愛しさと切なさの狭間で惑う*5

 


外灯に照らされた二つの黒い影は、吸い寄せられるように寄り添ってひとつになる。

背の高い男は、ギャラリーから相手を隠すように僅かに背を向けた。


「おぉ〜!」


店内にいたオヤジどもが一斉に低い声でどよめいた。

店の常連客は、窓という窓に張り付き若いカップルの逢瀬を見物している。


「いや〜若いってなぁいいねぇ〜」


嫌がるカイの首に腕を回し、カキモトもまたその見物人の一人だ。


「放せよカキモト!鍋かけてんだよ!焦げるだろうが!」


じたばたともがきながら、腕から抜け出して厨房に駆け込むと、火にかけっぱなしになっていた鍋を覗き込む。

どうやら料理を焦がさずにすんだようだ。牛肉とホルモンを、たっぷりの野菜と一緒にじっくり煮込んだこの店自慢の一品だ。

大きく深目の器に煮込みを盛り付けると、誰も座っていないテーブルにドスンと置いた


「オラ!このデバガメども!残したらただじゃおかねぇぞ!」


大声で怒鳴ってみても、聞いているものは誰もいない。カイは腰に手を当てて盛大な溜め息をついた。

店の目の前の小さな公園で、僅かなスボットライトの下で繰り広げられるロマンスに、中年オヤジどもはすっかり夢中になっている。


「俺だって昔はうちのかみさんと熱烈なチッスしたもんさ!あいつは俺にベタ惚れでよぉ」


「嘘つけ!キスしようとして何回もひっぱたかれてたろう?!」


「なんでお前が知ってんだよー!」


口々に昔の武勇伝を披露しては、あちこちからゲラゲラと笑い声が上がる。店内はすこぶる機嫌のいい客達で大盛り上がりだ。

次々に酒や料理の注文が入り、店の売り上げはどんどん上昇していく。

それに比例して、店主の機嫌は下降線をたどる


『あいつら、場所を考えろっつんだ!丸見えじゃねぇか!』

カイは二個目のキャベツに理不尽な仕打ちをしがらがブツブツ言っていたが、いつの間にか酔っ払いたちの興味は、逢瀬から別の話題へと変わっていた。それぞ れの席に戻ると、楽しげな会話と共に酒や料理があっという間に喰い尽くされていく。


酔っ払いの行動は予測不能だ…と店主は溜め息をついた。

結局のところ、気を揉んでいるのは自分だけなのだ。


カイは哀れなキャベツへの八つ当たりをやめた。




薄暗い公園に唇を貪る湿った水音と甘い息遣いが漏れる。

僅かな身動ぎ(みじろぎ)さえも赦さない拘束……小夜の頭の中は、甘く痺れて何も考えられない……


……ん、はぁ…」


突然の長い口付けから解放され漸く息を継ぐと、見上げた先で青い瞳と目が合った。

頬を染めた小夜は瞳を潤ませうっとりとその胸に凭れると、言葉にならない幸福感が胸を満たしていく


『なんだろう…すごく安心する…』スーツの感触を楽しむかのように、うっとりと頬を擦り寄せた。


………すみません」


甘い幸福感を無粋な言葉が打ち消した。


「?……どうして謝るの?」


胸を満たしていた幸福感は一瞬にして不安へと変わった。

顔を上げてみても彼の表情までは伺えず、小夜は背中に回した腕に力を込めて不安に揺れる心を支えた。

ハジは表情を押し隠し、片腕で包み込んでいた華奢な体を一度強く抱くと、しがみ付いているその体をグイッと引き剥がした


「きゃっ!…な…なに?!」


強い力で引き剥がされ二人の間に風が流れ込む。夜でも暖かい沖縄なのに、その風は酷く冷たく感じた

ピンと伸ばされた腕一本の距離が酷く遠く感じる……恐る恐る見上げると、切なげな瞳とぶつかる


…逢うつもりは…なかった……まして……触れるなんて…」


ハジは苦しそうに目を閉じると、独り言のように想いの片鱗を晒した


…それは…どういう意味?」


小夜は怯えたように、胸の前で両手を強く握り、震える瞳で彼の唇を見詰めていた。

そんな彼女の様子を見ても、ハジの表情は変わらない。


少なくとも小夜にはそう見えた。


…貴女の傍に私はもう必要ない…ということです」


………え?」


てっきりカイの友人なのだろうと思っていた小夜は、困惑顔で目の前の男を見上げた。


「?…どういう意味?…貴方は…私の何?…私、何もわからなくて…」


胸を押さえる手が震える…私はこの人とどんな関係だったんだろう…?

