かわうその生態 part 3



貼り紙騒動 10/11


  今日は祝日の振替休日.行楽の秋ではあるが,私は翌々日の発表に備えて,お休みどころではない.お役所や公共機関にいっぱい助けてほしいのだけれども,非情なことに彼らの方はお休みである.しかも,パソコンがフルに稼働している作業部屋の室温は30度超ときた.まったく嘆かわしい.
  家の中では,頭を抱える息子をよそに,休日モードの父親が朝からはりきっており,掃除機がけたたましくうなり声をあげている.我が家にこういう日はけっこう多い.もともと日曜大工の好きな父親は,床にニスを塗ったり,たまに包丁を研いでみたり,そういうまめな男である.

  さて,問題は一階のトイレについてである.
  我が家は4年前に建ったのだが,トイレには透明な窓とブラインドがついている.そのうち塀の向こうのお隣にも家が建ったが,トイレをしていると,向こうからおしりが見えると母親がこぼしていたようである.
  そこで,まめな父親は知恵を働かせた.包装紙を切って,窓に貼っつけようと考えたのである.
  私が下におりてみると,包装紙のサイズを合わせる得意気な父親がいた.
  父の作品を見て,直感的に私は嫌気を覚えた.色が悪い.そうして,光が入った方がいいとか,そこの隅がじじくさいとかいろいろと理由をこねて反対する.
  ところが父親は,あれこれと口うるさい相手の声は頑として聞き入れず,ますます躍起になって隅を整え始めた.難敵である.

 だいたい,ブラインドを逆さにしておけば,実際向こうの二階からは見えないし,光だって入る.だから,おしりが見えるなんていうのは妄想にすぎないと思っている.ひょっとすると,向こうから見れば,そこがトイレであるかどうかもわからないかもしれないのだ.そこへわざわざ貼り紙をして見えなくしてしまうのは,逆にそこを隠しているみたいでかえって恥ずかしい.そういうのが私は好かないのだ.

「向こうからは見えないんだから,こちらからわざわざ隠す必要なんてないんだよ.」
  そう主張するが,父親はいよいよテープを貼りだした.完成を目前に,ぱっち姿のコーディネーターは大満足である.
  私は白旗を持ち出した.もう彼を止めることは出来ない.そうして,あちらこちらでじじ臭さのいっぱい漂う我が家の中で,唯一ゆっくりと(用を足しながら?)くつろげる美しい空間は失われてしまった.
  そう思いながら,少し投げやりな気分になっていた私は,最初に抱いていた感想を吐きだす.
「だってラブホテルみたいやん...」
  ところが,倒れ際に放り出した拳は,見事に相手の急所にヒットしてしまった.
「ええ?そうかいな.うーん....」
「そんなん見えたらかえって恥ずかしいで.」   そういうと,父は先ほど丁寧に整えた包装紙をばりばりとひっぺがしてしまった.
「やっぱりあかんかなぁ.ラブホテルなんていったことないからわからんけど.」と父.
「いや,おれかて写真しか見たことないけど.」と私.
  リング上の二人の論者は,急きょ親子の関係に戻る.

  かくして,父の名案は形にまでなったたものの,日の目を見る前にボツになった.最後のカウンターパンチの威力は大きかった.こうして,私のくつろぎの空間は守られた.
  くずかごには,大役から引きずりおろされたピンクの包装紙が収まっている.


