愛しさと切なさの狭間で惑う*4
愛しさと切なさの狭間で惑う*4
「…小夜…何かあったのか?」
すっかり日も暮れ、地元で人気の居酒屋【OMORO】は、昼間の静けさが嘘のように活気が戻り店内はほぼ満席だ。
騒々しい常連客の笑い声が店内を一層活気づかせている。
「………………ほぇ?」
カウンターで食事を取っていた小夜は、焦点の定まらない虚ろな目でぼんやりと困り顔の父親を映す
「あ、今日のご飯も美味しいよ」
ほっぺたにご飯粒をくっつけたまま、ニコッとぎこちなく笑う
「……………さや……」
好物のゆで卵にも手を付けず、ご飯を口に運ぶも口に入るのは箸だけ…本人は零していることにすら気が付いていない。
『…一口も口に入ってないじゃないか…』と、カイは思わず頭を抱えた。
帰ってからずっとこの調子なのだ。
カイは、顔も服もご飯粒だらけになっている娘に呆れたように溜め息をつく。
——こりゃ、ハジとなんかあったな……いや…何もなかったからなのか?
カイはハジを問いただしたい心境だったが、その人物はどこにいるのやら…
やれやれと首を振るカイに忙しげに客から声がかかる、急いで大皿に盛られた料理と泡盛のボトルを運んだ。
普段は小夜が手伝うのだが、今日はまったく役に立ちそうもない…カイはひたすら店内を駆け回っていた。
ふと、真っ暗な外に人影を見た気がした。…いや、たぶん気のせいではないだろう…
『はぁ…ったく、ストーカーかっつーの!このくそ忙しい時にめんどくせぇ奴だなぁ!』
空の食器やグラスをトレイに山盛りにし、イライラと舌打ちをした
相変わらずのろのろと箸だけを口に運んでいる小夜を見れば、やはりこのままって訳にはいかない…
項垂れて深い溜め息を吐くと、ハジを煽った事を後悔した。
『…しょーがねぇなぁもう!』
カイは眉間に皺を寄せ、面白くなさそうにムスッと渋面をつくり小夜の背後に立つと、どうして付いたのか分からない後頭部のご飯粒を取ってやりながら何やら そっと囁いた。
ゴッ!
「んがっ!!」
カイはいきなり立ち上がった小夜に思いっきり頭突きを喰らった
ものすごい音が店内に響き客が一斉に振り返る。
「イタタ…お、お父さんごめん大丈夫?」
頭のてっぺんを撫でながら、顔面を押さえて悶絶している父を覗き込んだ。
「うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「なんだぁ?カイ、どぉしたぁ?」
性懲りもなく来ていたカキモトも泡盛が並々と入ったコップを持って覗き込む。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
顔面を押さえ、あまりの痛さに言葉も出ないカイだったが、追い払うように手を振って小夜を促した。
「え?…い、行って…いいの?」
戸惑ったように問い返す小夜に、血の垂れる鼻を押さえたまま頷いた
「…ど、どうせろくに口を訊いてないんだろ?…ちゃんと話してこい」
「…お父さん…」
痛みを堪えようやく発した言葉に、小夜は目を潤ませて脱兎の如く飛び出して行った
「おぉ痛てぇ…ったく…世話焼かすなっつーの!」
「あぁ?なんだぁ?サヤちゃんどこ行ったんだ?」
すっかり酔っ払っているカキモトからティッシュを受け取り、それを二つ丸めて鼻に押し込むと
「何でもねぇよ!」と仏頂面で厨房へと戻り、大きなフライパンを振りながら『ったく…損な役回りだよなぁ…』と独り語ちた。
『アイツが来てるぞ。』
カイにそう言われ思わず飛び出した小夜は、ハジの姿を探してフェンスに囲われた公園に足を踏み入れた。
居酒屋から楽しげな笑い声が漏れ聞こえ、それが公園の静けさをより強調させているように感じる。
「…………えっと…」
飛び出して来てはみたものの、実際は名前も知らない彼と何を話したらいいのか分からなかった…
