愛しさと切なさの狭間で惑う*8

 

「小夜!お前いままでどこにいたんだ!心配したんだぞ!!」


病院名が書かれたガラスのドアをそっと押し開け、小夜がこっそり中に入ると、そこには怒った父と困惑顔の医師が待ち構えていた。

時間になっても小夜が現れないと、ドクターから連絡入り、店にカキモト一人を残して駆けつけたのだ。


鬼のような形相で覗き込む父に、少女は思わず首をすくめた。


…ご、ごめんなさい…あの…途中で貧血起こして…」

「貧血?!おまえなぁ!だからあれほどサボるなって言ってるじゃないか!」

「あの…えっと…ご、ごめんなさ……」


もごもごと言い訳をする小夜の顔色は、やはり優れない。唇も白くなっている。

一刻も早く輸血しなくては…ドクターは二人の間に割り込むと、怒り心頭な男に微笑んだ。


「カイ、お説教は後でお願いします。まずは治療が先です。」

「・・・う・・・そ、そうだな・・・すまん・・・」


我に返ったカイは、しょんぼりと項垂れた小夜が、医師と共に処置室へ入って行くのを黙って見送った。





白で統一された処置室は、ピリリとした消毒の匂いが立ちこめている。

それほど広くない部屋には、様々な資料や血圧計などが几帳面に整理されてるデスクと書棚と丸い椅子が一つ。

生成りのカーテンの奥には、海が見える窓と診察台が一つあった。



そこは、いつも小夜が輸血を行う場所。

小夜はスリッパを脱ぐと、診察台へ横になった。横になるとすぐにドクターが大きいタオルを膝に掛けてくれた。



天井がぐらぐら揺れる・・・目眩と気怠さに胃液が逆流しそうになる。

小夜は、ぎゅっと目を閉じることで、それに堪えていた。


そんな小夜の状態を知ってか、ドクターによる処置は実に手際よく進められる。


銀色のトレイには血液の入ったバッグが二つの他、輸血に必要な道具がすべて揃っていた。

形のいい手にシリコン製の手袋をはめると、少女の白く細い腕に消毒を施した。

ヒンヤリとした感触が残る腕の頼りなげな血管に、長い針が差し込まれる。

痛みとともに入り込んでくる冷たい異物感に、小夜は思わず眉をひそめた。


深く差し込むと、テープで針とチューブを固定した。

赤い液体が小夜の体内へと流れ始めると、小夜は深く息を吐いた


…サヤ、気分は?」

…平気です」


優しげな笑みを浮かべたドクターは、 点滴のスピードを慎重に調節すると、 少し眠りなさい。そう言ってカーテンを引いてくれた。


船酔いのような気分の悪さが、次第に癒されていくのが分かる。

少しずつ重かった体に力が戻り、冷たかった指先が徐々に暖まって行く。


アルミ製の点滴スタンドには、たっぷりと血液の入った輸血バッグがぶら下がっている。

一定の速度でポタポタと落ちる赤い雫を眺めながら、小夜はハジの話を思い出していた。


「・・・・・・吸血鬼・・・か」


自分が輸血を受けているのは知っている。貧血症の治療で輸血するのだと、ドクターが言っていた。

これだけの輸血を受けている自分の方が吸血鬼のようだと、小夜はクスッと笑った。


「小夜、ちょっといいか?」


生成りのカーテンの向こう側から、カイが声を掛けてきた。


「お父さん?いいよ」


カーテンを少しだけ開けて、心配顔の父が顔を出した。


「小夜・・・大丈夫か?」

「・・・うん、心配かけてごめんなさい」

「・・・いや・・・」