修行 10/7

  大失敗である.修士論文の中間発表まであと一週間を切った今日,めずらしく朝からばりばりと作業を進めていた.案外作業が進む.しかし,待ち受けていた落とし穴にはまってしまう.
  ここのところ,商工会に訪問している余裕がないので,電話で簡単な質問に答えてもらっていた.そして,今日も同じようにかけたのだけれども,これまでとは違って,平和堂が出店している地域とあって,ボルテージの上がったこーのの電話はついつい時間が長引いてしまった.そうして,世話になった相手にいずれ謝辞を書かねばと相手の名前のフルネームを尋ねたところで,相手の堪忍袋の緒がきれる.論文に書く内容の文責を記載するのかと勘違いされたいたこともあり,電話の見ず知らずの相手にそこまで言う必要があるのかと一喝され,そして続けて,いつしか30分近くなっていた電話に対してこれまた相手への配慮が足りないと説教される.電話のはじめに,今よろしいですかと断ったつもりではあったけれども,やはり長すぎた.
  とりあえず,その場で非礼を詫び,今後もよろしくお願いしますと言って電話を切った.おもわず溜息が出る.そうしてみると,他の商工会すべてがこわい存在に思えてくるのが不思議だ.ついさっきまでフィーバーしていたのが,すっかりしおしおと元気がなくなってしまった.
  けれども,元気を落としている場合でもなく,すぐさまペンを手に取り,詫び状をポストに入れた.調査を開始した頃には,まさに初心をもって,いろいろなことに気を付けていたのだけれども,だけどもやはりこうやって慣れてきた頃にはポカをやってしまうらしい.むかし読んだフィールドワークの方法みたいな本には,あれこれと注意事項が書いてあって,線を引っぱったりなんかしていたのだが.慣れてきた頃に注意せよ,とか書いておいてほしかったなぁ,と一瞬思ったけれども,そんな幼稚なことだからダメなのだ.
  しかし,この歳になって,相手から叱咤していただける機会はそうもない.そういう機会がないと,悪い癖を引きずったまま大きくなっていって,ついには誰も指摘してくれなくなるのだろう.
  そうしていろいろと考えているうちに,今ではまったく不謹慎なことにも,今日はいいことがあったなあなどと思っているところである.

再会 10/6

  運動不足である.学校へ行くにもお買い物にも,愛車スーパーカブに乗るようになってから,とんと自転車に乗らなくなってしまった.卒業した友達から譲り受け,ままちゃり4号と名付けてかわいがってきたこの自転車も,このままでは主人様に反旗を翻すに違いない.前の自転車みたいに,走行中に突然タイヤが破裂したりということになるのだろう.それではかなわないので,今日は天気もいいことだしと,自転車で学校へ向かう.
  自転車だと,ふだん目にとまらないようなものに気がつく.ちょっと気になるお店のメニューをのぞき込むこともできる.私は自転車ならではのコースをとり,帰り道にはスーパーに立ち寄ることにした.これはもはや,ほとんど悪い癖である.
 店内のエスカレータに乗り,ふと外を見ると,ガラスの外にいるおばちゃんと目があった.むかし同じ合唱団で歌っていたおばちゃんではないか.こちらもエスカレーターの流れに逆行しながら手を振る.エスカレータの流れにうち克って,おりてやっと話ができた.おばちゃんは前掛け姿.このスーパーの中にあるお花屋さんで働いているらしい.
「この辺にすんでるの?」
「いやぁ,そうではないんですが.たまたま通りかかりまして.実はぼくスーパーの研究やってるんです.」
「へぇー,そうなの.」

  スーパーの研究をやっていると,だいたいどの人とも共通の話題ができる.もちろん,はじめて出会った人にいきなり,「どこへ買物行かれますか?」などと聞くと,この人はどこか頭の具合が悪いのではないかと相手に心配されてしまうから,聞きたい衝動に駆られながらも我慢しているが,それでも,なんとか買物のお話に持っていくように話を仕向けていることが多い.そして,スーパーで働いていたり,バイトしていたりする人の場合,こーのは大喜びである.ここぞとばかりに,普段たまっているエネルギーを爆発させて,話をする.
  そうして,このおばちゃんも捕まった.ここはどういう客層が多いだとか,いつ改装されただとか,二階の衣料品売場のテナントは,滋賀県の企業であるだとか,そんな話に花を咲かせた.しばらく話し込んだあと,あまりお店のじゃまになってはいけないので,店先に並んでいたハーブの苗を買って,おばちゃんと別れる.
  また合唱団で会えるだろうか.それが実現するには,こちらの側に大いに問題がある.

