キハ52 140

キハ52 140 前位
前位側
23/AOÛT/1998 糸魚川駅 Photo par きむたお

キハ52 140 後位
後位側
23/AOÛT/1998 糸魚川駅 Photo par きむたお

糸魚川運転センターに所属していた6両めのキハ52.大糸線にて運用に入った.
1966(昭和41)年5月16日落成.新製配置は木次線で,同期の#138(→#651),#139とともに1992年度まで同線で過ごした.
米子から転属した先は,JR西日本の最果ての地,富山運転所(北トヤ,大糸線)であった.越美北線から移転してきた5両と比べると独特の遍歴を持っていた.
米子時代に施された鋼板溶接方式の前面強化様式が目立つ他,車内のワンマン化も後藤工場で施工されたもので,運賃箱の収容方式,整理券発行機の形状・設置箇所,側面の車外スピーカーの位置などに,松任工場施工車5両との違いが表れていた.
客扉間はロングシート部が延長されていた.松任工場施工車5両と異なり,車端部にもロングシートがあったが,1位・4位側(車掌台後部)は回転式の運賃箱を収納するスペースの為にやや短かった.
また,6両中唯一の非冷房車であった為,夏季は乗客の不評を買ったり,予備車が定位置になっていたりした模様.先陣を切った廃車も,冷房がついていなかったことが大きく影響したと推測される.
キハ52形で最後に残った朱色5号塗装車であったが,1994(平成6)年11月に越美北線色(初期仕様)に塗り替えられた.車番表記が緑色部分単独でセンタリングされている結果,全体として見た場合,他車(現行越美北線色)と比べて左にオフセットされているカタチとなっている.
2000(平成12)年3月31日,除籍され廃車.最終配置は北陸地域鉄道部 糸魚川運転センター(北トヤ).同時期に廃車となった#128と比べて,静かにこの世を去った.ある意味でキハ52らしい最期であったと云えよう.