この夏は桜井亜美フェア?


愛のないsexするときが一番しあわせ。そのときだけ生きてるって感じるの

こんなコトバに出会った。それってどういうことなの?
よくわかんなかったんだけど、ある人が
「そうだね〜桜井亜美なんかがそんなこと書いてるねぇ。
宮台真司の奥さんだよ。」って教えてくれた。
 
「へぇ、宮台真司の奥さんて速水由紀子とかいうんじゃなかったかなぁ。」
て思いながら図書館へ。図書館ダメ。売れてる本はほとんど貸し出し中。
ちょうど受付でもう百歳近いおばあちゃんが何か本の予約してたけど、係の人、
「予約受け付けました。この本はですね、いま市内の図書館に1冊しかなくておばちゃんは19番目の予約者です。」なんて真顔で言ってる。。。
死んじゃうってば!!!19番目まで待てないってば!!!
おばあちゃんに本の名前を聞いて買ってあげたいという衝動を抑えてたら
おばあちゃん、
「へぇ〜、、、19バンメ、、。それじゃあ読む頃には寒くなってるねぇ。」
だなんて。。。また係の人も真顔で
「そうですね。寒くなってるかもしれませんね」
なんて言うな!!!!コンニャロメ!!!
で、わたしの読みたい桜井亜美も貸し出し中。。。
おばあちゃんより若いくせに待てない私は本屋へ。

本屋には待ってましたとばかりに幻冬舎文庫の桜井亜美が「この夏は、桜井亜美!」みたいな感じで数十冊並んでた。わくわくして背表紙の解説を読みながら興味ありそうな4冊を手にしレジへ。4冊でちょうど2千円。。。高い、、高い。。。こんな衝動買いをしていいものかと思いながら成田行きのバスに乗る。

イノセント・ワールド(デビュー作)』『Girl』『クロム・ハート
6時間55分の飛行機のなかで一気に3冊読んだ。どれも17歳の女の子が主人公。小説を読むのは何年ぶりだろう。読んでるのが苦痛なのであまり本を最後まで読むタイプじゃないんだけど桜井亜美が読ませる文章を書くので一気に読めた。次の飛行機に乗り換えるまで、空港で4冊目の『ジェネシス』を読んだ。ひとに勧めるなら最後に読んだ『ジェネシス』かな。恋人とうまくいかず他の男とのセックスで寂しさをまぎらわす女の子のお話。どの本でもそう簡単には救われない。でも、主人公どこかエネルギッシュ。『ガール』は傷つくのがいやでモノになることに憧れる女の子の話。モノになれたら傷つかないかな。。なんて。
 詳しくは言えないけど、描写は事細かくてすごいと思う。若いからそういうセンスなのかな。構成はどこか三島由紀夫の『金閣寺(どもっちゃうひとの話)とか山田太一の『岸辺のアルバム(家族が崩壊していく話)を彷彿させた。どっちも桜井亜美が面白いと思ってるひとにはオススメ。桜井亜美が速水さんならば元ネタなんだろうな。だって読んでるはずだもの。

 宮台真司と速水由紀子は事実婚の関係(てのがいいな)。とにかく2人とも頭がよすぎていやになっちゃう。。。あんなふうに頭冴えてるといろいろみえちゃってそれなりに大変なのかもしれないけど、はたからみている限り頭ん中楽しそう。半分うらやましく嫉妬。

 数年前に「桜井亜美はホントは誰?」の話題はもう終わっちゃったみたいだけど(女子高生が実際に書いたように描かれているのだ。それはそれはみごとなほどよく書けてる。でも実際にこれくらい書ける女子高生だっているぜ。試しに書いてもらおうかしら。売れちゃったら人生変わっちゃうだろうな。悪い方に(笑))、速水由紀子さんではない気がする(でもそうらしい)。AERAとかに書いてたからそっちの文章も読んだことあるけど、桜井亜美とまったく違う視点で書かれてる。うまく言えてないんだけど速水さんの文章には「オトナな視点」があるのに対して、桜井亜美はもっともっと自由な視点で書かれてる。オトナな視点というのは、前にも中途半端に書いたけど「ロボトミー的な囲い込み」の視点のこと。「こんな生活問題じゃない?」っていう視点。桜井亜美はもっと生き生きとした文章。文学とジャーナリズムの違いなのかもしれないけど。。。使い分けてまったく違う文章が書けるなんてあったまいいなぁ。。。まったく!