ただ、もう一度会いたかった…
だが公園内に人影は見えない。小夜はただキョロキョロと辺りを見渡しその人物を探した。
———数時間前
校門でシューズが届くのを今か今かと待っていた小夜は、静かに現れた青年を一目見て写真に写ってた人物だと判った
写真では分からなかったその顔を、小夜は食い入るように見詰めた
「……こんにちは…小夜」
繁々と見詰められ、照れたように微笑みながら、その青年が口を開いた。
端正な顔が微笑むと、小夜の頬がほんのりと染まる…
「…こ…こんにち…は…」
茫然と背の高い青年を見上げて、おうむ返しに挨拶をかえした。
小夜の頭の中は真っ白で、言葉が上手く出てこない…
「……………忘れ物です」
「……え?…あ…」
差し出されたシューズの袋を受けとる小夜の指が、ハジの手に僅かに触れた…
小夜の心臓が跳ね上がる
「…あああありがとう!」
真っ赤になって慌て手を引っ込めると、袋を胸に抱き締めそのまま沈黙してしまった。
俯いたその目には、風に揺れる空っぽの左袖が…
「…あの…貴方は…だれ…?」
小夜がゆっくり顔を上げ、薄青い瞳と見詰め合う…小夜が思い切ってそう訪ねた時、青年は何故か一瞬怯えたような表情を見せた。
「……………あの?」
聞いてはいけなかったのかと戸惑い口ごもる
「小夜ー?練習始まるよー?!」
不意にグランドの方から声が上がった。
健康そうに日焼けした少女が駆け寄ってくる
「あ、うん!今行くー!あの…あ、あれ…?」
声をかけてきた少女に気を取られ、そちらに返事を返して振り返ると、もう青年の姿はなかった…
今まで目の前にいたのにと、辺りを見回しても何処にも見当たらない…
まるではじめから存在しないかのように……小夜は言い知れない心細さを感じた。
あの人は誰なんだろう……
その事が気になって、せっかくカイが用意してくれた食事もちっとも食べた気がしない……
(実際は口にすら入っていなかったのだが)
しばらく辺りを見回していた小夜は、もう行ってしまったのだろうかとしょんぼりと肩を落とし、公園に1つしかないベンチに腰掛け星空を見上げた。
キラキラと瞬く星…
…綺麗だなぁ…小夜は星座を探すように星に見入る…
…あの人も…どこかで見てるのかな?
つい数時間前にみた微笑みが思い出され、急に星空が滲んだ
小夜は両手で顔を覆った。
その指の間から透明な雫が幾つも流れ落ちる。微かな嗚咽を漏らして細い肩が震えた
小夜は、何故自分が泣いているのか、何がそんなに悲しいのか理解できなかった。
ただ…もう一度逢いたかった…
何故そう思うのか分からないのに、涙はあとからあとから流れ出て、短いスカートから覗く素足の膝を濡らしていく。
「……………小夜……」
低く小さい声なのに、それは小夜の耳元で囁かれているようにハッキリと聞こえた。
思わず顔を上げるが誰もいない……不思議そうに辺りを見回して———見つけた。
…公園の隅の遊具の陰…外灯の明かりが差さない場所にその人物は立っていた。
「………貴方…さっきの…人?」
人影は動かない。小夜はじっとその影を見詰める。
「…………何故……泣いているのですか?」
黒い人影は低く静かな声音が労るように問いかける。自分が掛けられた問いには答えずに。
「………貴方に…逢いたかったのに……いないから…」
「……何故?…私の事など知らないでしょう…?」
優しい声音はもっともな事を問う
「…それは…そうだけど…」
思わず言い淀むと星降る公園には沈黙が拡がった…
暗がりにいる青年が黙り込んでしまうと、その気配までもが薄らいでしまい、小夜はますます不安になった。
「…ねぇ…顔を…見せて?」
「……………」
小夜の呼び掛けに黒い人影がゆらりと動いた。外灯の下に闇を切り取ったような人影が姿を現した。しかし顔は窺えない
思わず小夜が立ち上がるとその影が一歩退いた
