デートレイプ,DV…CAPワークショップ体験
CAPによる暴力の定義
暴力とは、「人の心と体を傷つけること」です。
CAPの大人ワークショップに参加しました。はじめは、慣れない雰囲気に緊張したけど、かなり集中してしまった。今回のワークショップに参加したいなって思ったきっかけはチラシ。「自分のなかにある暴力とどう向き合うか」みたいなことが書いてあった。参加した結果から言うと、直接そういうワークショップをやってくれたわけじゃなかったけど、考えるきっかけにはなった。言いたいことがあるのに言えなかったり、我慢してるって人は多いと思う。私が言いたいことを言えるようになって来たのも相当な時間がかかった。それでもやはり言えないことはあるけど。多くの10代は恋人のことが好きすぎて(ノーと)言えなかったり、それで我慢したり、自分を傷つけたり。恋人の反応が怖くて我慢したり。プライド傷つけそうで言えなかったり。こういう状態は相手は傷つけていないけど自分は傷つけてる。CAPの言うところの「安心・自信・自由」からはほど遠い。私ならCAPの暴力の定義にもうひとつ追加して、暴力とは、人、または自分の心と体を傷つけることです。としちゃう。びっくりしたのは企画している人たちがすべて女性。男性の参加者はなんとか2〜3人居ました。ここで、CAPの歴史をざっと調べてみると、◇CAPの歴史・1978年に米国オハイオ州コロンバスの強かん救済センターから始まった。(たぶん配慮があって「姦」という漢字を使わないのだと思う。 障害を「障がい」と配慮して書かなくてはいけない動きもあるらしい… 本質にせまることを回避した「ごまかし」のような気もするけど・・・) 現在は、米国を含め18か国以上で実施されています。・日本へは、森田ゆりによって紹介され、全国で約140グループが活動中。
*****やはり女性。女性が立ち上げている。これはとんでもない。言いたいことが言えない関係になってるのは主に女性。そして子どもなのだ。またこのことが顕著になってるのがアメリカや日本。(アメリカや日本にCAPがあるので。他の国については 潜在的にはもっともっといろいろ言えるけど)社会的に女性に発言権がないことが明らかになってる状態の国。ジェンダー(社会的な意味を含んだ性別)っていってもいい。個人的には「個性差は性差にまさる」という考えだけど、例えば、一般的に女性の思考(女性の不満)が「○○をしてくれない」「彼は○○に気づいてくれない」「○○して欲しいのに」って言葉に代表されるけれども、こういう思考に追いやっているのは誰、何なのかしら、と。男性からはそうした思考はなかなか出てこない。すぐに言語化することが習慣化しているからだと思う。「イイタイコト」がうっ血していない。女性は「イイタイコト」を言わないことがいまだに美徳だとされるのか。古代では、外に出ることもできずに、男性が通ってくる「通い婚」だし、笑うときだって口元は隠さないといけないし、男性の前で笑うってことは「気を許す」こと。もしそうだとしたら女は男より遥かにストレスたまるかも。蜻蛉日記の作者でなくともヒステリーを起こしても無理もない。(なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る
口語訳)絶世の美女といわれても内面は絶世の醜女。いわゆるCAPの感想とはほど遠いことを書いてたようだけど、ようは「言いたいことが言えるようになる」練習、訓練。「学び」というより「訓練」に近い。でも訓練しないとね。言いたいことを「鬱血」させることなるさらさら言える状態であること。歯磨きの仕方だって訓練の連続です、私は。社会で表現をすることと、内面にある表現は、かけ離れていないに超したことはない。かけ離れてしまうと言うことは、バランス取るのにとても体力のいることなのだ。精神的な体力も。どう発言、表現していくか。子どもを被害者にも加害者にもさせない。とても大切。米国は、CAPをまじめにやっていくと、国家の暴力である戦争も反対になるはずなんだけどね。やはり、CAPは今のとこ、「腐った食事を与え続けながら、たまに飲ませる下痢止め」でしかない皮肉じゃんか。アメリカはその不真面目さがいいところだけど。 *****保守に走っている米国は、ネット上では「不快感を与えただけで犯罪」に。コミュニケーションは、押したり、引いたりが自在にできること、が理想だなぁ。押しっぱなしや退きっぱなしにじゃなく。All
or
Nothingじゃなくね。「0」と「1」の判断しかないのはコンピュータの思考。それにしてもCAPのワークショップは具体例の宝庫でした。「両親の居ないときに恋人の家に遊びに行ったら、心の準備が まだできてないのに襲われそうになったとき」の演劇など。どんなコトバでやり合うのか。とっても大事。演劇の最後にはスタッフがびっくりするくらいの勢いで「ハイッ、オワリッ!!!」っと突然拍手をします。これは、同じような状況を経験して例えばレイプ経験のある人が、劇の世界に没頭してマイナス思考の連鎖、頭がぼうっ〜としてPTSD(その当時のもっともいやな感情を増幅して思い出す)みたいな状況にならないための配慮。小学校での「たかり・かつあげ」に関するの寸劇をみてたときのこと。私も、おそらくそういう嫌な状況、ってか誰でもいくつかもってるもんじゃん!!劇を見てたら、頭がぼうっ〜となって、劇が終わってからも、結構いやな気持ちを引きずってた。だった、だけに、きちんと現実に連れ戻すような配慮として突然の激しい拍手をしていることに「プロ」を感じる。体験者から出る「自信がついた」「むしろ怖くなくなった」なのどの言葉を聞くと、精神病についてやハンセン病について、あるいは部落差別、イラクや北朝鮮、中国、アメリカ、憲法第9条などの実態についても同じようなアプローチで啓蒙していく必要があると思った。だって、そういう分野に関する一般の人の偏見て「怖い」、「不安だ」ばっぱりなんだもの。なんだかんだいって、精神使って疲れたワークショップだった。得たものありすぎだし。参考児童虐待防止法が2004年改正。児童虐待の防止に関する法律 第六条より抜粋
児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所もしくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
・『暴力から逃れるための15章』
・「精神的な暴力」も暴力と同じ
・親と教師のためのガイド—子どもの性的行動・きょうだい間の性虐待
Posted: 2006年02月14日 (火) at 12:24