  このスーパーは,インナーシティにあって,それほど土地は広くない.食料品売場は一階と地下とに別れている.地下の魚売場では,そろそろタイムサービスだ.いくつかのパックを抱えたおじさんが通り過ぎていく.
「むむっ.あのおじさんって....」

  そのおじさんは私の知っている人によく似ていた.家の近くの商店街でやはり魚屋をやっていて,
「へえい,らっしゃいらっしゃいらっしゃい!あじひと盛り200円200円200円!買うてってやー」
こんな感じで,かなり威勢の良いおじさんだった.見るたびにいつも袋にじゃこを詰めている姿が印象的であった.顔がゴリラみたいで,小さい頃はこわがっていたが,このおじさんはいろいろとおまけをくれたりした.それでもよほどこわかったのか,店の遠い方をこそこそと通り抜けて歩いていた記憶がある.
  それが,何年前だったか.その店はちょっと改装されて,看板は違う名前に変わっていた.それに気づいたのもしばらくしてからで,おじさんのことはすっかり忘れていた.けれども,目の前の人を見て,いろいろな記憶がよみがえってくる.「そうか.ひょっとすると,あれからこちらの方にテナントで移って来はったんやろか.」そう思って,見知らぬおじさんに声をかける決心をした.

「あのー,ひょっとして,○○食品に居はったおじさんじゃありませんか?」
 ゴリラ顔がこちらを見つめて,うんと頷いたような気がした.
「私,むかしそちらでよくお世話になったのですが...」と説明しようとすると,
「覚えております.」
  どうやら向こうは気づいていたようだった.
「お父さんお母さんはお元気ですか?弟さんがいてはりましたな.」
「ええ,おかげさまで.」
  何かおかしい.かつての元気が感じられない.
「あそこのお店も閉めんとあかんようになりましてな.今はここでお世話になっとるんです.あれからずいぶんと苦労しましたてね....」
  そう照れくさそうに静かに話した.おじさんは少し酒臭かった.私はちょっとだけ挨拶して,おじさんと別れる.

  私はそのとき自分がスーパーの研究をしているとは口にできなかった.