それは、小夜の幸せのために自分はこれ以上関わらない方がいいという、ハジの決意の表れでもあった…
「…あ…行かないで!」
慌ててベンチに座り直すと影も立ち止まる。
小夜はどうしたら彼を引き留められるか懸命に考えた
「…あ、あの…少し…話をしませんか?」
知らない人なのに、自分は何を言っているんだろう…小夜は急に恥ずかしくなり顔を赤く染めて俯いた。
外灯の明かりは、その場に立ち尽くす人物の輪郭だけを浮かび上がらせている。
「…あ、あの…あなたの名前を教えて?」
公園の端から端という余りにも不自然な距離に、小夜は戸惑いを隠せない。
「……………ハジ」
しばらく躊躇うような沈黙のあと、静かに名を告げる。離れているのに彼の声はハッキリと聞き取れた。
「……ハジ…さん?あの…もう少し…近くに…」
声はハッキリと聞き取れるが、手の届かない距離が小夜を焦らせる。
黒い人影は躊躇うようにゆっくり数歩進むと、またそこで立ち尽くす。
外灯の明かりを正面から受け、今度は顔がはっきりとわかるようになった。
整った顔に切れ長の目…その目は、なんとも形容し難い複雑な色を帯びて小夜を見詰める
自分が近くと逃げてしまう黒い影が、自分の呼び掛けに応えてくれる…小夜はこの不思議な青年をもっと知りたいと思った。
公園の真ん中に立つ青年は静かに小夜を見詰めている…そして、小夜もまたその青年を時を忘れて見詰めた
『ったく…あいつらさっきから何やってんだ!』
ギリギリと歯を食いしばったカイが、窓に張り付いてようすを伺っていた。
気になってすでに仕事どころではない。
馴染みの客は気にも留めていないが、娘の恋路にじりじりしている姿が面白く、皆それを肴に酒を飲んでいるのだ。
「おーいオヤジ!チャンプルはいつできるんだぁ?明日か?明後日か?」
「おいおい!野暮はやめろよ!人の恋路に首突っ込むとシーサーに蹴られて地獄に墜ちるってゆーぞー?!」
店内ではゲラゲラと笑い声が上がり、オヤジをからかう野次までが飛ぶ。
宴会は珍しいショーで大盛り上がりだ。
「あーもう!うるせぇなぁ!わぁーってるよ!ちょっと待ってろ!それに、それを言うならシーサーじゃなくて馬だろう!!」
居酒屋のオヤジはせかせかと厨房に取って返した。
昼間の青年が言った『娘は絶対に嫁に出しません!』のセリフが今にも自分の口から飛び出してきそうな男は、唇を真一文字に引き結んだ。
『くそっ!やっぱり引き留めるんじゃなかったぜ!』
カイはやおら包丁を握りキャベツを掴むと、ぶつけ処のない感情をひたすらキャベツにぶつけた。
八つ当たりされた哀れなキャベツはみるみる千切りになって山を作っていく
「…なぁカイ…そのとんでもねぇ量のキャベツは何に使うんだ?」
「うるせぇなぁ!てめぇに食わすんだよ!酒ばっか呑みやがって!少しは食えってんだ!!」
悪態をつき鬼のようにキャベツを刻む悪友を、カキモトは呆れ顔に頬杖を付いて眺めた
「あ。おかわりくれ。」
酔っ払った酒屋のオヤジは、昼間に息子が運んだ酒を胃袋に回収するべく、空になったコップをずいっと店主に差し出した。
「やかましいっ!!てめーでやれっ!!」
ついに店主にあるまじき暴言まで飛び出したが、カキモトは意に介さず自分で泡盛の瓶を掴むと手酌でコップを満たし、それを旨そうに胃袋に回収した。
「…ハジさん」
「…ハジと…お呼びください」
二人は未だ微妙な距離を保ったまま見詰め合っていた。
少女は意を決したように名を呼ぶ…
「あ、あの…ハジ?」
「はい」
呼び掛けに短く答える青年は、まるで命令を待つ召し使いのようだと小夜は不思議に思った
「あ…あの…もっと近くに来て?…ここへ…」
小夜はベンチに座ったまま、空いている自分の隣を掌でトントンと叩き座るように促した
「………ハジ?」
なぜ彼はこんなにも頑ななのだろう…?
