ずいぶんとこの部屋も重たくなってきたな。
さて、今日も一日が終わりつつある。今朝は立命館の院生が本のコピーをしにやって来るというので、週末にも関わらず早起きだ。その彼は自然地理系の人らしいが、いろいろと話が弾む。やはり同年代の院生は貴重だ。その彼、600ページ以上もある本を丸ごとコピーして行かれた。おつかれさまである。
昼は合唱の練習に顔を出し、それは一時間ほどで抜け出して、今度は人環で行われていた日本商業学会の例会にも顔を出す。ミーハーこーのとしては、「流通革命」なる本で有名な林周二氏の話を聞きに行くのが目的である。休憩時間にはサービスでお茶とケーキが出たのだが、商業学会では話す相手もおらず、ケーキはやめにした。部屋に残って一人で論文を読む。よその学会に行くとはこんなにも寂しいものなのか。せめて面識のある京大のマーケティングゼミの人たちと話せばよかったな。
さて、その林周二先生のお話であるが、題名が「私のこれからやってみたい研究テーマ」。レジュメの見出しには「私の報告内容の趣旨」のほかに、「私のこれまでの研究人生の方針あるいは信条」、「私の所属機関とそこで担当してきた科目」、「私の著作物」、「私のこれからやってみたい研究テーマ」と並び、さらに現在執筆中の本の目次が載せられている。これだけ見ると、なんじゃそら、というのが率直な印象であるが、話にはそれなりに考えさせられて帰ってきた。
一点目は、主に若い研究者に向けてのメッセージ。他の研究者が争ってやりたがるようなテーマを避け、誰もやっていないテーマを追っていくことをやるのがよい、みんながやっていることをやるのは、相当自分に自信がある人だけがやった方がよいという。そうすれば自分のペースで、おもしろいと思える研究を、無理な競争なく楽しみつつ行うことができるということである。
何とも少し弱気な印象もあるが、できるだけ長く、良い研究をやっていくにはこうした姿勢も大事であろう。そうすると次に問題となるのは、研究者としての資質を問うという点である。みんなが挙って取り組むような研究をやるには研究者として抜きん出た能力が必要だからだという。耳の痛いことに、林先生が面倒を見ていた院生の中で、不幸にも大学院に来てしまったと思われる人、単刀直入に言えば研究者としての資質がないと思われる人がほとんどであるという。そういう人はむしろ、他にもっと向いているであろう仕事に一年や二年かけてでも移った方がより幸せな一生が遅れるはずだ、というのが先生の主張である。それでも、先生自身がそうであったというのだが、自分にあまり能力がないと判断したら、先ほどのように、誰もやっていない研究テーマに手をつけるということをすればいいということになる。
二点目は、以下に長く研究をやるかという点について、老後の研究についてであった。
日本の大学が欧米の大学と比べて良くないところが二つある。一つは学生が勉強しないこと。もう一つは高齢になった研究者が研究をしないことである。という、最近出た中央公論での指摘を話の枕に
話が進められた。
こちらは、高齢でもがんばらなあかんという点に加えて、高齢であることを活かしてということをおっしゃっていた。つまり、例として上げられた、戦後の組織についての研究は聞き取りが中心となるが、やはり人脈やネタなどの点で自信の立場を有効に活かせるということである。そして、聞き取り相手が生きているうちに調べないといけないという。
そのようなことを、自信の取り組んできたテーマや、今後のテーマ(「業界団体」=だれもやってない・「戦後初期のマーケティング組織」=聞き取りする際に高齢が有利)をあげながら話をされた。どちらにも共通することに、時間との戦いでもあるから、時間内にできる研究をやろうということである。つまり、院生ならば、短期間のうちに数々の成果を発表しなくてはならないし、高齢研究者ならば、余命が問題になる。そういうことを考慮に入れて適切な研究をやろうという主張をなされていた。加えて、これからは英語で海外に発表すべしという点もしっかりと...
結局、流通のお話をききに行ったつもりだったが、研究姿勢についてのお話をいただいてくることになった。大御所クラスになると話もうまく、聞いている方も退屈しなくて良い。まあ口がうまいという点もあるが。
そうそう、能力を見極めるというお話でひとつ。子どもの能力を見極めて、適切な方向へ導いてやるのも親のつとめではないか。なるほど、覚えておこう。