<エントモ西日本の旅> その1 鹿児島知覧

 初の九州上陸。そして足を伸ばして隠岐の島まで行く。学びをキーワードに歩き回り、
そして素晴らしい「ご縁」ができる・・・まずは、悲しい戦争時代に脚光を浴びた知覧
への道。

 

ようやく到着

涙の平和会館

特攻の母

公園内に飛行機

亡くなった方々
現世の経営者を成功に導く達人、西田文郎先生。
北京オリンピック女子ソフトボールのメンタルを負かされた人。
経営者の方々への講演会で言った・・・

「経営者の方は、一度知覧に行くといい」

講演の中で、数々の遺書を紹介し、涙を流す。
知覧は、太平洋戦争の終盤、日本が苦肉の策で行なった特攻の拠点。
沖縄に上陸したアメリカへの最後の徹底抗戦。神風特攻隊。
彼らは、片道の燃料と数百キロの爆弾を抱え、死への飛行を続けた。
1036名とも言われる特攻隊。若桜が散っていった・・・

感謝の少ない、殺伐とした世の中だからこそ、昔の思いを考える。
日本のために、本土の人のために、家族のために命を投げ出す覚悟。
平和ボケした現世では、借金で命を絶ち、彼女にふられて命を絶つ。

先人が「今」をどう思うのだろうか・・・

札幌を早朝出発し、東京への朝一番の便で飛ぶ。そして羽田で乗り換え。
翌日、福岡博多で講演があったが、前のりして鹿児島に入った。
鹿児島空港に到着し、バスで鹿児島中央駅へと移動した。
そして、知覧までまたバスを乗り継ぐ。二時間以上、路線バスに乗った。
知覧の「特攻観音入口」に到着したのは、15:30.
閉館まで一時間半しかない。足早に平和会館へと移動した。

平和会館の中には、数々の遺書と遺品、そして零戦が展示。
北海道からは34名の特攻隊が命を落とした。

終戦近くの激戦の時に、九州を中心に様々な基地から飛び立った。
本土最南端の知覧基地からは、多くの若者が飛び立った。
17歳〜22歳ぐらいの若者が、昭和20年3月から数ヶ月間飛んだ。
残した遺書の中の大半は、「泣かないで下さい。喜んで下さい」の文字。
少し、彼らの遺書の一文を紹介する。


「国のため死ぬ喜びを痛切に感じております。ただ心からありがとうござ
 いました。笑ってこれから床に入ります。」

「笑って征きます。天皇陛下万歳。」

「人世の総決算 何も謂うこと無し。」

短い言葉も、寄せ書きみたいに書かれていました・・・

「俺が死んだら何人泣くべ」 北海道出身の特攻隊員

「花は桜木 人は武士」

「ニッコリ笑って 敵艦と心中」

「死する者は強し」

「一度死んでみるべえ」



これからという若者が、笑って死ににいく姿。想像を絶する。
知覧基地に各地域から集まり、4・5日の訓練をする。
そして訓練が終わったころに、命令が下り編隊を組んで飛び立つ。
知覧には、親御様が見送りにくる旅館が数軒あった。
そこで最後の親交を深め、彼らは飛び立つことが多かったらしい。
ある隊員は、夜中トイレに起きた親をトイレに連れて行く。
それが最後の親孝行と言った。なんと切ない親孝行。
こんな話が数え切れないくらいある。

知覧から沖縄まで飛行時間二時間半くらい。
学徒兵や少年兵まで、この任務を「神々しい」と言いはなった。

彼らの遺書を見て、様々な思いが心に波打った。
最後の宴での酒。全然酔わない宴。覚悟を決める時間だ。

どんな気持ちで書いたのだろうか。
恐怖をどのように克服したのか。

若い年代にしては「かなり字がうまい」
今の子供たちには、なかなか書けない凛とした字。
気持ちが「字」に表れる。今と昔の心の違いを字で知る。

涙をぬぐいながら会館を後にした。
特攻した人間の遺書などが世に知られている。
ここで感じたのは、残された者のこと。
残された人たちは、どのように納得し、気を保ったのか。
彼らの特攻が始まったのが終戦した年の三月。
五ヵ月後には、終戦し、真逆の世の中になった。
時代の切り替わるタイミングでの悲劇。考えるだけで切なくなる。
少なくとも、あの時期にあの年齢じゃないと特攻はしていない。
1036名の御霊を考えると涙が溢れる。

今の世の中、自分の命を簡単に絶つ人が多い。
日本は自殺大国。恵まれた世の中で「不平不満」を感じ命を絶つ。
生きたくても生きられない世の中からすると考えられないこと。
ニートも、親への感謝がない「今さえよければ」世代。

戦争が良い悪いではなく、当時の若者から「今」を考えるべき。
学校の修学旅行で知覧を訪れる学校も少なくない。
その一方、先生が遊びたいがために、田舎の知覧より都会を選択。
唖然とするのは海外修学旅行。「学び」としてのスタンスを外れる。
しかも大人の遊びたいという理由で。今、教師の質が低下している。
教員の研修で訪れたり、学生の修学旅行で知覧を訪れるべきだ。
ニートも親が首根っこつかんで、知覧へいくといい。

物が溢れてアメリカンナイズされた世の中。心が貧しくなる。
感謝の気持ちや、周囲への気持ちが強かった時代に遡るべきだ。


同じ道をバスで移動し、鹿児島中央駅から博多へと向かった。
かなり遅くに到着し、明日の講演にそなえる。
寝る前に、特攻隊の「思い」を考え就寝した。

自分が「今」生まれた理由。
今、するべき使命。


ひとりひとりが、
「感謝の心」を忘れずに行動する時がきたと感じた・・



次回は、博多での講演会、そして出会いについてです!