自分を中傷する人に会い、話を聞く - 今井紀明さん


今井紀明さんの話を聞いて

私にはまず余計な基礎知識が何もなかったことがとても良かった。
知っていたのはイラクに行き、国外では賞賛、
国内からは自己責任だとバッシングを受けたことだけ。

イラクへ行ったことの意味

一番に挙げられるのは、
日本には「誹謗中傷」しか意見として持てないような
国民が大多数だという事実を明かにしたこと。
国民はマスメディアをうのみにすること。
メディアに支配され、その他の視点を持てないこと。
「自分の考えをもつ」ということが困難な状況にあるということ。
皮肉なことにイラクに行ったことは、
本人の意図とは別のところで意味があった。

 私はもっと重要な肯定的意味を考える。
 彼は「管理の行き届かない場所」を求めて行った。
 日本の民主主義を守るために。全体主義的傾向に疑問を投げかけるために。
 彼ほどの役目を果たしたひとはいない。
 もしそれでも彼に「裁断」を強要するならばそれは「戦前の思考」だといえる。
 管理主義は目に見えないかたちで、よりいっそうひどい状況になっている。
 つまるところ、国の軍国主義化は十分に整った状態である、といえる。

「自分を中傷する人に会う」というパラドックス

 会場にこう発言した人がいた。
「どの世界にも誹謗中傷をする人はいて私はそのことはよくわかる。
 でもそういう人たちは変わらない
 だからもう違う、新しいことを始めていきませんか。」

 会場に拍手が起こったが、私は賛同はできなかった。

 今井さんは、
 自分に送られてきた非難(人格の否定を含む)の手紙を読み、
 返事を書き、
 やりとりの3通目には
 「お互い考え方は違うかもしれないが、あなたもがんばって下さい」
 という応援のメッセージが来たという話をした。
 本人もここまで変わるとは思っておらず、驚いたという。

 率直に聞いた限り、今井さんは
 「変わらない
 という絶望感ではなく
 「変わる
 という話をした。

 私もその変化にとても驚き、新しさを感じた。
 ひとたび考え方が違うと心を閉ざし合い、ネットという匿名社会に逃げ込むのが昨今。
 熟年離婚や集団自殺を考えている人たちにとっても、彼は希望を語ったのではないか。
 ましてやテロ時代にあっては、考え方が違う人々を排除する思想こそテロリズムに近い。
 どんなに小さい声であったとしても、少数の声に耳を傾け続けること、
 ――話を聞いていなくてよく注意される私にとっては耳の痛い話だが――
 そこから本人さえ想像していなかったような「希望」が生まれる。
 ここでいう希望とは
 「互いに考え方の違う人間たちでこの世界を営み、楽しみ、生きること」。

 最後に、今井さんと、
 今井さんが講演会をできる場をつくってくれたひとたちに感謝。
 彼がそういう気持ちになれたのも、
 事件後のハーバード大学での8ヶ月の生活があってのことだと思う。
 日本にいては人間性そのものがつぶされる。

 教育現場が国家の監視下に置かれてはこうした「場」も不可能。

 日本にまだ魅力があるとすれば、

 「管理のゆき届かない場所」がまだまだあるのだということによる。

 
「見えない管理」に関する参考文献

 1,『悩む力』斉藤道雄著, みすず書房 2002.04
   『とても普通の人たち~浦河べてるの家から~』四宮鉄男, 北海道新聞社 02.11
    管理の行き届かない場, 安心してさぼれる会社, 患者を治さない医者, etc...
   >mujinamo's --- 読売新聞「べてるの家」特集

 2,『仕事のくだらなさとの戦い』佐藤和夫著, 大月書店 2005.12.
    アウシュヴィッツ強制収容所には「働けば自由になれる」とある。
 

 

 
 

 
 

Posted: 2005年12月26日 (月) at 23:31 
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