愛しさと切なさの狭間で惑う*3

 


携帯電話がカウンターの上でその存在を主張する。

殴りかかろうとしていた男は思わずその動きを止めた。


振り上げた拳の先には、未だ頬を赤く腫れさせた青年の顔。

カイは、その顔を一瞥すると、むっつりと黙ったまま震える携帯を取り上げ耳に当てた。


…もしもし?」


低く不機嫌そうな口調。

眉間に皺を寄せていたカイの表情が相手の声を聞いて一変した。


『あ、もしもしお父さん?』


電話の主は小夜だった。弾むような声が、小さな機械を通してハジの耳にも届いた。

懐かしい少女の声・・・愛しさが一層募る・・・


カイもまた驚いていた。まだ授業中のはずなのにと。あまりのタイミングに、カイは言葉が上手く出てこない・・・


『もしもしお父さん?どうしたの??大丈夫??』


電話口の小夜は、黙り込んだまま返事をしない父を心配し何度も呼びかけた。


…あ、ああ、聞こえてるよ。どうしたんだ?まだ授業中だろ?」


気を取り直し、何事もなかったように話を始めた。


『いま休み時間だよ。あのね…家にシューズを忘れてきちゃったの…朝慌ててたから…』


「シューズ?」


言われてあたりを見ると、カウンターの丸イスの上、ちょうど弁当箱を置いていたすぐ側に、赤い袋に入った陸上競技用のシューズが乗っていた。


「またか・・・。弁当だけは忘れねぇのになぁ・・・」


『もう!だけは余計だよ!・・・それでね・・・後で届けてもらえない?今日は当番があって、どうしても取りに帰れなくて…』


申し訳なさそうに小夜は言った。カイは腰に手をやり、電話口の娘に聞こえるようにわざと大袈裟に溜息をついた。


「はぁ…持ってってやりたいんだが…悪ぃなぁ、今日はちょっと外せない用があるんだ。だから届けさせるよ。何時がいい?」


…そうなの?…あ、じゃあ4時半くらいにお願い!校門のところで待ってるから!ああもうチャイムが鳴っちゃった!切るね!』


ぷつっと慌しく電話が切れると、やれやれと男は青年を振り返った。

何故かその目はやんちゃな小僧の目になっている。


「ま。そーゆーことだから、頼むわ。ハジ。」


「・・・・・・・・・・」


目尻に人懐こい皺を寄せてにやりと笑う中年男に、ハジはしてやられたと眉根を寄せた。

この男は何が何でも小夜に会わせたいようだ。


「・・・カイ・・・お気遣いはありがたいのですが」




「ちわーっす!おじさーん、いるー?!」


言いかけた言葉を遮るように、いきなり背後のドアから若い男が顔を出した。

186cmとやたら背の高い青年は、違和感のある服装のハジを見ても臆することなく、にこやかに帽子を乗せた茶色い頭をちょいっと下げた。


「よう!ご苦労さん!こっちに頼むわ!」


いい色に日焼けした健康そうなその青年をみて、カイは居酒屋のオヤジの顔に戻った。


「りょーかい!」


にこやかな挨拶もそこそこに、青年は小走りに乗ってきたトラックへ戻ると、その荷台から手早く酒類を台車へ移しはじめた。

腰に手を当てカイはその様子を見ていたが、今日は納品の量が多い日だったのを思い出す。

店主は急いでカウンターに戻ると、空になった生ビール用のボンベを取り外したり、軽くなった酒瓶がどっさり入ったケースを通路に出すなど作業を手伝った。


ガラガラと盛大な音を立てて台車が店に入ってくる。

青年は慣れた様子で重い品物を店内に降ろし、空になったビン類を回収するとそれらを台車に乗せ、もう一度トラックへ戻るとすぐに別の品を運んできた。


「そういえば、あいつ大丈夫だったか?ずいぶん飲んでたぞ?」


カイは、台車から下された商品をそれぞれの棚に収めながら、ついさっきまでいた客の話を持ち出す。

その問いかけに顔を上げた青年の顔は、苦笑いを浮かべていた。


「オヤジの奴ひでぇ二日酔いでさ、仕事にならねーもんだから“酒屋が酒に呑まれてどうすんのよ!?”って母ちゃん怒鳴られてさ、オヤジも“うちで卸した酒 飲んで何が悪んだよ!”って開き直るもんだから、ムキなった母ちゃんと朝っぱらから夫婦喧嘩っすよ!も〜うるせーのなんのって・・・」


