全民研第29回大会(山形大会)基調報告
(1998年7月)

生徒たちと現代

子ども・生徒を大切にする新しい国民教育の創造を

T ここ1年間の教育をとりまく動き

1 少年犯罪とマスコミの動き
 ここ1年間を振り返ると、少年犯罪が多発しました。また、これに対するマスコミの動きが気になりました。このマスコミの論調があまりに短絡的だということと、そのマスコミが大きな力をもっているということも再認識させられました。

@ 神戸の連続小学生殺人事件
 例の神戸の少年事件についてですが、犯人が中学生であったということが非常な衝撃として報道されたんですが、私は、どう考えても、あの事件の犯人は、高校生以下だと思っていました。報道では、中年だとか、オートバイがどうとか、そのような報道がされていたんですけど、どうも、おかしいという感じを受けていました。ですから、犯人が中学生であったと聞いて、やっぱりと思ったわけです。
 今の中学生や高校生などと一緒にいる教師の中には、そういう感じを受けた人も多いんじゃないかと思っています。
 それよりも、衝撃だったのは、犯人が少年だったということが、今度は少年法の見直しという論議になっていったことです。
 これは、この前の少年法改正案には盛り込まれなかったのでほっとしているんですが、そちらの方が気になっていました。〔しかし、その後、中村法相は、刑事処分対象年齢の引き下げをも含めた少年法の改定案を、法制審議会に諮問せずに、法務省で法案を作成して国会に提出する意向を示したと報道されている。〕
 それから、この少年の人権を踏みにじるような報道が堂々となされたり、少年の顔写真がインターネットで流されたりと、こうしたことも気になっていました。
 問題は、なぜ彼がこのような犯罪を犯したのか、彼を取り巻くこの国の社会の状況はどうなっているのかについてのしっかりした分析でだと思うんですが、残念ながら、それについて深く掘り下げた報道というのはあまり見かけませんでした。
 この事件の背景に、現代の少年たちに共通に、人間の死とか、人権とかに対する感覚が希薄になっているというか、希薄にされているという状況があると思っています。

A 一連のナイフ事件
 栃木県で中学生が教師をナイフで刺し殺した事件。これも、社会的に大きな波紋をよびました。しかし、これも、現場にいる者とっては、それほど意外でもありませんでした。ついに来たかといった気持ちでしょうか。
 刺し殺されはしないものの、そのような事件は身近でも起こっていましたし、その後立て続けに報道される中学生のさまざまな犯罪が、この事件がそれほど特殊なものではないことを示しています。
 私の勤める埼玉県でも、老人が女子中学生に殴り殺された事件(浦和)、中学生が同級生を刺殺した事件(東松山)などと、連続してこのような事件がおこりました。
 マスコミは、神戸の事件も含めて、今の中学生はどうなっちゃっているのか、という問いや戸惑いとともに、これらの事件を報道しました。
 しかし、現場にいる教師にとっては、これも起こりえることだと思っていたわけです。〔教育現場のフィールドワークを重視している佐藤学氏は、すでに、数年前からサバイバル・ナイフを所有し携帯している高校生や中学生が激増していることを、指摘していた。『ひと』97年7月号、『学びの身体技法』所収。〕
 神戸の事件と同じように、私が衝撃を受けたのは、全然別のことでした。マスコミが騒ぎ出したのは、所持品検査という論理です。マスコミに続いて文部省、さらに県教委と続いていき、中学校の校長なんかは、渋っているいると報道され、後になって、意見が分かれてくるという状況になりました。
 つまり、言って見れば、生徒とかけ離れた、生徒たちの現実の生活を知らない人たちほど、所持品検査ということを叫ぶという図式が見事に現れました。
 そして、本気で教育や学校を考える校長は、所持品検査の導入を渋り、自分のことだけを考えて責任逃れをしようとする校長は、文部省、県教委、マスコミの言うことを聞こうとするという動きが見られました。
 問題は、全然違うところにあるということが捉えられていないもどかしさがありました。(機関誌112号、巻頭言参照)

2 所沢高校の生徒たちの動き
 マスコミに報道された高校生の動きで、痛快だったのは、所沢高校の生徒たちの動きでした。自分たちの頭で考え、行動する見事なまでの生徒たちの動きや発言。
 これと正反対に、見事なまでにその馬鹿さ加減を露呈した校長、県教委、文部省。更に国会での自民党議員の発言。これは、まるで、現代のナンセンスな漫画を見ているようなおかしさで読者、視聴者を楽しませてくれました。彼ら自身は、そのおかしさを気付いていないのか、気付かない振りをしているのかは知りませんが。
 実は、所沢高校については、埼玉の全民研の活動などを通じて、生徒の自主性を尊重する伝統などについて、以前から聞いていたことがあって、そこから判断すると、なぜ所沢高校の生徒たちがあのような行動をとることが出来、発言できたかについては、じっくりと検証しながら考えてみたいことだと思っています。(田中裕児「98年所沢高校の事実から学ぶこと」機関誌113号参照)

