「精神的な暴力」も暴力と同じ


タンゴのレッスンで汗かかないよう早めに登校。空いてるスタバを発見。

このスタバは天井が高くてとってもきもちいい。
しかもお銀座にあるのに空いていて、
目の前の道路もひとがあまり通らずすがすがしい。
よし決めた!
タンゴの前にここで息を整え、お勉強。お勉強最適スポット。

きょうは持っていた『モラル・ハラスメント』をちこっと読む。

 

「これまで診療を続けている間に、私は同じひとりの加害者がさまざまな状況の中で他人の精神に対して何度も破壊的な行為を繰り返しているのを見たことがある。(中略)ー職場や家庭で、部下や同僚に対して、配偶者や子供に対して、モラル・ハラスメントの加害者は人の心を攻撃し続けるのだ。(中略)ーモラル・ハラスメントの加害者が通ったあとには、死体の山が築かれている。だが、本人は知らん顔して、外から見れば社会に適応した生活を続けているのである。」P.34

 だ、そうです。

ステキな雰囲気の女性の精神科医の方が書かれた本。
モラル・ハラスメントは、「精神的な暴力」と言えばいいか。
いわゆる「いじめ」もモラル・ハラスメントのひとつだろう。
この本は3〜4年前に買ったけど、全然読んでなかった。
だが、たとえば「戦争がないのが平和なのではない」とか、ヨハン・カルディングの「構造的暴力」というコトバに出会ってから、こころのなかでかなり切実な問題となってた。

で、ちょっと考えたこと。「暴力は伝染病」はけっこう知られた事実。
この本を読んでいて思ったのは、精神的な暴力も伝染病だということ。ウツるんです。感染るんです。
つまり、歪んだコミュニケーションをもとめられたとき、毅然としたものがこちら側にないと(あるいは毅然としているからこそ)同じ「精神的暴力」でもって相手と張り合う、なんてことをしでかしてしまうのではないかということ。
兄弟がいるひとなんか、そういうことしょっちゅうしでかしながらオトナになってきたのではないかなぁ(オトナになってもやってる兄弟もいるし)。娘と母の確執もまた然り。あらゆるところでそういうコミュニケーション(?)よくみかけます。
 こういったことは特異なひとの問題ではなくて、こういうことの繰り返しで、やりすごす方法を体得したりして、オトナになっていくのだろうな。問題は、ずっとそういうやり方で生きてきてしまった人たち。これは大変なことだ。「人を傷つけずにはいられない(この本のサブタイトル)」のだから。。
 普通の暴力からは「逃げるが勝ち」なんて言うが、精神的暴力からもやっぱり逃げるが価値、なんだろうな。価値はわざと。
むしろ、そういうものと「向き合ってしまう」ことはこの場合、けっこう危険かも。報復としての「精神的暴力」に陥ったり。これはかなり危険な駆け引きだと思った。精神がぼろぼろになる戦い。精神的に自殺に追い込むことだってあるのですから(著者はそういう被害者を何人も見てきたそうだ。合掌)。

 暴力がないことが平和なのではない。

なんて夢中になってるうちに店内にタンゴが流れてきた。
アストル・ピアソラの「Oblivion」って曲だ! アストル・ピアソラ
なかなかやるなスタバ。
あたくしのもっていないバージョンでなかなかかっこいい演奏。
誰の演奏だろうな。
バンドネオンの音にひたってるうちに、タンゴレッスンの時間がきた。

今日の追伸
「あくびも伝染するよ(チンパンジーも)」




 
親と教師のためのガイド子どもの性的行動・きょうだい間の性虐待


デートレイプ・・・CAPワークショップ体験記
『暴力から逃れるための15章』



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Posted: 2004年07月18日 (日) at 21:54 
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