動こうとしない青年に、小夜はだんだん悲しくなってきた
「…………おねがい…」
涙を堪え震える声にようやくハジが動いた。
だが、隣には座らず小夜の前に片膝をついた。
「………あ、あの…」
青年はじっと少女を見詰める…そして片手で小夜の手を取るとそっと唇が押し当てられた。
小夜は驚いて手を引くが、指先を捕らえる手が逃がさないとでもいうように、きゅっと力が込められたのが分かった。
指先に何度も唇が触れる…小夜の鼓動は速さをましていく…苦しいくらいに。
その唇や指は体温を感じない…まるで現実味が無いのに、指先を握る力強さと唇が触れた感触だけがはっきりと伝わり、それが現実であることを示していた
「……小夜……笑って…?」
「……え?」
小夜の指先を唇に当てたまま青い瞳が見詰めてくる……小夜は胸の鼓動が、店に居る父にまで聞こえるのではと心配になってきた
「…え?…わら…う?」
言われた言葉に驚くが、急に笑えと言われても無理な話だ。小夜は笑顔ではなく困惑した顔になった。
「…あ、の…どうして?」
「……貴女の笑顔が見たいのです…笑って?」
そうは言っても…小夜の戸惑いはさらに顔を曇らせていく。
その顔をじっと見詰めるハジは、やがて諦めたように握っていた指先をするりと開放した
「…………すみません…」
そう言って彼は切なげに瞼を落とすと立ち上がり、何事もなかったように一歩下がって小夜を見た
「…ハジ?」
「……小夜…どうか自由に……そして笑顔でいてください…私の願いはそれだけです」
それだけを言うと、黒い服に身を包んだ男は踵を返す。
「———あ!ま、待って!!行かないで!!」
思わず伸ばされた手が男の腕を掴み小夜はハッと息を呑んだ。本来あるべきものが通っていない腕……手の中には空っぽの袖が皺を刻む
それでも、小夜は掴んだ袖を離さない。
この手を離したら、彼はまた消えてしまう…
「………小夜…?」
「あ……」
愛しさとも切なさともつかない彼の表情に、小夜はなんと声をかけていいのか分からない…
小夜はただにこりと微笑んだ。この人が自分の笑顔が見たいというのなら…それを叶えてあげたいと思った…
「—————!」
ハジが息を呑むのが分かった。青年はゆっくりと小夜に向き直る。
ぎこちない笑顔に魅入られたように、じっと見詰めると右手がゆっくりと……愛しむように小夜の頬に触れた…
柔らかく暖かな頬…その存在を確かめるように、親指がふっくらと丸い唇を何度もなぞる。
自らの鼓動が大きく聞こえる………小夜は薄青い瞳を見詰めながら自らの手をそっと重ねた。
ハジは、自分の中で必死に押さえていた想いや感情が一気に湧き上がってくるのを感じた
一度でも触れてしまえば……想いを押さえることができなくなる……
……分かっていたはずなのに……その指に…柔らかな頬に…触れてしまった……いや、触れずにはいられなかったのだ。
硬かった決意は、震える瞳で微笑む少女によって、脆くも打ち砕かれていく。
「……………小夜……」
「————あっ」
ハジは何かに突き動かされるように片手で小夜を抱き寄せた。
片腕にも関わらず華奢な体を抑える強い力に、小夜は身動きができない
けれど、何故か抗おうという気持ちにはならなかった。
…その胸が酷く懐かしく感じたから…
小夜は恐る恐る細い両腕を黒尽くめの体に回すと、力を込めて抱きしめた
記憶はないが、この腕をこの胸の鼓動を知っている気がする…小夜は瞼を落とし黒い上着に顔を埋めた
きつく…お互いの体を抱く(いだく)…
やがて体が僅かに離れたかと思うと、端正な白い顔が近づいてくる
突然の出来事に驚き、男の名を呟こうと開かれた唇は、その名を紡ぐ前に塞がれてしまった。
*UP* 10.2.10
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*娘の逢瀬に父の心境は複雑なようです。(笑)