お散歩 10/3

  来週の水曜日には大学院の演習がある.教室の先生方や大学院生の前で,次の正月明けに出す論文の進行状況を発表しなければならない.もっとも,あっさりと済ませてやろうというのではなく,混沌とした頭の中を整理するために,できるだけここで他の人たちのお知恵を拝借しなければならない.就職活動はいっさいせず,ずいぶんとむしり取られてやせ細った親のすねをまだまだかじっていくつもりであるから,今年は書けなかったよといってずるずると入院生活を引き延ばすわけにも行かず,はやく次なるコースに進むべく立派な論文を書かないといけない.私のテーマは地域小売商業の構造変化.早い話が,新しいスーパーができて,人々の買物がどないなって,どこのお店がもうからんようになったか,という話である.しかし,論文の構想はなかなかまとまりを見せない.そのうち,だんだんと体がだるくなってきて,気が散り始め,違うものに手が伸び,あくびを連発するようになる.
  これではまたもや鬱様がやってくる.そう思い立って,散歩に出かけることにする.今日はちょっと変わったところに行こう.そう思って決めた行き先は,家から歩いて10分ほどのところにある船岡山.けれども,実は,ここにはもう十数年も足を踏み入れていない.小学校の頃は,ここで鬼ごっこをしたり,野球をしたり,ソフトボール大会の練習をしたり,よく遊びに来た場所だった.だいたい,小さい頃に来た場所に来ると,いろいろなものが思っていたよりも小さく見えたりするものだが,やはり今日もその通りだった.遊具が小さく見え,グランドは狭く感じ,上った階段の距離も短く感じる.そうして,むかしここでケンカをしたことや,泣かされたことなどを思い出していた.山を高くのぼるにつれ,だんだんと周りが開けてくる.その景色もやはり懐かしいものだ.向こう側の丘の上に見える中学校はかつて,どんなところだろうと胸に期待を膨らませながら見ていたのだが,その中学校も卒業して10年がたち,今では遠い遠い思い出の場所になってしまっていた.そんなこんなといろいろなことを思い出しながら,小さい頃にキズを付けた柱を見ているようだなぁと,感慨に耽る.
  頂上に着いて見た光景は,昔のものとはずいぶんと違っていた.きっと小さい頃は当たり前の景色として,それほど気にとめていなかったのかもしれないが,そこにみえたのは,すばらしい市内の眺望である.昨日の晩は雨が降ったので,ずいぶんと空気も澄んでいる.近くはもちろん,遠くは八幡の石清水八幡宮のある男山までくっきりと見える.残念ながら東山の方は,木が繁っていて見えなくなっているのだけれど.ここ船岡山は京都市の北の方にあるのだが,かつてこの山を風水の四神のひとつ,北の玄武に見立てて平安京を造営したという説がある.たしかに,ここから南へまっすぐ行くと,かつての朱雀大路(今の千本通りあたり)である.「こんないいところ,一人で来るにはもったいないな...むー.そういえば,むかしうちのじいちゃんとばあちゃんがよくデートに来たと言ってたな.ふふふ.」不気味な笑みを浮かべながら平安京を見下ろす.
  近所に住んでいると思われるじいちゃんと少し話をする.このじいちゃんもよくここへ散歩に来るらしく,ちょうどここからあちらの方に,東寺の塔が見えるのだと教えてもらった.なるほど,耳かきの先っちょくらいのがビルの間にちょこっと見える.しかし,言われなければ絶対にわからない.でもたしかに,あれは東寺だ.西の方に目をやると,普段おっぱい山と呼んでいる双ヶ岡が今日も美しいラインを見せていたが,実はこれは二つの山ではなく,三つの山からなるのだと教えてもらった.そうだったのか.ちょっと知的レベルが上昇した.
  しばらく話したあと,じいちゃんと別れ,山の向こう側におり始める.この船岡山に来なくなったのは,ひょっとすると,あの事件があったからかもしれない.それこそもう十数年前,ここで一人のお巡りさんが殺害された.当時,二学期が始まったばかりの小学校で水泳の時間であったが,犯人が繁華街に入り込んだとの情報で,水泳を中止して集団下校することになった.普段ニュースでしか見ないような事件が身近で起こったとあって,ずいぶんと怖がっていたような記憶がある.「きっとまた悪い人がでてきて,ぼくを血まみれにするに違いない....」そんな子供らしい思いを抱いたまま,その後とくに山頂の方へはあまり寄りつかなくなってしまったのだった.あれからしばらく経って,今日は久しぶりにそっちの方へ行ってみた.確かこのあたり...と思っていたところへ,はたして二つの石碑が建っていた.一方の石碑に句が彫り刻まれている.うにゃうにゃと上手な字で書いてあったので,全部は読めなかったが,「この船岡山の歴史とともに永遠に,殉職したあなたのことを語り継いでいきますよ」と,どうやらこういう意味らしい.
  石碑を後にし,事件を思わせるような鬱そうとした道さらに下りていく.山の東側は,織田信長を祀った建勲神社である.今日気づいたが,この船岡山からは送り火の五山の多くがきれいに見えそうである.とくに,この神社からの大文字はきっとすばらしいに違いない.山を下りてくる.みやげに,松屋藤兵衛で味噌松風を買う.ご近所のお菓子というのは,たいていお客さまの口にしか入らないものである.そう思って,少しはりきってそれでも一番小さい箱を買ってみた.今日はおまけをくれなかった.もう少し大きなのを買えばよかったかなぁ.ちなみに,今日の夕食後,この珍菓子が,お客さんへのおみやげとして間違った選択ではなかったことを確認している.
  今日は,母親は区民運動会にいっているので,買物もままならないだろうと,スーパーに寄って帰ることにした.一階のスーパーは地元の八百屋が経営するスーパーで,二・三階はサティになっている.しかし,このサティも売上不振なのか,今月で完全閉店するらしい.小さい頃,もちろんその頃はニチイであったけれども,よく母に連れられて,よくダダをこねた店である.そんなことを思い出すと,ずいぶんと寂しい気分である.今は店じまいセールとして,二割引とか五割引とかいう札がさげられている.なにか形見を買っていこうとおもって,生活用品売場を歩くのだけれども,ほしいものが全然ない.そりゃ,これだったら100円ショップに負けるわな.そう思わざるを得ない商品ばかりだった.結局,さんざん悩んだあげく,お茶碗を一つ買って下におりる.下の食品スーパーは,悲壮感漂う上のお店とはうって変わって,すごい人だかりである.なんでも大創業祭とかで,いろいろなものが安くなっており,ちょうど私の行った夕方ごろには,商品はもうずいぶんと売り尽くされていた.私は他の客に負けじと,かごいっぱいに野菜を詰め込む.いらっしゃい!という店員さん声も元気で,ずいぶんと活気がある.とちゅう,お惣菜屋のおばちゃんにサービスしてもらい,久しぶりにヒゲを全部剃り落としてきたことが効いたかな,などと勝手な想像をする.そういえば,小さい頃のお買い物にいくと,いろんなものを手に持たせてくれた.もう二十も半ばになるが,あんまし変わってないのだろうか.
  レジを済ませ,買ったものを袋に詰めていると,おばちゃんたちの話が聞こえてくる.
 「ここもずいぶんとがんばったはるわねぇ.」
 「ほら,いまダイエーが安いやろ,向こうのセールに負けたらあかんからなぁ」
むー.気づかなかった.さすがに生活のなかで鍛えられている人たちの目はするどい.わしなんかスーパー・ジオグラファーなどとはとても名乗れないな,などと思いながら帰り道を急いだ.

