民主主義と音楽(1)

民主主義と音楽(1)
 ----忌野清志郎はなぜ『君が代』を歌ったのか
 昨年(1999年)9月28日、テレビ朝日の「ニュースステーション」を少しだけ見た。忌野清志郎が問題の『君が代』を歌うと新聞に書いてあったからだ。

 広島県教委の強引な「指導」(その背景には文部省の広島県教委への、これまた強引な「指導」があるのだが)によって、2月28日、県立世羅高校の石川校長が自殺に追い込まれたの契機に、『日の丸』『君が代』の法制化が急速に進み、「国旗・国歌法」は7月22日に衆議院で、8月9日に参議院で、自民、自由、公明の賛成、社民、共産の反対、民主の自主投票で可決され、8月13日公布され即日施行された。

 こうした中で、8月17日、『君が代』をパンクロック風にアレンジした忌野清志郎の新アルバムを忌野と契約を結んでいるポリドールが発売中止にしたことが明かとなった。これについてのポリドールのコメントは、「『君が代』をフィーチャーしたCDを出すことで、国論を二分しているような問題に自ら一石を投じるようなことは、政治的・社会的に見解が分かれている重要事項に関して一方の立場に立つかのような印象を与える恐れもあり発売を差し控えるほうが適当と判断した」ということである。いったい、このCDが一方の立場に立つとは、どちらの立場に立つことなのであろうか。そもそも「政治的・社会的に見解が分かれている重要事項に一方の立場に立つ」CDというのを発売しないというのは、どういう「政治的・社会的見解」なのであろうか。

 「ニュースステーション」を見ようとしたのは、なぜ忌野清志郎は『君が代』を歌ったのか、どんな風にこの歌をアレンジしたのかを知りたかったからだ。彼は、これまでも、たとえば原発問題について「TIMERS」という覆面バンドで「原発賛成音頭」(このような皮肉的表現は、たとえば、新宿西口のフォーク集会で歌われた高田渡の「自衛隊に入ろう」などでも見られる)「LONG TIME AGO」などで、聞くものに問題を投げかけいる。

 埼玉県立高校の教員をしている私にとって、『君が代』がどんな役割を果たしているかは、とうてい筆舌に尽くしがたい。管理職試験、人事異動だけでなく、あらゆる面で『日の丸』『君が代』が踏絵とされ、学校を、教員を、そして教育を荒廃させている。(下嶋哲朗が最近全国で起こっている事態のそのほんの一端を紹介している。「日の丸・君が代に抵抗する教師たち」『世界』2000年1月号)  それまで生徒のことを考え、教育を考えていた教師が、次第に沈黙し、趣味の世界に逃げていったり、教育に情熱を感じなくなり、早めに教員を辞めていく。逆に、自分のことしか眼中にない、教育者として一番大切なことがかけ落ちていると思われる人間が、それ故に、教頭・校長になって、学校を、教師を、生徒を荒廃させていく事例をいやと言うほど沢山見てきた。その上には、自分の出世のことしか考えていない文部官僚がいる。こうした非人間的なことが、それが原爆が落ちた地広島にも導入され、本気で自分のして来たこと、していることを考えた、校長を自殺に追いつめた。

 忌野はこういう『君が代』の果たしている役割を知っていて、『君が代』のレコーディングしたのだろうか?  番組は、ジミー・ヘンドリックスがギターでアメリカ国歌をアレンジして弾いている映像を流し、国歌をいろいろなミュージシャンが編曲して歌っていることを伝え、我が国ではそれが自由でないとを解説していた。  しかし、ここでは、私は、非常な違和感があった、ジミー・ヘンドリックスがアメリカ国歌を編曲するのと、日本で歌手が『君が代』をアレンジして歌うのとは、全然違う。  アメリカ国歌は形骸化されたとはいえ、それはアメリカの民主主義を守ろうとするものである。それに対して、『君が代』は明らかに天皇制の歌であり、政府・文部省がどんなに強引に解釈をゆがめようとも民主主義とは相反する歌である。『君が代』の何処に「象徴としての天皇」「主権者としての国民」というセリフがあるのか。