 「自由」で「のびのびしてる」っていう意味で、桜井亜美の立場の方が好き。
 だいたい複数のセックスパートナーと毎日関係がないと生きていけない人と、ひとりいるかいないか、または性生活なんてない方がいいと思っている人との違いは、前者が性依存症で後者が不感症というふうにビョーキ扱いにしてしまう(過去の虐待が原因だから、、など)というよりは個性の問題です。

 未映子ってアーチストは日記のなかで窪塚くんのことを「個性」って言ってたけど、そうなんだってば。「お前はブズだ。死ね」という幻聴に苦しみながら生きている人も、「お前は偉大だ。救世主だ」っていう誇大妄想を持つ自己愛性パーソナリティの人も、それは個性です。

 幻聴に「苦しむ」と書いたけどそれも間違いで、幻聴と「共に生きている」といった方がいい。生きてるんだもの「幻聴もたまにはあるよね」て共感できる社会では苦しみが違う。幻聴や幻覚があるひとをよりいっそう苦しめているのは実は「そういうひとはいない方がいい」「そういうことは取り除かねばならない」という排他的な社会のあり方。レッテルを貼ることが幻聴や幻覚があるひとを2重に苦しめる(この構造はホントは2重ではないと思うんだけど)。幻聴や幻覚で突然道でうずくまったり、電車のなかでブツブツ言っている人を「ああ、いま幻聴や幻覚があるんだな」って見守れるかどうか。うずくまってたら「しばらくすればよくなるよね」って見守る感覚を持っているかどうか。そういうことが大切な気がする。そういう「理解」をまわりができるならばもっと社会が住みよかったりして。いやらしい言い方かもしれないけど幻聴や幻覚そのものがなくなったりなんてことも、、、なきにしもあらず。だって、幻聴や幻覚を生き生きと語り合える社会は、それぞれの個性を認め合うという社会なんだから。そしたら幻聴や幻覚なんてないでしょう?だってたとえば「恐山イタコは霊界と通信する」ってことを私たちの社会は認めているじゃないですか[イタコの様子.wav]。そういう営みを大切にしてきた文化をもってるじゃあありませんか。あれ?そんなことないのかな。。。

 話が大部それた気もするけど桜井亜美さん個性的な小説でした。
4冊一気に読んだので次回手にするのはいつになるかわからないけど。

 島に着いて、今度は養老さんと森岡正博の対談『脳と生命』を半分ぐらいのとこから読み終えた(前半は読んでない)。そのなかで「本当に相手に共感してしまったら救えるものも救えない」ってことを話してた。おもしろい。だって外科医が瀕死の患者の痛みが「わかって」しまったら、外科医も一緒に痛みによってショックを起こしちゃう。これから死にゆく人のケアを本気で共感したら、一緒に心中するしかないでしょう。そんなおしゃべり。

 もしある悲惨な状況にあるひとを「救える」のだとしたら、ある意味そのひとに共感できない人こそがその可能性があるのかも。共感だけでは救えないから(気持ちは救われているのかもしれないけどそれはおそらく「依存」かな)。

 で、桜井亜美に戻ると、全然救われない世界で登場人物のオトナもコドモ(主人公?)もしょぼい。全然解決しない(ちょっとずつは解決しているんだけれども)。でもそこがとても人間らしい。救世主とか神様とかあらわれないんだもん。そしてほんの少しの勇気とか、ほんの少しの希望を手にするかしないか(なんだか宮崎駿の『ナウシカ』を漫画本の方読みたくなってきた)でエンディングをむかえる。

 彼女の小説に対して「これはヤダ」って拒否感をもっているひとも(特にいまだに「うちの子に限って」って思っている親とかかな)いると思うんだけど、本当に起こっていることはほとんど彼女の小説みたいにしょぼい人間たちの試行錯誤そのもの。それが極めて現実的に描かれているような気がする。で養老さんの『脳と生命』の対話にあるように、桜井亜美の小説を地で生きているようなひとは、全然世界の違う人間(共感などしてもらえないひと)に「出会った」ときに(「うちの子に限って」って思ってる親は論外。だってそういう大人に出会ってぼろぼろにされてるんでしょうが)ほんの少しだけ救われたり、希望のひかりをみるのかもしれない。

P.S.
 このページ自分でもよくわからないこと書いてるので文句が来たらいずれ削除の予定。小学生の読書感想文みたいにまとまらないうちに本の感想を書いてしまった。思考の断片なのでご容赦を。しっぱいしっぱい。ちびっこのみんなはこの夏休み、本は読んでもいいけど読書感想文だけは書かないように。まずは読んで「なんか」を「感じる」こと。センセーには「あたまん中まだ整理できてないからもうちょっと待ってて」と言い続けて小学校は卒業しちゃってください。
 あんなもの書かされて書くものじゃないし。ときがくれば自然と書きたくなる(書かざるを得ない)ものだし。

次回いつ読むか、なんて言ってたけどamazon桜井亜美検索してたら『シンクロニシティ』が中古XX円だったので買っちゃった♪中古本の送料は340円なので(意外に高い!!ちなみに新品なら送料260円。合計1500円以上は送料無料)それでも安いでしょう、たぶん。中古で8円の桜井亜美の他の本もあったけどシンクロニシティはタイトルがいいので買った。レビューはそのうち。



 


Posted: 2004年07月30日 (金) at 23:26 
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