かわうその生態 part2

ぼちぼちおもたくなってくる頃やし、part2です。



感激スピーチ 12/21

  今日は朝から、マーケティングゼミの修論前の最終報告に出席。厳しいつっこみを受けてはるのを見ると、場所は違えど明日は我が身じゃぁという感じだ。聞いてると、今からどないせいっちゅうねん!みたいな質問もあったけど、まあ、何とかしのいでいかはるのでしょう。
  そして晩は忘年会。よそ者こーのも厚かましくおじゃまする。先生も酒が入るにつれて、さっぱりとした下ネタ(どんなんや)もはいり、さらに1998年のマーケティングゼミを振り返るというM1によるハイテクビジュアルコントも披露され、爆笑の忘年会であった。
  さて、こういう場では教授が一言話すわけであるが、何かじーんとくるものがあったので書かせて欲しい。
  ・・・・私はちょこちょこ調査で海外へ出かけたりするわけなんですが、それ以外は家と学校の往復でね。だいたい11時くらいまでは研究室でやっとるんですが。そうしましたら○さん(ゼミ生)が私に質問するんですよ。「先生、奥様は寂しがらないんですか」、と。まあ、私はいつも学校にいると妻はわかっているし、心配はしない。家にいても部屋にこもって研究するわけで、別にその距離が少し遠くなるだけでそんなに変わらないし、まぁ妻と私とは心ではしっかりとつながってるからね。(ひゅー)
  と、それはさておき、私は夜遅くになっても院生の研究室の部屋の明かりがついてるのを見る、ということがたいへんに励みになるのです。それを見て、よしやったろうという気になるのです。私は研究をするのが楽しいし、そして何より、皆さんのようなチャーミングな、男の子もですよ、そういう学生に囲まれて、休憩の時間にはお茶を飲みながら、また食事をしながら、学生といろいろと議論ができる。それが楽しみで楽しみで、学校へ来ているんです。学生にはブランドのことも教えてもらったし、(流通)チャネルのことについても教えてもらったし、よその国のことも教えてもらったし、その他にも皆さんにはずいぶんといろいろなことを教えてもらいました。こんなに楽しいことはないです。だから、家と学校との単調な往復でも、たいへんに幸せなのです。早く起きて学校へ行きたいという気になるんです。・・・・
  おお、先生なんてことを言ってくれるんだ。そしてここのゼミの人たちは、昼間にあんなに厳しい議論をしつつも、本当に幸せに研究をやっておられるのだなぁ、とついつい羨ましくなってしまった。こんなところで商業の研究がやれたらなぁ、なんて仮定法の世界に没入してしまうこーの。
  いかに楽しく研究をやるか。ただ楽しいだけが楽しいのではなく。来年の修士論文執筆に向けて、自分にもそういう課題を与えながらやっていきたいものである。

身の上を考える 12/12

  ずいぶんとこの部屋も重たくなってきたな。
  さて、今日も一日が終わりつつある。今朝は立命館の院生が本のコピーをしにやって来るというので、週末にも関わらず早起きだ。その彼は自然地理系の人らしいが、いろいろと話が弾む。やはり同年代の院生は貴重だ。その彼、600ページ以上もある本を丸ごとコピーして行かれた。おつかれさまである。
  昼は合唱の練習に顔を出し、それは一時間ほどで抜け出して、今度は人環で行われていた日本商業学会の例会にも顔を出す。ミーハーこーのとしては、「流通革命」なる本で有名な林周二氏の話を聞きに行くのが目的である。休憩時間にはサービスでお茶とケーキが出たのだが、商業学会では話す相手もおらず、ケーキはやめにした。部屋に残って一人で論文を読む。よその学会に行くとはこんなにも寂しいものなのか。せめて面識のある京大のマーケティングゼミの人たちと話せばよかったな。