触れた唇は覚えがあるような…酷く懐かしいような気がしたのに…思い出せないことが悔しい……

小夜の戸惑いはさらに色濃くその表情を曇らせた。


…いいえ、それでいいのです…貴女は…何も思い出す必要はありません」


ハジは穏やかな声でそう言うと、一歩後退した。


「どうしてそんなことが言えるの?記憶がないってことが…何も分からないってことが、どんなに不安か貴方に分かるの?!」


思わず伸ばした小夜の手は、辛うじて彼の左袖を捕らえるとそのまま強く握りしめた。

見開かれた瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れる。



———人の気も知らないで!そう思うと腹ただしいのに、それ以上に小夜は突き放されたことが酷く悲しかった。



…思い出す術があるなら思い出したい!自分のことも……貴方のことも…」


流れる涙を拭いもせず、長身の男をキッと見上げた。

黒ずくめの男は哀し気に少女を見下ろしている。見詰められている小夜は、いけないことを言ってしまったのだろうかと、心配そうに青い瞳を見つめた。


……辛く忌まわしい記憶でも…構わないと?」


「!!」


ビクッと華奢な肩がすくむのがわかった。震えながら唇を噛む少女は…それでもコクりと頷いた


……知りたい」


小夜の決意とは裏腹に、ハジの顔はさらに哀しみの色が濃くなっていく

返事を予想していたかのように


…貴方のことを…もっと知りたいの……」


真珠のような雫が頬をいくつも転がり小夜の服を濡らす…震える唇から少女の本心が零れ落ちる……

甘い言葉は素直に嬉しい…しかし、別離を決意している男の胸には刃のように突き刺さる…


……私のことを思い出せば…貴女はもっと…苦しむ事になります…」


思い出さなければよかったと…きっと後悔する…

青い瞳を瞼で隠し眉をしかめて背けた横顔は、まるで膿んだ傷の痛みを堪えているようにさえ見えた


本当は、自分の事だけを思い出して欲しい!……けれどそれは無理な話で……

自分にとって大切な【小夜との思い出】は、彼女を傷付け苦しめる……理不尽とも思える現実がハジ自身を苦しめる…


酷く哀し気な顔で黙り込んだハジに、小夜が一歩近付いた。


「どんなに辛い記憶でも、それは私のものだわ!」


「思い出さなくていいことだってあります!」


いい募る小夜にハジは語気を強めた。

その剣幕に、自分の過去はそれほどおぞましいものなのかと小夜は俯き唇を噛んだ。

袖を掴む手が震える

それを見下ろしながら、ハジもまた己の揺らいだ決意を建て直した


……思い出せば…今の生活も……失いますよ?」


今度こそはっきりと小夜の体が跳ね上がった。青ざめたその顔に胸が痛む。


———結局、私は小夜にこんな顔しかさせてあげられないのか……端正な顔はほんの少し苦しげに歪んだ。

だが、小夜は膝から崩れそうになのを必死に堪えていて、その変化に気付けなかった、


…もう、そんな思いはさせません…いまなら…まだ間に合う…」


頬の感触を記憶に留めようとするように、涙に濡れる頬に優しく触れた。

ハジの指先を小夜の涙が濡らしていく…これまで幾度となく小夜の涙を見てきたハジだが、この涙はいま間違いなく自分だけに向けられている…その瞳を見詰 め、胸に湧き上がるこの感情は、自分の歪んだ独占欲なのだろうか…?と複雑な気持ちになった。