 ところが、サッカーブームとともに、いろいろな場面で『君が代』が歌われることを聞くことが多くなった。特に、有名な歌手が『君が代』をサッカー、野球、ボクシングなどの開会式において、得意そうに歌っているのを見ることが多くなった。

 忌野がそんな流れの中で、『君が代』をどのように歌い、何をメッセージしているのか、 それが知りたかった。  いよいよ、忌野の『君が代』が始まった。パンク調にアレンジして苦しそうに歌っているが、歌詞が変わっているわけではない。わからない。なぜ彼はこれを歌ったのか。  続いて、次の曲が始まった。悲痛な叫び声で彼は歌った。 「おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってるはずさ」 「暗く曇った この空を かくすことなどできない」 「ああ 子供の頃のように さあ 勇気を出すのさ」 「おとなだろ 知ってることが 誰にも言えないことばかりじゃ 空がまた暗くなる」 「悲しいときも 涙なんか もう二度とは 流せない  悲しいときも 涙だけじゃ 空が また 暗くなる」  後で、調べたことだがこの曲は、「空がまた暗くなる」という曲でRCサクセション時代の最後のオリジナルアルバム「Baby A Go Go」の中の一曲だそうである。  これか? 彼が言いたかったのは。戦うんだ! あきらめるな! 彼はそれを言いたかったのか? 私には、そのように聞こえた。

 なぜ忌野は、『君が代』を歌ったのか?  調べたところによると、ポリドールがCDの発売を中止したときに、忌野清志郎は「7曲で構成したアルバムなのでパワーダウンすることは納得できない。法制化の議論が音楽的な観点からなされていなかった。ロックミュージシャンとしてこういうアレンジがあるという提案だ」「社会的に関心を呼んでいる『君が代』を歌に反映させるのはロッカーの使命で、納得できない」と主張して全7曲での販売を要求したそうである。  また、彼は、ポリドールにリリースを拒否された直後に日比谷野外音楽堂の演奏で「いつの日か自由に歌えるさ」と叫びながら『君が代』を歌ったそうである(いとうせいこう「いつの日か自由に歌えるさ!」緊急増刊『世界〜ストップ!自自公暴走〜日本の民主主義の再生のために』)

 彼は、これまでも自分の歌の中で歌っている。 「もしも 僕が 偉くなったなら 偉くない人の 邪魔をしたりしないさ  もしも 僕が 偉くなったなら 偉くない人を 馬鹿にしたりしないさ」 「もしも 僕が 偉くなったなら 偉くない人たちや さえない人達を忘れたりしないさ  もしも 僕が 偉くなったなら 君のうたう歌を 止めさせたりしないさ  あたりまえだろう そんな権利はないさ いくら偉い人でも」(『偉人のうた』) 「冗談のひとつもいえねぇ 好きな歌さえうたえねぇ 替え歌のひとつにもいちいちめくじらを立てる いやなよのなかになっちまったもんでござんすねぇ」(『ロックン仁義』) 「権力のある奴は みんな年くったじじいさ ずれまくった感覚で 俺たち国民を仕切ろうとする」「言葉の上っ面に イチャモンつけてくる奴ら そいつらが怖くて 逃げ回っている大手企業と政治家 逃げ腰な奴らが この国を動かしてるのさ」「この国の名前は逃げ腰 国歌も国旗もハッキリしねえ」「この国の名前は逃げ腰 軍隊も自衛隊もハッキリできねえ この国の名前は逃げ腰 憲法の解釈もハッキリしねえ」(『国名改正論(『逃げ腰』という国の国民)』)

 彼はロックミュージシャンとして、ここに起こっている事態に対して、どう行動したらいいのかを考えたのだろう。彼にとって、歌わないことは抗議にならない。戦うときに、何も言わなければ、何もしなければ、戦っていることにはならない。抗議は、行動することである。行動しないことではない。歌って、どんな歌でも自由に歌う権利を主張する。  もちろん、これは、学校の儀式で、強制的に歌わされることと全く違う。