  さて、その林周二先生のお話であるが、題名が「私のこれからやってみたい研究テーマ」。レジュメの見出しには「私の報告内容の趣旨」のほかに、「私のこれまでの研究人生の方針あるいは信条」、「私の所属機関とそこで担当してきた科目」、「私の著作物」、「私のこれからやってみたい研究テーマ」と並び、さらに現在執筆中の本の目次が載せられている。これだけ見ると、なんじゃそら、というのが率直な印象であるが、話にはそれなりに考えさせられて帰ってきた。
  一点目は、主に若い研究者に向けてのメッセージ。他の研究者が争ってやりたがるようなテーマを避け、誰もやっていないテーマを追っていくことをやるのがよい、みんながやっていることをやるのは、相当自分に自信がある人だけがやった方がよいという。そうすれば自分のペースで、おもしろいと思える研究を、無理な競争なく楽しみつつ行うことができるということである。
  何とも少し弱気な印象もあるが、できるだけ長く、良い研究をやっていくにはこうした姿勢も大事であろう。そうすると次に問題となるのは、研究者としての資質を問うという点である。みんなが挙って取り組むような研究をやるには研究者として抜きん出た能力が必要だからだという。耳の痛いことに、林先生が面倒を見ていた院生の中で、不幸にも大学院に来てしまったと思われる人、単刀直入に言えば研究者としての資質がないと思われる人がほとんどであるという。そういう人はむしろ、他にもっと向いているであろう仕事に一年や二年かけてでも移った方がより幸せな一生が遅れるはずだ、というのが先生の主張である。それでも、先生自身がそうであったというのだが、自分にあまり能力がないと判断したら、先ほどのように、誰もやっていない研究テーマに手をつけるということをすればいいということになる。
  二点目は、以下に長く研究をやるかという点について、老後の研究についてであった。
  日本の大学が欧米の大学と比べて良くないところが二つある。一つは学生が勉強しないこと。もう一つは高齢になった研究者が研究をしないことである。という、最近出た中央公論での指摘を話の枕に 話が進められた。
  こちらは、高齢でもがんばらなあかんという点に加えて、高齢であることを活かしてということをおっしゃっていた。つまり、例として上げられた、戦後の組織についての研究は聞き取りが中心となるが、やはり人脈やネタなどの点で自信の立場を有効に活かせるということである。そして、聞き取り相手が生きているうちに調べないといけないという。

  そのようなことを、自信の取り組んできたテーマや、今後のテーマ(「業界団体」=だれもやってない・「戦後初期のマーケティング組織」=聞き取りする際に高齢が有利)をあげながら話をされた。どちらにも共通することに、時間との戦いでもあるから、時間内にできる研究をやろうということである。つまり、院生ならば、短期間のうちに数々の成果を発表しなくてはならないし、高齢研究者ならば、余命が問題になる。そういうことを考慮に入れて適切な研究をやろうという主張をなされていた。加えて、これからは英語で海外に発表すべしという点もしっかりと...
  結局、流通のお話をききに行ったつもりだったが、研究姿勢についてのお話をいただいてくることになった。大御所クラスになると話もうまく、聞いている方も退屈しなくて良い。まあ口がうまいという点もあるが。
  そうそう、能力を見極めるというお話でひとつ。子どもの能力を見極めて、適切な方向へ導いてやるのも親のつとめではないか。なるほど、覚えておこう。


矢作弘氏講演会 11/12

 久しぶりの日記である。この間何をしていたかと思い返せば,10月中は大学院ゼミの発表の準備に追われていたような。そして,今はというと,うーん,あまり生活に変わり映えはしないな。今日は因子研究会に続いて,二つ目の研究会が発足し,泉谷氏が頑張ってくれたおかげでいいスタートが切れた。そしてこの発表に続いて大阪は本町まで,講演を聞きに行く。日の迫った学会発表の準備が整っていないものの,思案の末に決心し,京阪電車に乗り込んだ。似たようなビルがたくさん建っているなか,会場となるビルを探すのには一苦労である。
 さて今日聞いたのは,日本経済新聞編集委員の矢作弘氏による「中心商店街の空洞化と大店法後」という講演である。その中で興味深かった部分を書いてみたい。

