしたり、そんな楽しい期間でもあったけれど、幾度も口論し、経済的な理由も含め小さな綻びから不協和音が鳴り響き、計画自体白紙に戻りそうになったこともあったし、お互いのことを気遣いすぎて歩み寄る線がわからなくなり重く沈んだ雰囲気になったこともありました。

ジェットコースターみたいな毎日の中であるとき気がついたのは、ちょみっつが谷底でうむむぅ〜、どうにもならん気がするですたい、と唸っているとなぜかどこからか救いの手が差し伸べられ次の展開へ進めてもらっている、という感覚でした。これに気がついてからは「困る時は素直に困ろう。きっと導かれるべき道が見えるはずだから。無理せず気張らず流れに乗ろう。」と思うようになりました。そう思い始めてからはちょみっつが夫婦として、または個人として深いクレパスに落ち込むことなく全てが回るようになったと感じています。

なんか抹香臭いお話しの展開になっちゃいましたけど、ちょみっつ家はいろんな形で家を建てることに携わってくれている皆さんのおかげでここまで来ることができたんだ、というのが正直な感想なんでどうかひとつご容赦ください。

「今、建てたい家」と「今後、住みたい家」ができるだけイコールで結ばれるようちょみっつなりに考えてきた家。着工すれば後戻りがきかないものだけれど、ここからは全幅の信頼を置くOhさん、Inaさんにお任せして、ちょみっつは少しドキドキしながら「愛しい」と思える家が建つ事を祈りながら完成を見守っていきます。


ちょみっつは「家内安全」という言葉が好きです。
「家の内の安らぎを全うする」ってこと、何を持って安らぎと言うかは十人十色だとしてもこれを実現していくのが「我が家」という舞台だと思っています。


そんな我が家がどうか無事に建ちますように。



これが僕らの希望です。