愛しさと切なさの狭間で惑う*1
愛しさと切なさの狭間で惑う*1
「ん〜〜!い〜天気だなぁ!」
白髪混じりの髪を 無造作に後ろで結んだ男が、眩しそうに目を細める。
大衆居酒屋『OMORO』の店主は、大きなあくびをすると、気持ちよさげにグイッと身体を伸ばした。
常連客による宴会が終わったのは、空が白み始めた頃で、酔い潰れて居残った客が千鳥足で帰っていくのを見送ったところだった。
真っ青な沖縄の空を、爆音を轟かせながら戦闘機が通りすぎていく。
「おはよう、お父さん!」
酒やタバコの匂いが残る雑然とした店内から、白い開襟シャツに赤いリボンタイを着けた少女が、短いスカートを翻しながら飛び出してきた
「ああ、おはよう小夜。弁当持ったか?」
「うん持った!ひゃあ遅刻しちゃう!」
「…送ってこうか?」
バタバタと学校指定の靴に踵を押し込む小夜に、眠そうに声をかけた
「ううん、走るから平気!それにお父さんまだお酒残ってるでしょ?」
「う…すまんなぁ…」
痛いところを突かれ、閥が悪そうに頭をかくと、元気に走り去る娘の後ろ姿を見送った。
「小夜!転ぶなよー!」
「もう!子供じゃないんだから!いってきまーす!」
元気に手を振り、沖縄の強い陽射しの中を弾むように駈けてゆく少女…
「…目覚めて一年か…」
OMOROを父から受け継いでもう三十年余り…最近、無理が利かなくなってきた。自分もすっかり年をとったもんだと、
宮城カイは凝った肩を掴んで首を回した。
カイは、かつて自分達が通っていた学校に小夜を通わせていた。
教師の中には小夜の面影をうっすらと覚えている者もいたが、カイは他人の空似だと笑い飛ばした。
そもそも、30年前と少しも変わらない人間などありえない…つまりはそういうことで人々はごく自然に納得したのだ。
小夜が目覚めても、彼女の従者は姿を見せなかった。
目覚めの血を飲んでいない小夜には記憶がない。かつて父がそうしたように、カイは小夜を引き取り二人りきりで暮らしていた。
独身のカイには、これまで何度か見合いの話も持ち上がったが、人に話せない事情を抱えている事もあり
『俺は独りが性に合うんだ』と断り続け独身を貫いている。
ディーヴァとリクが残した双子達は、カイの愛情を惜しみなく受けのびのびと元気に育った。
育てはじめた当初は、独身の身で子供を育てるのは無理だと周囲(主に近所の奥様たち)に反対されたが、
カイは自分がしっかり育てるから大丈夫だと言って譲らなかった。
もちろん、赤い盾の強力なバックアップがあってこそだったが、それでもカイの熱意は変わらなかった。
カイは周囲も驚くほど【いいお父さん】となっていた。
しかし、やがては双子たちも時を止めてしまう。そうなれば、カイの傍はもう彼女たちにとって安住の地ではなくなる。
カイはそうジョエルに諭され、双子たちが高校を卒業するのを期に、留学と称して赤い盾のジョエルのもとへ預けたのだ。
今はジョエルの庇護の下、赤い盾のメンバーとして働いている。そして年に何度かは、カイの元へたくさんのお土産を持って帰ってくるのだ。
無から始まり、どうにか普通の生活が送れるようにまでなった小夜だったが、まだまだ戸惑うことが多かった。
突然、カイに双子達を紹介され、彼女達が自分の姪であることなどを聞かされた。
しかし、いくら説明されても記憶がない小夜には、どう見ても同い年に見える姪の存在は、全く現実味がないのが正直なところだ。
小夜は【お父さん】を困らせないように、分かったような顔をして頷く。
カイには、それが妙に痛々しく思えた。
【兄】として過ごしてきた記憶があるカイには、【妹】が自分を【父】と呼ぶことになかなか慣れることができないでいるのもまた確かで…
なんの疑いもなく、毎日楽しそうに学校へ通う小夜にホッとしながらも、心中は複雑なのである。
兄妹から父娘となった二人は、それぞれ複雑な思いを胸に抱えていた。
しかし、それ以外はいたって平穏な日々が過ぎていく。
「…アイツ…なんで顔出さねぇんだ?ったく…」
カイは頭をかきながら呟くと、散らかり放題の店に戻ろうと踵を返した。
「……カイ」
控えめな声が彼を呼び止めた。
聞き覚えのあるその声を確かめるように振り返ると、簡素な細身のスラックスに、裾の長い長袖の上着をはおった長身の青年が、涼しげな表情で立っていた。
沖縄には不釣合いに黒ずくめの服も、この青年に限ってはしっくりとする
いつもはきちんと結わえている髪は下され、僅かな風に揺れていた
「…ハ…ジ?」
「……お久しぶりです」