・都市計画法の網の目をくぐって,市街化調整区域でも開発が行われるため,改正都市計画法が無秩序な大型店進出の歯止めにはならない。たとえば,市街地調整区域でも既存宅地については,新たに構造物を建造することが可能である。それゆえ,廃屋となったもと牛舎の敷地に店舗を建設し,周囲の農地を青空駐車場(構造物でない)にするという手段で,調整区域の農地に大型店が出店するというケースが見られる。別のケースでは,3000uで規制されている地域に6000uほどの店舗が立地するケースがあるが,これは3000u以下の店舗を別々に二つ建設するという手段がとられているケースである。このように,日本の規制は非常に目が粗いといえる。
・日本は建築の原則が自由であり,禁止されていない地区には何をたててもよいという発想である。ヨーロッパでは逆であり,建築が許されている地区以外は建築不可能なのである。さらにヨーロッパとの比較でいえば,ヨーロッパの方がスプロールを予防していこうという風潮である。
・郊外大型店の出店ラッシュによって広域商店街から近隣商店街への転換を図る自治体まで登場しているが,このような後世までのこる街の再生はサステイナブルであるのかどうか疑わしい。
・中央の製造・流通業者との取引関係を維持した中央資本の地方進出により,地方の製造業者,流通業者は縮小傾向にあり,地方経済への影響が深刻である。一番極端なのはコンビニである。新たに出店した地域で契約する弁当業者には,新たなメニューを提示されるために新たな投資が必要である。(注:コンビニの成長を考えれば弁当業者の生産・売上の多くがコンビニ業者との契約となる→買い手独占。そして,この弁当業者の命運はコンビニ業者が握ることになる。)また,米からその他の材料,パッケージに至るまで,コンビニ企業指定のものを使用するように指導されるために,それまで契約していた地方の中小業者は取引先を失うことになる。
・市町村による大型店の誘致には,固定資産税の増収を見込んで調整区域を変更するといういわゆる財政ゾーニングが絡む場合がある。これは,大型店周辺の地価上昇をもたらす一方,それ以外の中心地区の地価の大幅な下落を引き起こすなどの影響もでる。この場合には周辺市町村へも悪影響を及ぼす。また,誘致時におけるインフラの整備や,環境面への悪影響を考えれば,財政ゾーニングが当該自治体にとってプラスであるのか,マイナスであるのかはわからない。さらに,地域の物流・製造業者へのダメージが予想されるし,それにともなって雇用面にも影響が出るだろう。このような中長期的な問題についてはあまり考えられずに,開発が進んでいるのが現状である。
・努力を怠る商店が大型店の魅力に負けるということで考えれば,個々の商店はマーケットの原理に従って淘汰されていってよい。しかし,商店街の空き店舗問題は,空き店舗の発生よりもむしろ,空いたところに他が入れないことに問題がある。それが社会的な問題なのである。つまり,都市の機能はマーケットの原理に任せていては保全できないのである。
・近年では,市がその多くを出資するまちづくり会社によって,中心地に大型店舗を誘致し,中心地域の中心性を高めようとする試みが見られる。
・現段階では,自治体間で政策を展開する広域行政に可能性が感じられる。しかし,大型店の進出問題にまで関与できるかといえば,財源放棄等の問題が絡むため,すぐには実現しないだろうという見通しである。
・大型店を利用しないという消費者の傾向も見られる。なぜならば,大型店に入っている店舗はどこも似たり寄ったりだからであり,個性が薄い。そのため,独創性の強い商品を扱う店舗が商店街の中に数店あれば,集客力は大幅に上がるのである。また,和菓子屋など,加工部分をバックヤードに持っているものは強みを持っていると思われる。本当においしい和菓子を食べたければ,スーパーなどには行かないのである。このような付加価値を求めていくのも商店街復興の道の一つであろう。

 この考え方にはまた反論も可能であろうが,一応だいたいの筋が通っていると思われる。氏は日本のあちこちに取材に行っているとあって,事例が豊富である。知っている人の顔は見かけなかったが,聞くところによると建築系の人や,自治体の人が来ていたようだ。この人は,たまたま本を読んでいたので知っていたのだが,ミーハーこーのもさすがにサインをもらう勇気はなかったのだった。