———今ここで血を与えれば———


ハジは湧き上がってくる感情を振り切るように唇を噛んだ。

わかってください…苦し気に呟くと、震えながら袖を掴んでいる小さな手を優しくほどく


…や……やだよ…ハジ…」


解かれた手は尚も追い縋る…ハジは数歩下がってその手から逃れた。


……おねがい……行かないで…」


……………小夜…」


涙に濡れる瞳は縋るように自分だけを映す…ぎこちない笑顔は自分だけに向けられたもの…ハジにはもうそれだけで充分だった。

さっと外灯の明かりが薄れる場所に下がると、わざと漆黒の翼を小夜の前に晒した。


「!!」


驚愕に見開かれた瞳を切なく見詰め、ふわりと羽ばたいて星空に舞い上がる


……私のことも…どうか忘れてください…」


耳に届いた声音は、どこまでも優しかった


————ハジーーーっ!!」


小夜の悲痛な声は、満天の星空に響いて消えた


公園に独り取り残された小夜は、星空を見上げたまま力が抜けたように座り込んだ。

瞬く星空のどこを探しても黒い人影は見えない

涙が溢れ頬を流れてゆく


『どうして泣いているのですか?』


ついさっき耳元へ届いた優しい声は、もうどんなに泣いても聞こえてこない


…いや……ハジ……忘れるなんて……できないよ…」


名を呼んでみても応える人はいない…言葉にならない切なさが小夜の胸を焦がす…

小夜は両手で顔を覆うと声を殺して泣いた






どのくらい時間が経ったのだろう



力なく下がった細い両肩を、暖かな掌がそっと包み込んだ。

僅かな望みにハッと顔を上げたが、その期待は一瞬にして打ち砕かれた


……小夜…もう家に入ろう?」


ずっと地べたに座り込んで動かない小夜を見かねてカキモトが迎えに来たのだ。

泣き腫らした顔はぼんやりと父の友人を見上げ、哀しげな瞳でこくんと頷いた。


カキモトに肩を支えられて、店ではなく玄関から中へ入った。

暗い玄関に座らせると、虚ろな瞳を優しげな笑みが覗き込んだ。


…落ち着いたら顔を出せばいいさ。お前のオヤジも心配してたからさ…な?」


父親のように優しく髪を撫でると、外を回って店内に戻って行った。

まるでタバコでも吸ってきたかのように、さり気なく席に戻り話の輪に加わった。


小夜は明かりの点いていない家の中に入ると、畳の上にぺたりと座り込んだ。


『私の知らない過去の自分は、あの人とどんな話をして、どんな風に笑っていたんだろう…』


部屋の隅で膝を抱えて小さく蹲る。

考えないようにしているつもりでも、唇の感触や切なげな蒼い瞳が思い出され涙が滲む


だが、目の前に晒された異形の翼を思い出すと、体の底から震えが這い上がってくる


あの翼がとても恐ろしく思えるのに、彼に逢いたいという気持ちを押さえることができなかった

どうしたらもう一度逢うことができるだろう?小夜はひたすらそのことばかり考えていることに気付いた。



———小夜、笑って…



耳に残る言葉を思い出し、小夜は唇の端をあげてみたが、ガラスにうっすらと写る笑顔はぎこちない


…変な顔…あの人はどう思っただろう…?もう少し可愛く笑えたら、引き止めることができたのかな…?』

小夜は思いがけず未練がましい自分に苦笑いを浮かべると、壁に下げてあるお気に入りのエプロンをつけて、店へ繋がる引き戸を開けた。


「お父さん!手伝うよ!!」


「!お、おう!ちょうどよかった、こいつ頼むぜ!!」


元気に入ってきた小夜に、カイは煮物が入った皿を渡した。