愕然と目を見開くカイを前に、ハジは静かに会釈した。
ハジが生きているとは思っていた。小夜の眠る墓の前に 度々ピンク色の薔薇が捧げられていたからだ。
しかし、目の前に現れたのはこれが初めてだった。
「——ハジ!おまえ今まで何やって……はっ…」
駆け寄ろうとしたカイはビクッと体を震わせた。強張ったその目は薄っぺらく風に靡く左袖を凝視していた。
「……ああ、これですか?…見苦しくてすみません…」
カイの視線に気付き、ハジは事も無げに右手で薄っぺらな袖に触れた。
「…え……あ…」
カイの表情に、ハジは少し困ったように微笑んだ。
その顔にカイはハッと我に返る
「おっと、突っ立ったまんまで悪かったな!まぁ入れよ!」
くしゃっと笑ったカイの目尻に、人の良さそうな皺が寄った。
宴会の名残が残る薄暗い店内で、ガチャガチャとグラスや食器を流しに運びながら、カイは何から話したもんかと考えていた。
言いたいことが山ほどあったはずなのに、何一つ浮かんでこない…
テキパキと無駄なく動き回る店主を、長身の青年は目を細めて眺めている。
「……カイ、実はお話があって伺ったのですが…」
長身で入り口を塞いだまま、青年は静かに口を開いた
「あ?…オハナシ?」
大きなトレイに手早く食器やグラスを乗せながら顔を上げる。
この男が彼に話とは・・・なんだか嫌な感じがする・・・・
「……私は……この地を去るつもりです…」
「…な…に、言ってんだ?おまえ…」
「…カイなら、ずっと小夜の家族でいてくださるでしょう?」
「……あ…ああ……」
誰に言われなくとも、やがてくる休眠期まで…いや、いつまででも【家族】でいるつもりだが…
カイは、ハジが何を言おうとしているのか探るように、鋭い視線をぶつける。
「…小夜に、笑っていて欲しいのです…それに…」
「………それに?」
カイは注意深く言葉を待った。
しかし、ハジは答えることなく口角を上げた。
そのふわりと微笑む顔が、あのオペラハウスで最後に見せた微笑みと重なり、カイは持ち上げたトレイを乱暴にテーブルへ置くと、噛み付くように声を荒げた。
「小夜はどうなるんだよ!?………また小夜を置いていくのか?……【あの時】みたいに……」
若い頃よりもずっと太く逞しくなったカイの腕は、トレイの持ち手を握ったままわなわなと震えている。
ハジの目は懐かしむように静かにカイの様子を見ている・・・すぐに熱くなるところは、あの頃とちっとも変わらない・・・
「……小夜には…貴方がいます……」
「…ハ…ジ…」
ついっと逸らされた端正な顔……泣いているのかと思えるほどの哀しげな瞳に、カイは言葉を失ってしまった。
震える腕から力がぬけ、そのままだらりと腕が下がる。悔しそうに歯を喰いしばる顔を背けると・・・項垂れた。
「…あいつは…小夜は…ずっとおまえを待ってた…それでも…か?」
「……………………」
カイは傍らの椅子を引くと、ハジに背を向けて力なく座り、苦悩するように両手で顔を覆った
宴の名残りがそこかしこに残る居酒屋に似合わない、重く長い沈黙が広がる。
「…おまえも座れ」
背を向けたまま呻くように声をかけると、ハジは静かにカウンターの椅子に腰を下ろした。
軍用ヘリの編隊が爆音を轟かせながら、二人の沈黙を切り裂き遠ざかっていく
低空で飛ぶヘリのローター音は、爆撃機ほどではないにしろ、古い居酒屋の窓ガラスや壁をビリビリと振動させるのには十分で・・・
「なぁ…俺が納得できるように話してくれねぇか?…おまえが……何を思っているのか……」
遠退く爆音を聞きながら、カイは言葉を絞り出す…
小夜を愛するがゆへの事だと理解はできるものの、長かった戦いもすでに終わり、誰に気兼ねすることなく愛し合えるはずなのに…なぜ…?
やはり、どうあっても納得できる理由をこの男の口から聞きたかった。
「………ハジ」
「……そう…ですね…」
俯く青年は瞼を落とし、僅かに眉根を寄せると、静かな声が仄暗い室内に零れ始めた———
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・30年後を書いてみました。
カイ兄ちゃんはすっかり居酒屋のオヤジに収まっております。
ハジの左腕は、アンシェル兄さんからふっ飛ばされていらい、そのままって設定です。
湿っぽく始まりましたが、今しばらくお付き合い下さいませ。
*UP* 10.2.10
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