  長くなっちゃったなこりゃ。新しいページを作ろう。


京都商工会議所に潜入 10/5

  今日は初めて京都の商工会議所に足を踏み入れた。なんかええデータがころがってへんかな〜、なんて思いながらいったのだが、図書室には細かいネタがたくさん転がっていた。雑誌とかも細かすぎて、ちょっとノイローゼになりそう。資料類は充実しており(少なくとも、普段資料に恵まれない私にはそのように見えた)、わざわざ数千円出して取り寄せてよその図書館から借りた通信販売年鑑(実はあまり使えなかった)もおいてあった。卒論書くときから知っておきたかったな。
  ただねえ、それだけあっても、コピーが高いんだなあ、これが。一枚50円なんてちょっと尋常じゃない。結局、ただで帰るのも癪なので、無料の冊子と(びんぼーくさい)、後輩のための資料をちょこっとコピーし、地元商店街のなんかよくわからん報告書を一冊買って帰ってきただけだ。そして近所で美味いと評判の、白味噌ラーメンすすってかえってきた。
  なんかたくさんありそうであまりなかったという印象なのだが、それも研究の方向が見えてないからだろう。暇な時間をつぶすには、もってこいの場所であった。

良平、パパになる 10/4

  良平はいきなり父親になった。しかも、一男一女の父親である。
  叔父から電話がかかってきたのは3・4日前。叔父の住む地区の、学区民運動会に出る人数が足りないというので、良平は急遽、召集されたのだった。なんでも、昨年は町内が優勝したとかで、今年も優勝しようという盛り上がりだという。発表が近づき、合唱の練習もあったため、首をタテに振るのは少々ためらわれたが、それでも参加することにした。
  わたしは、障害走や大縄跳びに参加したあと、親子リレーの父親役として走ることになったのだ。しかも、小学校3年生の女の子の父親、小学校6年生の父親として二回。まあ、こんなに若いお父様なのだから(12歳の時に第一児?)、ほかのお父様方に負けるわけがない。と、思っていたら、やはり助っ人パパは他にもいらっしゃったようだ。
  この小学校区は、比較的小さな学区ではあるが、運動会は盛大に行われた。種目も毎年恒例のものに加えて趣向を凝らしたものもあって、体育振興会の役員の方々にはたいへんな準備であったと思われる。
  叔父の住む町内からは中高生の参加は少なかったが、各世代が競技に参加した。全世帯の人数から考えると、かなり多くの人がやってきている印象を受ける。もちろん来ない人もいるのだが、どうやらうちの住んでいるところよりも近所のつながり、そして町内のまとまりは強そうに思った。新しくやってくる人もいるが、こういう学区民運動会とか、地蔵盆の時に顔を合わせて、どんどんと地域になじんでいっているようだ。もちろん、こうした集まりの良さの背景には、町内でリーダーシップをとることのできる人間の存在は大きいようで、世話役がしっかりしているところ方が集まりがよく、盛り上がりを見せていた。
  さて、親子リレーの結果としては、娘、息子ともに一等賞の景品をもらうことができた。その代わりに、わたしは筋肉痛をいただいてきた。もう少し走りたい気分もあったが、またそんな機会もあるだろう。しかし、スポーツで自分が活躍できる場は、歳をとるに連れて、クラブからサークルへ、そして研究室、ついには若さを武器にして地域でということになってきている。少なくともこの地域のレベルだけは、ぜひとも維持したいものだ。
  昨日の話に戻すと、運動会の終了後は打ち上げが居酒屋で行われたが、これももう十年ほど続いている習慣だという。それにまた驚かされた。わたしはすっかり町会費のごやっかいになってしまった。久々のスポーツのあとのビールはやはり美味しい。町内の話にも退屈せず、いろいろな人とお話しする機会を持ち、またも楽しい時間を過ごさせてもらった。
  研究室の人には、日焼けのあとを見られたくないな。ちなみに、一言付け加えておくと、昨日の昼飯は、結局王将の餃子であった。