アンデスな人々 10/2

  大阪の環状線に,京橋駅というのがある.私のように京都に住んでいると,京阪電車に乗って,この京橋駅でJRに乗り換えて,大阪の南の方へ行ったりすることが多い.京阪電車の特急は特別料金を取らないながらも,いろいろと珍しいものがついており,小さい頃にはかならずテレビ付きの車両をねらっていた.今ではもう少し大人になったか,なっていないのか,涼しい顔をしながら,二階建て車両に乗り込んでいる.つい一週間ほど前にも用事があって,天王寺から南へいこうと,そうしたルートをとった.この京阪の京橋駅とJR京橋駅の連絡には,地上を通っていくのだけれども,そこはちょっとした広場のようになっていて,たいがい,ティッシュを配る人たちがいたりする.
  出かけたその日は,ちょっとした人だかりができていて,そこではケラマントだったか,そんな三人組のバンドが路上コンサートをやっていた.簡単につくった看板にはアンデスの音楽と書いてある.私はこういう民族音楽にはけっこう惹かれるタチで,帰り道を急いでいた足を止めて輪の中にはいる.実際に彼らの顔を見ると,彼らがインディオの血を引いているのはすぐにわかった.三人とも黒いベースの衣装で,上半身に赤い布をまとっている.一番左の男はたてぶえ式の竹笛を吹いており,曲によっては太鼓も抱えている.真ん中の男はリーダーだろうか,ウクレレの親分みたいなのを受け持っており,右の男はギターを手にしている.それぞれの楽器の他に,みんなパンフルートみたいなのを首から下げており,とくに左の彼は,二重になったのを器用に吹いていた.彼らのほかにも,CDを売ったり,手拍子をとったりする仲間が一人いたようである.
  彼らは普段どんな生活を送っているのだろうか.工場で安い給料でもって働かされているのだろうか.家族はどんなだろうか.どんな家で暮らしているのだろうか.しかし,こんなことを考えていたのは,ほんのはじめの内だけだったと思う.次第に,彼らの音楽が身にしみはじめてきた.リズム感は抜群で,なによりものびやかな声で歌ってくれる.テレビに出てきて,けっこう売れているらしいポップスの歌い手よりも,絶対にうまい.というのは,贔屓目が入っているのだろうか.ともかく,ノリもよく,演奏もうまく,同時にいろいろな楽器を使うものだから,ハーモニーだけを聞いていると,とても三人だけでやっているとは思えない.
  こーのはかなりのめり込み始める.周りの人もそうして楽しんでいたに違いない.日本でも有名な,「コンドルは飛んで行く」では,スローな演奏から始まり,徐々にリズミカルになり,最後はいよいよ盛り上がりを見せ,その場にいた人たちも手拍子で盛り立てた.私は最前列に出ていた.時々彼らと目があう.楽しんでいるよと伝えたくて,ふっと微笑む.そして向こうも笑みを返す.こんなことをしながら,何とも言えない興奮の場が作られていった.
  いよいよ曲が終わろうとし,この興奮した気分のやり場をどこにやろうかと探しはじめたとき,青い制服の男が目に飛び込んでくる.警官....まるで自分が捕らえられるかのようにそわそわしていた.しかし,彼らはもうちょっと慣れていたようだった.問答が行われるより前に衣装をさっさと脱ぎだしており,笛を吹いていた彼が,書類を抱えた若い警官に質問され始めた.わたしはさっとおひねりを投げ入れて,京阪電車へと向かう.その後の顛末は見届けていない.
  帰りの特急を待ちながら,いましがたの出来事を思い出していた.詳しい事情は知らないけれども,警察は杓子定規にひどいことしやがる,などと腹を立てていた.もう少しおおらかにならんとねぇ.そう思うと,昨年パリにワールドカップを見に行ったときのことを思い出した.街のあちこちで,広場はもちろん,地下鉄の乗り換え通路でも,いろいろなつじ音楽師がいた.とくにこの期間はお祭り期間中とあって,いろいろな国の人が来ているようだった.印象的だった一つは,みんなロナウドのユニフォームを身にまといつつ,大小いろいろの太鼓や鉦を打ち鳴らしていたブラジルのサンバ隊である.もちろん,私はそこで多くの通行客とともに,心ゆくまでその響きを楽しんだ.重要なことは,この小ライブがおこなわれていたのが,ルーブルの通路の下であったということである.
  別にルーブルほどの場所でやる必要はないけれども,日本ではまだまだこんな空間がないのではないか,などと深刻に考えてしまった.渋谷で大騒ぎになったヒロミゴーの肩はそんなに持ちたくないけれども,ちょっと同情してみたりもする.日本でワールドカップを開いたときには,どんなことでどれほどの警官が出動するのだろう.日本は世界の祭典を受け入れられるのだろうか.
  そんなことを考えながらも,あの若造の警官.ちょうど「コンドルが飛んで行く」の曲を演奏し終わったところでやってきたことを,私はせめてもの救いに感じていた.彼は心を痛めつつ,曲が終わるまで御用を待ったのか,それとも盛り上がった場の反感を買うのがこわかったのか,彼に聞いてみないことにはわからないのだが.