3 教育行政の動き
 中教審の第2次答申が昨年の6月に出されています。そこで打ち出されたのは、「個性の重視」「能力、適性に応じた教育」であり、公立の中高一貫教育の導入や大学への飛び入学制度です。
 さらに、今年の6月には、教育課程審議会の答申が、出されました。そこには、学校の工夫の余地を拡大すると言いながら、日の丸・君が代の徹底化が打ち出されています。
 現代日本に荒れ狂っている新自由主義、利益最優先の論理、弱い者・貧しい者を切り捨て、強い者・豊かな者を優先させようとする論理。これが学校にも導入され、国家が国民の教育を保障するという考え方は捨て去られようとしています。
 もう一度、全ての国民に教育を保障すること、主権者としての日本国民を育てるということ、をきちんと我々自身も捉え直す必要があるように思えます。
 もう一つ、東京都の一連の学校それから教職員への締め付けの動き、これは、東京都のことだと、見過ごしにはできないことです。

U 現代と子どもたちの生活
@ 不安----追いつめられた生徒たち
 なぜ少年犯罪が多くなっているか、凶悪になっているかを考えるとき、子どもたちの生活に、一見、感性が欠如しているのではないかと思われることがあります。いろんな出来事について、感じない。友達が退学しても、友達が休んでいても、友達がいじめられていても、感じない。そういったことが、非常に気になっています。
 あるいは逆のようないい方かもしれませんが、彼らは非常に敏感なのかもしれません、友達のことを心配するゆとりなどない、そんなことを心配していたら、自分を守ることが出来ない、そこまで彼らは追いつめられている。そう言えるかもしれません。  彼らは、ナイフを持つことによって、自分で自分を守る、そこまで追いつめられているとも言えます。

A 共同体の崩壊----子どもたちの不安
 かつては、教室というものは、ひとつの共同体だったと思います。教室の中で、友達が出来、授業だけでなく、生きる上でのさまざまなことを学んでいました。
 近年、驚くのは、友達が出席番号順になるということです。出席番号の隣の子が問題行動の多い生徒だと、隣の子も問題行s動が多くなってしまう。遊びから何から、すべてが隣の出席番号の友達に左右されてしまう、こんなことがしょっちゅう見られます。彼らは、友達をうまく作ることが出来ないのではないでしょうか。さまざまな共同体の崩壊、家庭、地域社会の崩壊の中で、人間関係、友達関係をうまく作ることが出来ない。そんな、気がします。

B 退学者の急増
 私の学校で、近年、一番頭を悩ませているのが、中退者の急増ということです。〔文部省は、今年2月、1996年度の公立、私立高校を中退した生徒は11万1,989人、中退率は、過去最高の2.5%に達したと発表した。〕
 退学の原因で一番多いのが、中学時代の友達と腐れ縁的につながっていて、登校しないでふらふらして、高校の友達は作れない、そういう中で、やめていくというのが、非常に多い。

C 「社会と関わらないように」
 昨年5月に、全民研は第4回の意識調査を行いました(機関誌109号)。この結果で特徴的なのが、人生について、従来多かった「精神的に豊かな人生」よりも、「自分の趣味・好みにあった人生」を送りたいが急激に増えたことです。
 社会と関係を持たないようにしようという意識は、保守的傾向を持ったり、社会を変革しようとする者に対して不愉快な意識を持ったりします。いわゆるムカツクと呼ばれる現象が見られます。ある場合はこれがイジメの原因になったりします。
 田中裕児氏は、頭髪の規制に反対する生徒を「わがまま」と述べる生徒たちの急増を指摘しています。(機関誌110号、巻頭言)
 また、樋渡直哉氏は、選別・差別される側が、選別・差別の論理を自らの内面に取り込んでしまう現象に警鐘を鳴らしています。(機関誌113号、巻頭言)

V 全民研の任務
1 教育の現場からの視点
 全民研の強みは、常に教育の現場にいることであり、生徒・父母・教師が身近にいることであります。我々は、生徒・父母・教師の立場に立った教育を模索すべきです。
 これは教育の現場からの教育内容の見直し、学問の見直しの要求にもつながります。
 歴史学への歴史教育からの問題提起や、基礎経済研究所を中心とした経済学へ新しいアプローチなどは、すでに多くの成果を上げています。
 全民研でも、以前に、教育内容を再吟味し討論学習を取り入れた政治・経済の資料集を出版しましたが、この手法は、その後多くの出版社から出された現代社会の資料集などに大きな影響を与えました。

2 民主主義・平和主義教育の立場
 近年の新自由主義、競争の礼賛、弱者切り捨ての論調は、生徒たちの生活・意識に大きな影響を与えています。
 この社会が一部の者たちのものではなく、全ての人のものであることを、誰もが安心して、平和に生きる権利のあることを、国家が、すべての国民に健康で文化的でな生活を保障する義務があることを、民主主義の価値を、きちんと教える必要があります。
 さらに、世界の人々と平和に生活するにはどうしたらよいかを教える必要があります。

3 主権者の育成
 社会と関わらないように生きたいと言う生徒たち。そこには、社会を変えることが出来ないもの、諦めるしかないものといった、意識が深く刻まれています。
 社会は自分たちのものであり、努力によって、変えることが出来るのだという体験をさまざまな場面で教える必要があるのではないでしょうか。
 社会を自分たちでどのように作っていくのか、どのようにしたら変えることができるのかの手順・方法・技術を教える必があります。
 また、主権者として知っておくべきこと、主権者・国民としての基礎的知識をきちんと教えることも必要ではないでしょうか。

4 オピニオンリーダーとして
 さらに全民研の果たす役割として、学校だけじゃなくて、世の中のオピニオンリーダーとしての活躍も期待されているように思えます。