愛しさと切なさの狭間で惑う*7
愛しさと切なさの狭間で惑う*7
茜色だった空はいつの間にか深い藍色に変わり、繊月(せんげつ)がその華奢な姿を現していた。
細すぎる月は周囲を照らすほどの輝きは持たず、暮れ行く天空から横たわる人影を見下ろしている。
「…ん…ん…ふっ……」
木々が立てる葉擦れの音や、交通量が増えた車の走行音に紛れるように、微かに水音が混じっている。
鼻にかかった甘い声音は、少女に伸し掛かる男をさらに夢中にさせた。
熱い口付けは執拗に続き、吐息を零す唇から白い首筋、そしてはだけたシャツの襟元から胸元へと口付けていく。
滑らかな肌を味わうように舌が這うと、腕の中の少女がぴくりと震えた。
「…ん!…ぁ…ぁ…」
華奢な体を抱く力強い腕・・・熱く強く絡み付いてくる舌に、小夜の思考はすでに停止してしまっている。
このまま血を奪われるなら…たとえ自分が死んだとしても構わない…小夜はぎゅっとその体を抱きしめた。
「ーーーくっ!」
苦しげな声が吐息と共に小夜の耳に零れ落ちてきた。
目を開けると、顔を背け眉根を寄せて何かに耐えるハジの顔があった。
「…ハ…ジ…?」
どうしたの?と訪ねようとした唇は、苦しげな息づかいと切なげな瞳によって言葉を発することができなかった。
蒼い瞳は酷く悲しげに小夜を見下ろしている。
眉根を寄せた苦しげな表情は、一瞬で何事もなかったような無表情へと戻り、横たわる扇情的な姿の小夜を助け起こした。
「……すみません…」
視線を合わせることなく発せられた言葉は、甘い余韻を味わうことすら赦さない冷たさを感じた。
小夜は、泣き出してしまいそうな自分を奮い立たせるように唇を噛む。
「お願い…謝ったりしないで…私は…嫌じゃ…なか…ったし…」
ーーもっと触れてほしかった…という言葉はさすがに飲み込んだ。
小夜は熱く火照る頬を隠すように俯くと、乱れたスカートの裾を直した。
ふと…はだけたシャツの胸元…胸の膨らみの上に、一つだけ落とされた薄紅色の“花びら”を見つけた。
小夜は、くすぐったいような気持ちで、それを抱きしめるようにシャツの襟を合わせた。
「……どうして…血を吸ってくれないの?」
シャツの襟元を握りしめ、闇にうっすら浮かぶ小さな花に視線を落として、少女は罪なことを問うた。
ピクリと微かに動揺が走ったが、ハジは言葉を発することなく、少女の横顔を見つめる。
ーーー確かに自分は餓えている。その自覚はある。ーーだが・・・
シュヴァリエになってから、殆ど血を口にしてこなかったハジは、血を乞う衝動には慣れていた。
この乾きは・・・小夜への思慕・・・肌に触れてその想いは一層強くなったのだ。
血などよりも・・・ただ、小夜が欲しかった・・・
昂る体…それを悟られないように、ハジは拳を握りしめた。
小夜は、ゆらゆらと風に揺れる花に話しかける。
「……私の血が……必要なんでしょ?…いくらだって…あげるよ…」
髪が風に舞い、首筋が露になる。柔らかな肌の感触を思い出す。
「…いえ、必要ありません」
「!!どうして?!このままじゃ死んじゃーーっ!!」
勢いよく振り仰いだそこには、ハジの悲しげな顔があった。
あまりに近くにあったその顔に、小夜は思わず言葉を詰まらせてしまった。
頬を赤らめた小夜をそっと片腕で抱きしめると、胸に愛しさが込み上げてくる・・・
熱をもった耳に唇を寄せると、その体を離し、問いかけてくる大きな瞳を覗き込んだ。
「…小夜…お気持ちは嬉しいのですが、今の小夜では私の糧にはなりません」
「……どういう…意味?」
震える唇が愛おしい…ハジは困ったように微笑みを浮かべた。