店を放り出してまで駆けつけてくれた父に、小夜はしょんぼりと目を閉じた。

カイは傍らの丸い椅子を引き寄せると、疲れたようにどっかりと腰掛けた。


壁際のデスクでは長い金髪を結わえたドクターが、こちらに背を向けて仕事をしていた。

静かな病室には、ドクターの使うボールペンが、軽やかに紙の上を走る音だけがする。



妙な沈黙はしばらく続いた。



「・・・お父さん?」


神妙な顔をしたカイは、何から聞き出したものかと黙り込んでいた。



入ってきた時からずっと気になっているのは、明らかに引き裂いた後があるシャツだ。

千切れたボタンの跡が、嫌な事を連想させる。

『アイツに限って、小夜に乱暴なことはしないだろうけど・・・』そんな躊躇いがカイの口を重くしているのだ。


「お父さん?どうしたの?」


長い沈黙に耐えかねて、小夜が口を開いた。

どうせお説教されるのなら、ドクターの助け舟が入る今のうちがいい…と密かに考えていた。


「ああ、うん・・・とりあえずさ、何があったのか話してくれないか?」


カイは絞り出すように口を開いた。

横たわる娘は、落ち着いてはいるようだが、顔色はまだ青い。


「・・・ハジに会ったの・・・っていうか、貧血で倒れたのを助けてくれて・・・」

「・・・アイツとどんな話をしたんだ?」


小夜は、ハジが言った事をすべて話すべきだろうか…と、黙り込んでしまった。


信じてくれるだろうか・・・?小夜のためらいは長い沈黙となった。


やがて、意を決したように傍らのカイを見上げると、ぽつりと話し始めた。


いつの間にかボールペンの音が止まっている。


「・・・ハジがすべて話してくれた・・・」

「・・・すべて?」


あれだけ小夜を気遣っていたのに?カイは訝しむように眉を寄せた。


「・・・うん・・・ハジは吸血鬼なんでしょ?それで・・・私が彼の・・・獲物」

「ーーーーえっ!」


躊躇いがちな小夜とは対照的に、カイとドクターが同時に声を上げる。

ドクターの握っていたペンが、カルテの上に転がった。

二人の意外な反応に驚いた小夜は、固まってしまった父とドクターを不思議そうに見比べた。


「どうしたの?」

「・・・い、いや・・・」


ーーアイツ、なんだってそんなデタラメを?カイはさらに訳が分からないといった風に頭を掻いた。

とにかく話をすべて聞かなくてはと、丸椅子に座り直した。


「すまん。続けてくれ。」


小夜は、ついさっき聞いた話を二人に話して聞かせた。



聞き終わった二人は、意味ありげな視線を交わし、黙り込んでしまった。

カイは、ハジが小夜の忌まわしい記憶ごと、過去を消そうとしているのだと理解した。

そこで初めて、ハジが頑だった事にも理解が及んだのだ。


カイの口から、重苦しい溜め息が漏れたとき、沈黙を破ったのはドクターだった。


「・・・では、きちんと治療に通って早く治さなくてはいけませんね」


ジュリアに面差しが似たドクターは、優しく微笑むと、何事もなかったように背を向けてカルテにペンを走らせた。


「そ、そうだな!栄養のあるもん、いっぱい作るからな!早く治そうな!」

「うん」


カイもまた、甘やかすようにそう言った。

小夜は嬉しそうに微笑むと、ふと奇妙な顔つきになった。


「・・・?」


「小夜?どうした?」


小夜の顔がみるみる青ざめて行く。