おっさんのサッカー 6/1

  先日、近所の公園でひとり、サッカーをした。サッカーといっても、ボールと戯れているだけなのだが、まあとにかく身体が動かない。以前にこの公園でボールを蹴っていたときにはどうにか、もうちょっとましな動きをしていたのだけれども、途中でいやになって帰って来るくらいだった。Jリーグの選手は、二十代後半が、脂ののりきった一番いい時期というが、どうやら私の場合は二十代半ばにして脂が付きすぎているらしい。やはり運動の不足がひびいている。そんなわけで、ボールにさわる度に、ボールは私をもてあそぶかのように勝手な方向へと転がり、それを追いかけていると、ついには呼吸困難を起こすかのような事態に陥ってしまうのだ。楽しそうに子どもと一緒に公園で遊ぶ父親の姿は、もはや私の将来像にはふくまれてこないのだろうか、と思うといっそう状況が深刻に思えてきた。ラモスみたいに、四十になってもぴんぴんしてるようなのになりたいとは思わないけれども、それなりのおっさんになってもサッカーのできる身体でありたいなー、などと、数年前には想像も付かないような目標を抱いているのであった。

湖東・湖北の旅 3/16

  思えば、この一ヶ月の間に、豊中やら草津やら、あちこちに出かけており、それはこれまでにない画期的なことなのだが、この春の目標として、ぜひとも旅に出たかった。なぜ旅に出たいのかといえば、それはもちろん、うだつのあがらない研究の毎日から一時的にでも解放されたいがためである。それゆえ、できればスーパーもショッピングセンターもないところへ行きたかったのだが、まあそんなところは日本中さがすほうが大変だ。ともあれ、先日やっとのことで旅行が実現した。車中泊の一泊旅行であったが、これまでにない充実した楽しい旅であった。そもそも、出発の前夜になって、休暇が取れることが判明したので、それから行き先を決めることとなり、夜中に丸山書店でガイドブックを立ち読みしつつ、旅先を選んだ。伊勢方面や,名古屋,美濃にも惹かれたが,結局,平和堂の亡霊から逃れられず,近江の国を訪ねることとなったのだった。
  土曜の朝に京都を出発し、松瀬酒造−五個荘−醒ヶ井−長浜−菅浦−近江孤蓬庵−ビバシティ彦根−近江八幡左義長祭と、車ならではのもりだくさんのコースを楽しんできた。一カ所、一カ所におもしろさがあったので、それぞれについてコメントしたいのだけれども、全般的に言って、去年二週間行ったパリの旅よりも、こちらの方がずっと楽しかったことは確かである。それから、一人旅であると、たいがい自分の気の向くままに足を運ぶことができていいものだ。一人旅というのは多分これが初めてなのだと思うが、だいたい私は、いらない気を人に使ってしまうという性格と、無駄な動き(動作から行動まで)が多いという習性のため、きっと一人旅が向いているのだろう。でもさすがに、食事の時には寂しいし、こうやって旅の楽しみを人に伝えたいと思うのである。というわけで、本当は写真のせて、旅行記でも書きたいのだが....