にぎやかだった店内は落ち着きを取り戻し、カキモトも他の常連客と共にテーブル席について談笑に興じている。

小夜は、厨房で忙しそうにしているカイを手伝って、飲み物や料理を運んだりと一生懸命に働いた。



体を動かしていれば余計なことを考えなくてすむ…小夜は懸命に笑顔を作って働いた。




「ありがとうございましたー!」


時刻は午前0時を回り客もぼちぼち帰り始める。

小夜は空いたテーブルの食器をトレイに乗せると濡れた布巾で汚れを拭い取った。


…アイツに何か言われたのか?」


たくさんの食器類を洗うために調理場へ戻ってきた娘に、父がさりげなく声をかけた。

小夜の肩がピクリと震えたのが分かった。

その様子を視界の端に捉えながら、豚の角煮を皿に盛り付けた。


「おいカキモト!角煮だ!取りに来い!」


角煮の皿を二つカウンターに置くと、キャベツを肴に酒を飲んでいる男に声をかけた。

まだテーブルの上には高くそびえる千切りキャベツが鎮座している。


「え〜持ってきてくんねぇの〜?」


「甘えんな!」


つっけんどんな物言いだが、この角煮は店主のおごりだ。自分の娘のように小夜を気遣ってくれた事への無言の感謝ともいえる。

酒屋のオヤジは千鳥足で文句を言いながらも嬉しそうに皿を取りに来た。

小夜と笑顔を交わして男がふらつきながらテーブルに戻ってしまうと、小夜が漸く口を開いた。


…私にはもう自分は必要ないって…記憶も…思い出さなくてもいいって」


食器で一杯になったタライにお湯を張ると、なんでもない風を装いながら、スポンジを握って食器の汚れを落としはじめた。


必死に涙を堪えているのが見て取れた。 小夜のやせ我慢は見ていて痛ましい


……そうか」


調理台を片付けながら、今更ながらハジの決意の固さを思い知る。

二人の再会で元通りになると思っていたカイは、その考えの甘さが恥ずかしかった。


小夜もまた、皿にスポンジを滑らせながら、最後に見た異形の姿を父に話していいのか迷っていた


…あのね…その…彼に……は、羽根が…」


コックを捻って勢いよくお湯を出すと、躊躇いがちに打ち明けた。

父はきっと信じないだろう…小夜はそう思って…


…羽根?……ああ…」


…お父さん………知ってるの?」


父の意外な反応に驚いた小夜は、自分の知らない過去がより恐ろしくなった。


あの戦いの最中でも、小夜を気遣って晒さなかった翼を……見せた…?

ハジが何を考えているのか分からなくなった。


……お父さん?」


黙り込んでしまった父に、恐る恐る声をかけた。

眉間に皺を寄せ、少し垂れ気味の目が小夜に向けられる。


…知りたいのか?」


……うん……すごく…怖いけど…」


皿についた泡を洗い流している手が震えている


自分も何も知らなかったあの頃

学校で得体の知れない化け物に襲われた小夜は、分けも分からないまま戦いの中に放り込まれ、逃れられない恐怖と絶望の中で泣いていた……できるなら思い出 させたくない………自分のことを思い出してほしいのはカイも同じなのだ…。

自分のことだけではなく、リクやジョージの事も思い出してほしい…この沖縄ですごした日々を…しかし…とカイは視線を自分の手元に落とした。


「そうか…だが、これに関しては、俺もハジと同意見だな。」


……私…何かしたの?」


小夜の怯えている様子に胸が痛む。


かつてジョエルの日記を読んですべてを思い出した小夜は、自分の犯した罪の大きさに怯え、心の動揺を必死に押し殺して戦ってきたのだ。誰も寄せ付けようと しなかった痛々しい姿は、カイですらもう二度と見たくないものだ。


