『暴力から逃れるための15章』(上編)


この本 [表紙] はレイプ事件の数分前の会話から始まる。

ある女性が買い物帰り、マンションの階段でキャットフードの缶詰を落としてしまった。
「拾ったよ!持って行ってあげよう」人なつこそうな若者が階段を上ってきた。

男「手伝うよ」
女「ああ、でも大丈夫よ。ありがとう」
男「そうでもなさそうだな。何階?」
女 少しためらって、
 「4階よ。でも、本当に大丈夫だから」
男「僕も4階。いつも遅刻しちゃうんだよね。仕方ないんだけどね、時計が壊れてるんだから。さあ、立ち止まってないで行こう、それかして」
女「いえ、本当に大丈夫だから、ありがとう」
男「知ってる? そういうのを強がりって言うんだぜ」「さあ、急ごう」
 「ネコが腹をすかして、ぼくらを待ってるよ」
 「そう言えばさ、ネコってなにも食べないで三週間も生きていられるって、知ってた?」
 「どうしてそれがわかったかっていうと、あるとき友達がしばらく家を留守にすることになってさ、ネコに餌をやってやるって約束をしたんだ。それなのに、ぼくときたらすっかり忘れちゃってさ‥‥」

女「ありがとう。あとは自分でやるわ」
男「だめだめ。この缶をここまで運んできたのは、また落とすためじゃないんだからね」
男「ほら、昔の映画に出てくる女の人みたいにさ、ドアを開けっ放しにしておけば? 荷物を置いたらすぐ帰るから。約束するよ」

男は約束など守らなかった。

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 以上の会話の中に直感的に危機を感じられたでしょうか。
 この男、実はこの事件前に別の被害者を殺している。
 この女性はレイプはされたが、直感を信じてある行動に出たため、命は助かった。「ある小さな危険信号に耳を傾けたおかげで、命は失わずにすんだ」。「犯人をアパートの部屋に入れたことについて、人からなじられたり、自分を責めたりするのには疲れ果てた」のち、著者とのカウンセリングの中でその信号がなんであったのかを学んだ。
 彼女は自身の恐怖に耳を傾け、そのおかげで死なずにすんだとわかり自信がよみがえったという。そしていろいろなことがわかったおかげで、事件前より出歩くのが怖くなくなったという。
 「できればたくさんの人が、わたしと同じ目にあってからではなく、その前にいろいろな情報を知って、危険を避けられたらと思うんです」というのだ。
 これはびっくり。普通、強烈な事件を経験した後はもう恐怖の虜になって引きこもるか、逆に精神が壊れてしまってむしろ恐怖の連鎖の世界に迷い込んでしまうか、2つの選択肢に陥るのではないかと思い込んでいた。

 でも直感をたよりに起こったことを本当に「わかる」と「以前よりも出歩くのが怖くないなんてことが起こってしまうのだ。もし暴力の側に居る状況の人がいたら、早めにこの本に出会ってほしいと思う。暴力をいつ自分のもとに引き寄せているか、そのことに気がづく必要がある

 ちなみにこの著者、10歳のときに母親が夫に銃を突きつけてる現場に居合わせている。その場でこれから起こることの判断、予測をせねばならなかった。引き金を引くのか、ひくならいつか。2歳の妹は寝室にいる。10歳の自分はどう行動するか。
 そうして著者は危機予測の権威となった。
 エリザベス・テーラーリチャード・バートンを一目見ようと多くのファンと一緒にリムジンを追ってた11歳の著者は、その後8年もしないうちに、そのカップルの警護をするためリムジンの中に座っている。TVでケネディ大統領の就任式を見てた著者は20年後、別の大統領の就任式で大統領の横に立ち、また暗殺の予測と防止のために政府で働く。また上院議員を守るための危機管理システムも開発。
 母を殴る継父を止めるのに失敗した著者は、のちにニューヨーク市の何百人もの刑事にDV(家庭内暴力)の現場を押さえる方法を教えてる。何度目かの自殺未遂事件のあと入院した母を見舞った著者は、やがてカリフォルニア州知事の顧問として精神病院を巡回している。恐怖と隣合わせで生きていた少年時代をもつ著者は、恐怖に対処する専門家となった。極端にその「判断力」が発達したのだと思う。

 各章のはじめに、引用がある。

 第1章「なによりもまず、犠牲者にならないこと。マーガレット・アトウッド (解説)

 第4章「危険を察知する能力を培い、危険から身を遠ざけるべし。賢者が狂った犬に近づかないように、邪悪な人とは交わってはいけない。」仏陀 (ブッダ)
 
 他人のどんなところを信じてはダメなのか、どんなことは信頼できる情報なのか。細かい判断のもととなる情報の宝庫。第4章はほんとに具体的。例えば、
 
 「だって彼、とても親切だったのよ」というのは、その親切のすぐあと、あるいは数ヶ月後に、その男に襲われた人たちからよく聞くコメントである。

 
 虐待を経験している人たち(ここでいう加害者)は、得てしてそうやって必死に戦略的に生きている。
 それこそ必死で過剰に社会という環境に適応を試みているのだ。彼らなりの方法で。
 「仲間意識の押しつけ」「余計なことをしゃべる」「ノーの無視」などは、テクニックというよりは、必死で生きてきた状況の病的な現れだと思う。

 図書館で借りたこの本。次の人が待ってるので、途中だけどとりあえず返そっと。そのあとまた予約して続きを読みたい。何しろ具体的なことばかりが書かれている。この著者ほど暴力の現場を見てきた人間はいないのだから。。。
 著者の何気ない一言がとても悲しい重みを帯びてる。
 「だがいずれにしても、アメリカ人であるかぎり、暴力と無縁ではいられない。」
 「わたしの会社は一風変わった会社で、アメリカでしか成り立たず、またアメリカでしか必要とされない会社かもしれない。」
 とにかく犠牲者にならないこと。そのために「暴力」に近寄らないこと。危険信号に耳を傾けること。近寄らなければ、起こらずに済むことがあるのを学ぶべきだ。
 「接近」するから「暴力」なのだ。避ければ、起こらないのだずるずる荷担すること。だらだら加担すること。うじうじ側に居ること依存は暴力の一種(精神的暴力)。相手を自分がコントロールできるところにとどめておくからだ。
 共依存は虐待や暴力を発生させる(共依存については、友人に貸してる『童貞としての宮沢賢治』が手に戻り次第また考えてみたい)。なぜなら依存も(精神的な)暴力、相手をコントロールしようとする欲望のひとつだから。そうやってどこかで暴力を助長、肯定してしまうのです。

 とにかく犠牲者にならないこと避ければ起こらない
 例えば、戦争でさえ、みんなで避ければ、起こりようがない。
 みんなで避ける意志があるのならね。
 
 you may say i'm a dreamer, but i am not THE only one.

 

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Posted: 2004年07月28日 (水) at 02:20 
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