点滴に繋がれたまま、処置台の上に勢いよく起き上がった。


…あ…あ…な…なに…?」

「小夜?」


真っ青になって片手で耳を塞ぐ。頭の中に声が入り込んでくる。





・・・さや・・・さ・・・や・・・





「頭の…中に…声が………ハジの声がするの…」


「声?ーーお、おい!小夜!!」



頭に直接響いてくる声…どこか苦しそうなその声は、まさしくハジの声だった。

何故か、ついさっき見た切なげな微笑みが脳裏に浮かぶ。


まさか、彼に何かあったのではーー小夜がベッドから飛び降りると、腕を繋いでいるチューブが引っ張られ、勢い良くスタンドが倒れた。



「サヤ!まだ動いてはいけない!」

「ーーー痛っ!!」


ドクターが慌てて肩を抱きとめる腕を振り払うと、弾みで点滴の針が血管を突き破った。

そでも少女は駆け出そうとする。細い腕は内出血を起こして見る間に青黒くなっていく。


「お、おい!!小夜!!」

「離して!私、行かなきゃ!!」


小夜は腕に繋がっている点滴の針を引き抜くと、その行く手を二人の男が立ちふさがる。


「お、おい!小夜、行くってどこへ?!落ち着け!!小夜!!」

「いや!!ハジが!!ハジが呼んでるの!!離して!!」


落ち着かせようと細い腕を掴むも、小夜は勢いよく腕を振り払って外へ飛び出して行った。



「小夜ーー!!!」





***











「・・・気は済んだ?」


背後から掛けられた声にも、長身の男は振り向きもしない…ただじっと、暖かな光を零す建物を見詰めていた。


「・・・小夜・・・」


男の薄蒼い瞳は、ただ一人の少女を想う・・・

ついさっきまで抱いていた体の感触が腕に残り、溢れる愛しさに胸が締め付けられる・・・


「そぉんなに恋しいなら傍に居ればいいでしょ?もともとアンタの主なんだし、なに遠慮してんのよぉ?」


茶化すような言葉は、その耳に届いているのかいないのか、ハジは背を向けたまま何も答えない。

どこへ行こうとも、心はいつまでも小夜と共にある・・・小夜が笑顔でいられるなら・・・


「ねぇ〜聞いてんのぉ?ハ〜ジ〜?」


なよなよした動きでハジにまとわりついてくる金髪の男。


「・・・ネイサン・・・」


大きなごつい手に腰の辺りをねっとりと撫でられて、ハジは呆れたような目つきでようやく金髪の男を見た。


「・・・何か御用ですか?」

「うふぅんvようやくアタシの方を見たわねv イ・ロ・オ・ト・コv」


うきうきとした顔とは対照的に、うんざりと溜め息を吐くと、再び診療所の方へと視線を戻す。

少女の気配を愛おしむような瞳は、愛しさと切なさの両方を色濃く滲ませて


「んもう!相変わらずツレナイわねぇvま、そんなところがいいんだけどv ね?吸血鬼さんv」


楽しげに片目を瞑りハジの顔を覗き込むと、ハッと目を見開いた顔を満足そうに眺めた。

げんなりと肩を落とし、深い溜め息をつくと、この男が気配を消すのが得意だった事を思い出した。


「・・・・・・・いつから見ていたんですか?」


うんざりしたように、ど派手なシャツとあり得ない色の細いパンツ姿の男を睨んだ。


「あらやだ!大して見てないわ!ワタシも野暮じゃないしvアンタが人気のないトコロに小夜を連れ込んで、嘘八百を並べ立ててるとこくらいよ?!ああもちろん、押し倒してキスしまくってたトコなんて、ぜーんぜん見てないから安心してv」