Beautiful Saturday 10/3

  今朝は起きたところ、どうも頭が重い。やはり飲み過ぎたらしい。昨日の晩は研究室の先輩方と飲みに行く機会を得たのだった。久々の飲みは、料理・お酒ともに美味しく、さらにたまっていた鬱憤を晴らすかのように話しまくった。今の私に必要だったのは、ああいう時間だったのだろう。とにかくつきあって下さった先輩方にはひたすら感謝である。ただ、帰宅後も冷蔵庫をあさっては、くいくいと日本酒を飲み干してしまい、それが頭痛につながっているようだ。
  しかし今日はまったく、年に一度あるかないかというほど、穏やかないい天気であった。遅起きにもかかわらず、二日酔いにもかかわらず、気分良く過ごせたのは、ひとえにこの天気のおかげである。久々にハーブ園に水をやり、自転車で学校へ繰り出す。それにしても、自転車だとたくさんの発見があるものだ。今日嬉しかったことの一つは、懐かしい人を見かけたことである。それも思えば中学生の頃、ひそかに想いを寄せていたひとである。九年くらい見ていないうちに、頭にあったイメージとはずいぶん雰囲気も変わり、すっかりおねえさんになっていた。甘酸っぱい思い出。
  学校へ着いて本を開けるも、眠気がいつもより早くおそってくる。いつの間にか研究室は一人になってしまった。時計も四時を回っている。ふだんと変わらない、味気ない部屋にいる間にも、この美しい日は、もはや過ぎ去って行くなあなんて思っているうちに、外へ出ようという決心をしていた。こんな日はカフェで本でも読もう。連れていった本は「マーケティング地理学」なんぞいうちょっと陰気くさい本だったが、道中の鴨川の景色もよし、カフェのケーキも旨しであった。一人でタルトタタンセット、なーんておれらしくない。おれには王将の餃子定食の方が百倍似合っているのに。でも小一時間の外出、楽しい時間を過ごした。
  夕食は、ほんとならどこぞで美味しいものでも食べたかったのだが、外出時の戸締まりなどの煩わしさゆえ、コンビニで夕食を買って帰ることにした。最近は、といってもここ数年は、コンビニのお弁当やお総菜もずいぶんと美味しくなったように思う。なんといっても、お弁当はコンビニの主力商品なのだから、販売競争も過熱気味だ。コンビニのコマーシャルだって、お弁当ものが多い。アジアごはんしかり。うーん、サークルKはやっぱり押しが弱いような。ほんで、結局何を買ったかというと、セブンイレブンで、「特選ロースかつ重」なる商品をいただいた。一昔前だと、コンビニのカツなんて、ハムカツと違うんかいななんて思っていたものが、立派なカツで、味もなかなかである。「あやとり」(ローカルですまん)も危うしというくらいに美味かった。たまにはコンビニ商品もいいもんだ。ただあの着色料たら、保存料たらの添加物だけはいただけない。コンビニ弁当もまだまだ成熟度が足りないな。まあそのうち、自然派弁当なんてのが出てくるだろう。しかし、コンビニを見てて、一日三回配送のお総菜!なんて言われると、つい研究の方(多頻度小口配送だの、端末物流問題だの)を思い出してしまって、まったくブルーな話だ。
  なーんて、日記がてらにだらだらと書いちゃった。おつきあい下さった方ありがとうございます。実はまだ勉強の途中なんだな。そして再び自転車に乗って帰らないといかん。もう外はずいぶん寒いな。

お寺と良平 9/10

  比較的最近になってからの楽しみの一つとして、お寺巡りというのがあり、特に禅寺の庭園、しかも枯山水が特にお気に入りである。私は某父親のように仏教マニアでもないし、禅宗のありがたい教えもほとんど知らないのだが、何かしら好きなのだ。
  それで、実はこの二日にわたり、文字通り禅宗の総本山ともいうべき寺を見る機会を得たのだった。昨日は鎌倉に赴き、駆け足ながら建長寺と円覚寺を訪れた。行く前はどちらがどうであるのか、ほとんど区別も付かなかったくらいであるが、いざ行ってみればかなり趣の異なる二つの寺であった。建長寺はいくぶん洗練された感じ(それでも京都の寺とはまた違った)であったのに対し、円覚寺の方は素朴な山寺であった。ただ、舎利殿を見せてくれなかったのには残念である。まあ、私のようなミーハーな者を近づけないという点ではもっともなことであるが。というわけで、今回は国宝クラスの、たとえば蘭渓道隆像とか、先ほどの円覚寺舎利殿などはお目にかかることが出来なかった。しかし、建長寺のパンフレットに載っていた、蘭渓道隆の教えが身にしみる。