時について 1/14

  一日の終わりの数時間を、久しぶりにゆっくりと家で過ごす。数日ほど前に家を訪れてくれた友達が残していった酒やつまみのおかげで、贅沢なひとときを送らせていただいた。
  さて、最近研究室では新聞が大流行のようであり、読んだ人も多かろうと思われるのだが、「速度礼賛から時の成熟へ」なるどこかの教授の書いた記事が掲載された。お猪口を片手に私もこれを読んで,それで少し考えた。
  われわれは「時間のかかる手紙に代わって、電子メールを使」い、「分厚い研究書や古典をじっくり読む代わりに、電子テキストでキーワードを検索しながら、必要な個所を瞬時に表示させる」など、瞬時であることを求めている。これが、「電脳社会の見えざる目標」であるかもしれないとする。逆に、自身の体験を引き合いに出しつつ、「自分との対話をじっくりと重ねながら学び味わったものは、・・・体得されたものとして 私に染み着いているが、早わかり方式で仕入れた情報は、私に何の痕跡も残さず、あっという間に消え去ってしまう。」と語っている。
  気をつけて考えてみると、ずいぶんと私たちは時間を操る存在になってきたように思う。たとえば音楽がそうではないか。音楽は時間なくしては存在し得ないものであり、あるいは、音楽とは時とともに楽しむものであるかも知れない。しかし、いつからだろうか。レコードの登場に続いて、CDに代表されるデジタルによる音楽が出まわるようになって、音楽から、時間のもつ一面を奪ってしまった。(ほんとうは、私 としては音楽と場所との一体性が失われていることにも興味があるのだけれども、それは話を混乱させそうなのでやめておく。)ひとまとまりの音楽を、ブツブツと分解してその一部だけを聞くことができるし,繰り返して聴くことも簡単である。それは聴き手に自由を与える一方で、音楽の持つ性質を削り取ってしまうことになるだろう。たとえば,ある部分に至るまでのストーリーや緊張感の高まりといったものを,知らずの間に奪ってしまうということが起こってくるだろう。
  少し話がそれたが,記事に戻ってみると、筆者(哲学者)はさらにハイデッガーの「時熟」という語を引きながら、反省や熟考などを通して達成される、時間の成熟の重要性を説く。そして、「<私>が、便利さや速度の幻惑には徹底的に弱い存在であること、しかし、それにもかかわらず、それに身を委ねることは、<私>を徹底的にやせ細った刹那的存在にしてしまうこと。このことへの自覚は、今日においては決定的に重要であろう。」とし、現代の情報・消費・社会システム全体の持つ不可避な性格を認めつつ、さいごは「「時熟」を<私>自身の内側に自覚的に求めていくほかはないのかもしれない」との結論に達している。
  実は、今日は午前からの用事で早く起きたのをいいことに、昼間は久々にお寺を訪ねたのであった。このホームページの愛読者ならば知っての通り、私はお寺の庭園でぼぅーっと過ごすのを無上の楽しみの一つに数えているが、もしかするとお寺の庭園に安心感を覚えるのは、時を忘れさせてくれるからにほかならないのではないかとさえ思うに至った。時間に追われてあくせくとやっているのが日頃の私の姿であり、そ して、間違いなく私は、便利さと速さに酔いしれているひとりなのである。お寺の庭園は、「時熟」を私の中に芽生えさせてくれているのだろう。
  ところが、今日は方丈の縁側にひとりで座っていたにもかかわらず、あまり居心地よく感じなかった。学校での仕事を思い出してしまい,あたまを支配してしまったからであろう。そしてまもなく庭園を後に、いそいそと立ち去ってしまったのである。

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