金髪の男は両手で頬を包み、くねくねと身を踊らせるのを見て、ハジはさらにうんざりとした表情になった。

ーー殆ど見ていたんじゃないかーー


「それにしても・・・」


口元は相変わらずにやけているくせに、急に威圧的な目線をハジに向けた。

向けられたハジもまた、相変わらず表情を隠してその男を見返す。


「なんで押し倒しておいて止めちゃうわけぇ?あーゆー場合って普通ヤッちゃうでしょ?!」


「・・・・・・(何が普通なんだ?)」


予想外の言葉に虚を突かれ、ハジは言葉が出てこない。

ネイサンは青年の肩に腕を回し、さらにすり寄ってくる。

整った爪がハジの顎をゆっくりと伝い、不機嫌そうに引き結ばれている薄い唇を撫でた。


「ねぇなんで抱かなかったの?小夜が主だから?それとも、ただ我慢強いの?」

「・・・ネイサン・・・離れてくれませんか?」


ぴったりと体を密着されて居心地が悪い。特に腰を擦り付けてくるのには閉口した。


「・・・ねえハジ?・・・死を受け入れるって・・・それ、本気?」

「・・・・・・・」


答える気はさらさらなかった。

ただ、残された時間を、小夜を見守る事にだけ費やしたかったから・・・



小さな建物に視線を注ぐハジの沈黙を、正しく肯定と受け取ったネイサンは、黒いスーツの背を撫でながらその横顔をとっくりと眺めた。


「ふぅん・・・じゃあ、ワタシが手伝ってあげましょうか?」

「・・・何をですか?」


表情をほとんど変えない青年が、嫌そうに眉根を寄せた。

どうせろくな事ではないだろうと、ハジが顔を背けた刹那ーーー





ドンッ!!





背中を撫でていた手が離れたと思う間もなく、体に強い衝撃を受けた。

何が起きたのか理解する前にに凄まじい痛みが襲う。


「あ・・・ぐ・・・ぅ・・・」


痛みの走る場所に目を向けると、黒いスーツの腹部から血塗られた腕が突き出していた。

ネイサンの腕がハジの背後から腹を貫いていたのだ。


「ーーーうぐっ!・・・ネイ・・サ・・・な・・・・にを・・・」


ずるりと耳障りな音を立てて腕が引き抜かれると、夥しい量の血が、昼間の熱を残すアスファルトにみるみる広がって行く。


ハジは腹と口から大量の血を流し、苦しげに膝から崩れ落ちた


「死ぬのを待つ?そんなの面倒臭いわ。ワタシが今すぐ殺してあげるv」


口調はいつもと変わらないのに、威圧的な態度のまま、腕を降って滴る血を払った。


「ーーーーーくっ!」


今のハジに治癒能力は殆ど残っていない。即死とは行かないものの、これだけの血液を失えば死の気配はすぐそこだ。急激に意識が薄れて、ネイサンの氷のような表情が霞んでいくーーー


「シュヴァリエである事を放棄して、人間のように死にたいですって?ふざけた事言ってんじゃねぇよ。」


…うっーーぐふっ!かはっ・・・ぁ」


どす黒い血が口から吐き出され、意識が朦朧とする・・・

腹からは止めどなく血液が溢れ出し、血溜りはさらに大きく広がって行く。

その場を逃れようと這いずるハジの空っぽの左袖を、血で汚れるのも気にせず白い革靴が踏みつけた。


「あ〜らぁ?死にたいんじゃなかったの?せ〜っかく殺して上げるって言ってるのにぃ」


「・・・うっ・・・ぐっ・・・」


白い革靴で袖を地面に縫い付けられているハジは、それ以上逃れる事もできず苦しげな息を吐く。

息を吐く度に、血が飛び散る。肺も傷ついているようだ。


苦しげな声を上げて這い蹲るその様を、赤い瞳が見下ろしている。

感情さえも凍ってしまったかのような、氷の視線。。。



「もしかして、死ぬのが急に怖くなったのぉ?い〜のよ?正直に言ってごらん?助けてあげるから・・・」

「・・・・・」


苦しげに見上げるハジを、男は軽蔑するように言い捨てる。

助ける気など、微塵も感じられない。


感じるのは、肌がビリビリするほどの、






強い殺気。






「ただ殺すなんて芸がないわねv そうだ!ハンサムなアナタに似合う、芸術的な死体にしてあげるぅv」


そう言うと、血塗られた右手が鋭利な鎌に変形した。

赤く光る瞳が愉し気に細められる。


「・・・・・・・くっ」

「ハジ?最後に言い残す事はあって?」


死神が使う鎌のような腕が、くつくつと笑う男の頭上へとゆっくり持ち上がる。

ハジは、苦しげな息を吐きながら、死とはこんなにもあっけないものだったろうか…と考えていた。





脳裏に浮かぶのは、愛しい少女の涙・・・






『・・・小夜・・・・・・わら・・・って・・・』





死神の鎌はとどめを刺すべくその喉を狙い、男の命はここで終わろうとしていた。








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