  本来の自分を失えば、すべての事柄も見失ってしまう。
  こころの真髄を見つければ、人生の道も見えてくる。

  さて、今日は運転免許の更新の帰り道、建仁寺に立ち寄った。寺の中を歩いていると、ついいつの間にか、街の真ん中にいることを忘れてしまう。昨日は身体の疲れから、感じる力も衰えていたのが残念であったが、今日は体の調子も良いようだ。生々流転の図を背に方丈の縁側に腰を下ろして枯山水をぼぅーっと眺める。ひとりじめであった。そのうち何人か人がやってくると、庭はまた違って見えた。みんなは此処で何を考えているのだろうななんて考えていた。生々流転の図はこれまた身にしみるお話だ。お国は違えど、今は運命の輪廻、諸行無常なんていう歌をうたっているもので、どうやらこれが最近のテーマであるらしい。しかし、生々流転の図はこの嵐を乗り越えることで澄んだ境地になれるというありがたさを頂戴できる。建仁寺にはこのほかにもいろいろな絵や彫刻があり、これもまたよい。風神雷神図は博物館に出張中とのこと。複製を楽しんだ。
  一人でお寺散策など初めてのことであるが、まあ昨日の鎌倉にしろ、今日の建仁寺にしろ、ずいぶんと機動力がついたもんだなぁと、半ば呆れ気味に感心していたのであった。京都に住んでいるのはまったく贅沢なことだ、というのが、いま思っていることである。


F.C.GEO例会の後に 9/7

  今日は畠中氏渡西をひかえ、蹴り出しの会を行った。詳細はF.C.GEOのページに譲るが、まあなにしろ風邪にてへろへろな身体で行ったのが災いし、すぐにへばってしまった。
  畠中さんの又友達の方がやってらっしゃるというスペイン料理の店へ行ったのだが、3人でワインを1本たのみ、優雅な気分に浸れた。メニューも魚を中心に、ガーリックを使ったソース系の料理が多かったように思う。パエリアもうまかった。店は出来たばかりらしいが、これから流行るかなぁ?まあ、リーズナブルなのがとにかく良い。ランチはいろいろついてなんと900円なのだ。京都にお住まいの人は是非一度行かれたし。場所は寺町二条西側、本屋の隣である。
  二軒目に行ったのは、とあるカフェ。あやしいジャマイカカレーというのをいただいたのだが、これがかなり美味い。しかし、どの辺がジャマイカなのかは不明。店のにぃちゃんにきいてみるものの、わからないという。しっかり勉強しとけよな、自分の店のメニューくらい。カレーは食欲増進になるなやはり。もう一皿でも食えた。
  それにしても、カレーは世界のどの辺まで広まっているのだろう。すくなくともおれは週に一度は食べないと禁断症状がでてくるみたいだ。

ごぶさた 8/20

 一ヶ月もホームページを放置しておくと、かびが生えて (いや、クモの巣が張るといった方がよいか...)しまってるな。 しかし、この間にも相当のアクセスをいただいているなあ。 まったく、ありがたいとしかいいようがない。
  フランスに続いて、山田村に赴いていたため、 勉強にぽっかりと空白ができてしまったのだ。 ホームページの更新に二の足を踏んでいるのは、 何か(ボ○?)に追われているためだろう。
  とはいうものの、なんとかしなくては... ところが、ホームページを作るにもタグの使い方を忘れてもた、 というのは、某後輩くんの言葉だが、全くその通りである。

F.C.GEOのチーム写真も載せるはずであったのに!
ラジオ英会話はどうなった!みんな続いてるの?!
合唱のページもこれでは楽しくないぞ!だいたい訳が完成してないじゃないか!
いつまで、温泉の写真やねん!