首にかけた店名入りのタオルで汗を拭いながら、呆れたように今朝の騒動を打ち明けた。

だが、すでに日常なのか、青年はさして気にしていないようだ。むしろ楽しんでさえ見える。


「あはははは!カキモトのヤツだらしねーなー!」


カキモトはカイの高校時代の悪友だ。いまは酒屋の娘の婿になり、三人もの娘息子の父に納まっている。

この青年は、その悪友の長男でもうじき二人目の子供が生まれる。カイはこの青年を息子のように可愛がっていた。


作業服を粋に着こなす青年は納品書にペンを走らせながら、もうすぐ産まれる子供が女の子らしいと笑う。


「ぜったいに嫁には出しません!」


まだ産まれてもいない娘の事を彼はもう溺愛している。


そんな青年の様子に、カイは嬉しそうに目を細めながら納品書にサインした。

青年は受け取り確認のハンコをもらうと、ドアの脇に立つハジに帽子をひょいとあげて挨拶し、手際よくトラックに荷物を積み込むと運転席に滑り込む。


「オヤジのやつ、性懲りもなくまた来ると思うんで、そん時は遠慮なく追い返してやってください!」


さっぱりした性格の青年は、白い歯を見せてニヤリと笑ってみせた。


「バカ言え!大事な客は返せねーだろう!気をつけてな!嫁さんにもよろしくな!」


毎度ありー!と元気な声を挙げてトラックは走り去った。

カイはそれを見送ると、ハジを振り仰いだ。


「わかったろ?俺もけっこう忙しいんだ。忘れ物を届けるくらいどうってことねぇだろう?頼んだぜ!」


「・・・・・・・・・・」


中年の男はそう言い放つと、テーブルの上にほったらかしにしていたトレイを調理場に運び、山のような洗い物をテキパキ片付け始めた。



昼間の居酒屋も忙しいのだ。店内の掃除・食品の買い出し・料理の仕込み、それに今日は銀行に支払いにも行かなくてはいけない。

カイは手を動かしながら、頭の中で段取りを組んでいった。




ハジは彼の30年を垣間見た気がした。




人情味あふれる居酒屋のオヤジはハジの知る男である筈なのに、強かで喰えない中年になっていることが可笑しかった。

だがそれだけに、もう何を言っても無駄なのだと、ハジは珍しく大きなため息をついた。


「・・・・・わかりました」


「お、そうか!助かるぜ!」


カイは満足そうに笑うと洗いものを続けた。


ハジの白い右手がシューズの袋を取り上げた。

その持ち主を思ってか、切れ長の目がすっと細められたのを、カイは汚れた食器にスポンジを滑らせながらじっと見詰めて




…ふと…あることに気が付いた。




さっき殴ったハジの頬が未だ赤く腫れ、切れた唇にも血が滲んだまま痛々しい。


…なぁ…なんか…傷の治りが遅くないか?」


自分の記憶では、小夜もハジも…恐ろしく治癒能力が高いはずだ。こんな傷は一瞬で消えるはずなのに…

カイは手を止め怪訝そうに眉を潜めた・・・


「心配ありません」


そう短く答えると、シューズの入った袋を持って店を出ようと背中を向ける。

ヒラリと流れる袖を見て、カイはさらに重要なことに気が付いた。




ずっと付きまとっていた違和感……それは………




………なぁハジ…その腕……なんで…再生してねぇんだ…?」


一瞬、聞いてはいけないという直感が働いた。しかし、聞かずにはいられなかった


…………さあ」


珍しく曖昧に答え、それ以上は何も語らなかった。

だが、カイには思い当たることがあった。


それは、かつてリクがシュヴァリエになったばかりの頃、シフとの戦闘に巻き込まれて大怪我をした。

あの時、血を求めて苦しむリクをみて、デビッドが言っていた



『シュヴァリエは傷を再生する時には大量の血液を必要とする』と



そのことと関連があるのだろうか…?




そしてもう一つ。




ハジが血を接種しているところを、カイは一度も見たことがなかった・・・

もし、ハジがこのまま血を摂取せずにいたら・・・




———まさか・・・・死・・・・?——カイの体がゾクッと震えた




青ざめた顔を見て、ハジが僅かに微笑んだ。


…カイ…そんな顔をしていたら、小夜が心配しますよ?」


彼が何に思い当たったか手に取るように分かったが、気付かぬ振りで男を嗜(たしな)めた。

出しっぱなしの水がタライから溢れ、泡と共に渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく。


…ハジ…ホントの事を言えよ…本当は…どうなんだ?…おまえ…血が足りてないんじゃないのか?もしそうならジュリアに頼んで…それとも俺のを」


カイの言葉に、美しく整ったハジの眉がピクリと震えるのが分かった。


「カイ。そのようなことを軽々しく口にしてはいけません」


「ハジ・・・」


口調は静かなのに、その蒼い瞳は厳しく中年の男を見据える。


……貴方が心配することはありません」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


ハジはこのまま死ぬことを望んでいるんだろうか・・・?カイは分からなくなっていた。



もしそのつもりだとしても、このまま死なせるわけにはいかない・・・小夜のためにも・・・

いや、何より自分が赦せない!自分の血で助かるなら助けたい!!



激しい感情が隠しきれないカイに、ハジは困ったような顔をした・・・・・

・・・彼は成長したのか変わっていないのか・・・ハジの顔が苦笑へと変わる


……ナンクルナイサ」


「!!」


ハジの言葉にカイはハッと目を見開いたが、やはり言葉が出てこない


何故こんなにも、この男はあの最後の日を思い出させるのか・・・カイは悔しそうに噛み締めた奥歯がギリッと軋む

その顔に微笑むと静かに頭を下げ、訪れた時と同じように静かに店を出て行った。


「ハジ!生きろ!!————!!」


カイは大声で叫ぶ。

しかし、低空で飛ぶ大型輸送機の爆音によって最後の言葉は掻き消されてしまった。




だが【シュヴァリエ】の耳には届いていた・・・




『小夜のために生きろ!』と。




居酒屋の厨房に残された男は、黒い後姿が強い日差しの中に消えてゆくのを、ただ見送ることしかできなかった———







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UP* 10.2.10

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壁紙は【Miracle Page】様からお借りしました

*カキモト君を覚えておいででしょうか?髪を後ろで縛った、NA○UTOのシ○マルっぽい人だよ(笑)

次は小夜たんが登場!ついにハジと対面なるか!?