「小夜は貧血の治療をしているのでしょう?そんなに薄い血液では…私は満たされません…」
おまけにサボっているそうですね?…ハジは大げさに溜め息を付き、あり得ないというように首を振った。
「…う…」
小夜は、痛いところをつかれ黙り込んでしまった。
苦笑を浮かべた青年は、愛しい少女の顔を覗き込む。
「まずは、しっかり治療を受けて下さい。食事もゆで卵ばかり食べずに、バランスよくきちんと採らなくては」
「・・・・・はい」
どうしてそんなこまで知っているんだろう?と思いつつ、彼のためになるのならと素直に頷いた。
艶やかな髪に唇を寄せる。
「さぁカイも心配しているでしょう、診療所へお送りします。小夜、私に捕まってください」
「……え?……こ、こう?ーーーきゃあ!!」
小夜がおずおずと首に腕を回したのを確認すると、ハジは片手でその体を抱き上げた。
『しっかり捕まってて下さい』それだけ言って、黒い翼を広げて繊月浮かぶ空へ舞い上がった。
地上がぐんぐん遠のく。
始めのうちは、恐ろしさに震えていた小夜だったが、以前もこうやって空を飛んだような気がした。
頬に当たる風も、思ったほど不快ではない…
薄く目を開ければ、眼下に広がる夜景。
「…わたし…前もこうやって…飛んだ?」
「……ええ…一度だけ…」
「……そう…なんだ…」
彼の背で風を孕む漆黒の翼は・・・もう恐ろしくはなかった。
二人とも言葉もなく、暖かな風を受けながら星が瞬く夜空を飛ぶ
小夜は密着できるのが嬉しくて、これ幸いとハジにしがみついて頬をすり寄せた。
「……怖いですか?」
「……ううん……平気…」
強くしがみついてくる小夜の体、その柔らかな感触が心地いい…
片腕しかないハジは、落とさない自信はあるが、小夜を怖がらせないように抱く腕に力を込めた。
診療所までは、バスで20分。
空を飛べばあっという間だった。
もっと遠ければいいのに・・・小夜は残念そうに、小さな溜め息をついた。
人目を避けて、街灯の切れている場所へ音もなく降り立つ。
「さあ、行って下さい。…皆さんが心配しています…」
「…ハジは?一緒に行かないの?」
からっぽの袖を掴み、甘えるように見上げてくる小夜の白い頬に唇を落とす。
顔を上げたハジは、照れたような微笑みを浮かべていた。
「…小夜が、すっかり治療を終えたら迎えにきます。」
「…どういう…こと?」
背の高い青年は、優しく少女の髪を撫でている…柔らかな微笑みを浮かべて…
「先生に、もう大丈夫と言われるまで…ちゃんと治療に専念できますね?」
コツンと額を合わせると、小夜の頬が染まった…
「うん…もうサボったりしない…約束する!!」
約束ですよ…静かにそう言うと、ふっくらと丸い唇に何度もキスをした…
すがりつくようにお互いの体を抱く・・・
名残りを惜しむように唇が離れると、うっとりと瞳を潤ませる小夜が見上げている…
ずっとずっと…いつまでもこうして小夜を抱いていたい…
そんな切ない想いを胸に、小夜の肩をつかんで診療所の方へ向かせた。
「・・・いってらっしゃい・・・小夜・・・」
「いってきます!!絶対に迎えにきてね!!」
元気に駆けていく後ろ姿を、ハジは切なげに見送った。
・・・小夜・・・
小夜の治療が終わることはない。
終わるのは・・・小夜が眠りにつく時・・・
・・・愛しています・・・
目を閉じて小夜の笑顔を瞼に焼き付けた。
「・・・気は済んだ?」
少女が立ち去っても、その場を動こうとしないハジに、背後から声がかけられた。
*UP* 10.5.8
+ Short novel + Top +
壁紙は【Miracle Page】様からお借りしました
いよいよ次回で最終回。
の、予定。
(ホントに終わるのか?