常に傍らで支えてきたハジならば尚更だろう…愛していればこそ…

思い出せば、またあの頃のようになってしまうのではないのか…それが、ハジを頑なにさせる理由だろうか?とカイは思った。


…お前は、そのままでいいんだよ。…このままずっと、俺の娘でいてくれ…」


他に何が言えただろう…カイは己の無力さが悔しかった。

くしゃっと笑って見せても、小夜の顔に笑顔は戻らない…小夜は皿の水気を拭き取りながら、昼に見た青年のはにかんだ笑顔を思い出していた。


…お父さんは…ぜんぶ…知ってるの?」


……さぁな…ほら小夜、旨いぞ!」


躊躇いがち発せられた問いに曖昧に答えると、一枚残った角煮を菜箸で摘み上げ小夜に差し出した。


話を誤魔化され小夜の胸には不安が広がった。しかし、これ以上父を心配させてはいけないと無理に笑顔を作ると、あーんと口をあけた。

夕食をほとんど口にしていなかった体は、脂の乗った角煮をじっくり味わうと満足そうにごくりと飲み込んだ。


「おいしい!」


「だろ?!じっくり煮込んであるからな!」


父の人懐こい笑顔に釣られるように娘も微笑んだ。

引きつるような笑顔については、お互いに気が付かないフリをした。


「ここはいいから、もう風呂入って寝ろ。また寝坊するぞ!」


「うんおやすみなさい…」


小夜は持っていた食器を棚にしまうと、エプロンを外し部屋へ戻っていった


…………小夜………」


ふらつく足取りで店を出ていく小夜の後姿をみて、自分にできることはないかとひたすら考えた。





店を閉めた時にはすでに午前2時を回っていた。

店主は火の元を確認し店の明かりを落とすとぶらりと外へ出た。

フェンスに囲まれた公園に足を踏み入れると、小夜と同じようにベンチに座って星空を見上げた。


……ハジ、いるんだろ?出てこいよ」


独り言のように発した声に、微かな靴音が応えた。

カイの座るベンチに歩み寄ると、外灯がその端正な顔を照らし出す。


「おまえ、他に言い方があっただろう?なんで傷つけるような言い方をしたんだ?まして羽根までみせるなんて…」


…………」


ハジの顔はいつもと変わらないように見えるが、その瞳は酷く哀しげに揺れる。


…なあ、なんでそんなに頑なに別れようとするんだ?理由を言えよ」


…小夜に……いつまでも笑っていて欲しいのです…」


「?それなら普通に傍にいてやればいいじゃねぇか…なんで…」


カイはハッと思い出したように立ち上がると、やおらハジの顎を乱暴に掴んだ。

昼に自分が殴った痕はすでに消えどこにも見当たらない…試しに唇の端を親指でぎゅっと押し付けてみた。


———っ!」


端正な顔が僅かな痛みに一瞬歪んだ。口の中はまだ完全には癒えていないらしい。

ハジは頤を捉える手から逃れるように顔を背けた。


……まさか…いや…シュヴァリエは不死身なんだろ?」


半ば呆然とハジを見る。青年は何事もなかったように手の甲で唇を拭った


…いいえ、完全なる不死ではありません…対になる女王の血の他、業火に焼かれたり…大量の血液を失えば死に至ります」


事も無げに言い放つ言葉に、カイは背中に冷たいものが走るのを感じた。

対なる女王はもういない…その命を確実に奪うものはもはや存在しないとカイは思っていた


…じゃあ…小夜に別れを告げたのは…」


…………」


ハジは無意識に左腕に触れた。再生しない腕…癒えない傷…ハジの顔は哀しげな笑みを浮かべる


「私は…かまいません…小夜が悲しまなくて済むのなら…」


小夜の従者は、不器用なほどに愛しい主の幸せだけを望んでいる


…あのな…俺は生身の人間なんだ。小夜が次に目覚めたとき生きてるか分からないんだぞ?その時、たった独りで目覚めた小夜はどうしたらいいんだよ!赤い 盾の連中だって、響と奏以外の女王をいつまでも大事にするとは限らないんだ。もしかしたら、何かの実験台にするかも知れねぇ!守れるのはお前しかいないだ ろう!?」


小夜を実験台になど、あのジョエルがするとは思えないが、カイはあえて最悪の事を言ってハジを煽った。


“実験台”の言葉に、ハジの顔が嫌悪に歪む。

かつての小夜は、まさにその為に生かされ、そして自分もまたその実験体だったのだから


…なあ、一体どれだけの血液があれば、元に戻れるんだ?」


赤い盾の…ジョエルに相談すれば、すぐにでも大量の血液を用意できるだろう

ハジは切なげに瞼を落とした


「わかりません…ただ、どれほどの血液を用いようと、主の血の一滴に勝るものはありません。」


……主って……」


ハジはわざと小夜の名を口にしなかった…カイは事の重大さを改めて知る。


ここまで衰弱してしまっては、人間の血液だけでは補いきれない…ハジの本能はそれを知っていた。

小夜の血を得るには、やはり訳を話さなくてはならないだろう…輸血ではなく、直接口にしなくては意味がないのだから…



再びシュヴァリエの儀式をハジに……カイは沈黙せざるを得なかった。



小夜に辛く哀しい思いを強いてまで生き延びたくない…ハジの気持ちもまたカイには痛いほど理解できた。




答えの見えない重苦しい沈黙が 星降る公園に広がった……





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UP* 10.2.10

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*居酒屋の雰囲気とリンクさせたかったんだけど、ウザかったらごめんなさい…