と、独り言もつきないわけだが、やはり心の支えは、 みなさんの、心温まる報告から訳のわからぬ書き殴りまで、よりどりみどりの 掲示板への書き込みですな。と、思う今日この頃。 ぼちぼちページも更新していかないといけません。 4月のように勉強が片手間にならないように、 その程度には更新していきますよってに、応援してってくださいな。


クモ退治 7/8

  近頃わが家にハヤルモノ、それはクモである。蜘蛛。 先日良平は体長10cmほどのクモを見かけたのだが、 おなかに白いたまごを抱えていたのであった。 気味が悪いにはちがいないが、外に出そうと決心。 しかし、ふと目をはなした隙に、クモは姿を消していた。
  同じクモを見かけたのは翌日のこと。しかし、前日に見たたまごはない。 どんくさい私が、何が起こったのかを悟ったのは、 体長5mmほどのクモがわらわらと這っているのを見つけてからである。 それからというもの、目を凝らせば凝らすほど、クモが出てくるのだ。
  益虫とはいえ、母グモのあのでかさを考えると、ああいうのがぞろぞろするのはかなり嫌である。 しかしバルサンはあの臭い故に焚きたくないので、一匹ずつやっつけることにした。 しかし、数の多さは想像をはるかに絶していた。それに、やつらのモビリティは低いとはいえ、 しかしすでに、家のあちこちに出没している。 私は風呂上がりのパンツ一枚で、フローリングワイパーを片手に、次々とクモをやっつけていく。 もう何十匹やっつけたであろうか。
  クモ達は動き回り、糸を垂らしながら必死で逃げる。それを私は追い回す。 母親は私のことを、猪八戒みたいだという。 クモ達の世界で映画を作ったならば、私は殺戮を繰り返す恐ろしい化け物であろう。 そしてきっと、やつらは団結してこの悪役に仕返しをしにやってくるに違いない。
  最近、いろいろなものが、クモや、クモの足に見え、背筋が寒くて仕方がない。 夢の中で襲われるのは勘弁だ。

リベンジ@八幡 7/5

    前回、大阪市立大学の地理学教室にソフトボールで大敗して以来、 わが研究室(の一部)ではリベンジを合い言葉に、フットサルでの勝利を誓った。 そして今日、ついに復讐の日がやってきた。
  ここ最近、気温の記録があちこちでニュースになっているが、今日もなかなかの暑さである。 集合時間間近になっても2〜3人しか集まらず、また少ないのかなという不安もよぎったが、 人環からの参加もあり、集まってみれば京大勢は12名を数えた。市大からは8名。
  試合は6人対6人で、15分ハーフで行われた。 今日は審判もいて、ホイッスルもカードも持参。キーパーはグローブ付きである。 ワールドカップに感化されたか、京大にはレプリカシャツが多い。 京大は人数の利か、あるいは若さの利か、優勢に試合を進め、 うれしいことに7対1という差で市大を破ったのであった。   あとは混成チームで30分ほど試合を行うが、元気に動き回る周囲をよそに、 私はなんどきつるともしれぬ足を引きずって右往左往していた。おかしいなあ、 パリでは毎日4〜5時間は歩いてたのになあ。 ともかくリベンジは達成された。 次回はソフトか?バレーか?あるいはバスケ?そういう案が既にある。
  しかし今日は、なんと水分を取ったことか。疲れが引くのを待ち、大勢で一号線沿いの王将へ。 だからいま、とってもぎょーざくさい。王将では、帰りの運転が心配なくらい眠かった。 しかし、席を立とうとしたときに、おきまり(?)の「王将のゴキブリ」が 座敷を這いまわり、少し目が覚める。
  こーの号は小野、井上とともに、帰ってきた。あとの人たちは、「流れ橋」を見に行くのだとか。 さて、今日は帰って爆睡するでー、と思いつつ、ホームページの更新が遅いという声をムチに、 唯一編集可能な学校のパソコンで、今こうして作業している。眼は半分しか開いていない。ぐー。

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